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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

映画「ベアテの贈りもの」

2013-05-07 | 改憲反対

 5月4日、シアターセブンで上映された映画「ベアテの贈りもの」を観に行きました。

 ベアテ・シロタさんの日本国憲法制定への関わりを描いた映画と思っていきましたが、むしろ戦後の女性の社会進出を取材したもので予想とはかなり違っていました。が、いろいろなことを考えさせられました。

 まずベアテさん自身のストーリーがあまりなく、導入部分は、世界的ピアニストであったレオ・シロタ氏の活動に焦点がありました。しかし、これはこれで興味深いものでした。

 次に戦時下。日本では軍国主義の台頭の中で、ユダヤ人であったシロタ家が憲兵に絶えず監視されていたこと、ドイツに住んでいた叔父の赤くJ(ユダヤ人の意)とスタンプされたパスポート、そしてその叔父はナチスに捕らえられてアウシュビッツに送られ二度と帰ってこなかったことなど、緊張した場面が続きます。

 憲法制定過程の映像はほとんどなく、「24条はベアテさんが起草した」と簡単に触れられるだけで、戦後の日本社会に話が移行します。
 それでも、政府の権力者たちが、「日本の伝統にそぐわない」と男女平等を入れることに猛反発し、ベアテさんによれば、「象徴天皇制と国民主権」を巡る攻防以上に激論になったというのは驚きでした。

 戦後の話では、ベアテさんが「男女平等」を条文化したことで、日本の女性の地位が向上し社会進出がはじまったという事例が紹介されます。しかしその中身としては、初の女性大臣、NGOの女性リーダー、女性会社役員など、大企業と政府組織のエリートを対象とした描き方になっており、かなり違和感を覚えました。

 それでも、戦後直後から主張されていた男女同一労働同一賃金が形式的に実現するまで40年以上もの歳月がかかったこと、しかもそれは女性保護撤廃という不利な条件とだきあわせであったこと、子どもを生めば会社をやめる、女性が昇進できないのは当たり前というような風潮が戦後も(今も)ずっと続いていて、女性差別がなかなか改善されないことなど、ベアテさんが起草した日本国憲法の精神と現実社会とがまだまだ乖離していることを見せつけられました。

 ベアテさんは、戦前日本で暮らし、日本の女性が家庭でおかれていた地位のあまりの低さに心を痛め、草案を書いたと言います。そのような底辺にいた女性、「庶民」の女性の視点から、さらには最も抑圧され排除された人たちの視点から「ベアテの贈り物」を受け止めることが大事だと思いました。

 以下は、ベアテさんが現行憲法24条の草案として書いた条文です。この中には、妊婦や子育て中の母親の保護、非嫡出子の差別の禁止、親や男性による支配の排除、公的扶助の精神などが入っています。これらは現在でも実現されているとはいえず、この点からも、日本国憲法は古くなったどころか、まだまだその精神が活かされていないのです。

 家庭は、人類社会の基礎であり、その伝統は、善きにつけ悪しきにつけ国全体に浸透する。
 それ故、婚姻と家庭とは、両性が法律的にも社会的にも平等であることは当然であるとの考えに基礎を置き、親の強制ではなく相互の合意に基づき、かつ男性の支配ではなく両性の協力に基づくべきことをここに定める。
 これらの原理に反する法律は廃止され、それに代わって、配偶者の選択、財産権、相続、本居の選択、離婚並びに婚姻及び家庭に関するその他の事項を、個人の尊厳と両性の本質的平等の見地に立って定める法律が制定されるべきである。
 妊婦と乳児の保育に当たっている母親は、既婚、未婚を問わず、国から守られる。彼女たちが必要とする公的援助が受けられるものとする。嫡出でない子供は、法的に差別を受けず、法的に認められた子供同様に、身体的、知的、社会的に、成長することにおいて機会を与えられる。
 養子にする場合には、夫妻、両者の合意なしに、家族にすることはできない。養子になった子供によって、家族の他のメンバーが、不利な立場になるような偏愛が起こってはならない。長男の単独相続権は廃止する。

以下も、ベアテさんが起草に関わった14条にあたる条文です。“自然人”“出身地による差別の禁止”などの言葉がはいっていましたが、憲法の制定・翻訳過程で削除されていくことになります。

  すべての自然人は、法の前に平等である。人種、信条、性別、カーストまたは出身国により、政治的関係、経済的関係、教育の関係および家族関係において差別がなされることを授権しまたは容認してはならない。

(ハンマー)

 


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