学問は楽しいものであるとモンテーニュが主張したからと言って、彼は子どもたちを安楽に過ごさせようとしたわけではありません。彼は子どもたちに肉体的な鍛錬をも推奨しました。それは何のためかといえば…。
「労働に耐える習慣は、苦痛に耐える習慣です。」「お子様を過酷な訓練になれさせ、脱臼、疝痛、焼きごて、牢獄、拷問などの艱難辛苦にも耐えるように育てなければなりません。なぜなら、この最後の二つは、お子様もそれに陥る危険がないとは申せないからです。時世が時世ですから、善良な人々も、邪悪な人々と同じくその危険にさらされているのです。」
この文章が貴族の奥方に対する子育てのアドバイスとして書かれたものであることを考えると、実に驚きです。まず、この時代の身分制度のもとでは、貴族は労働をしない・してはならないことになっていました。それなのに、子どもに労働をさせろと言っているわけです。そして、その目的がまたたいへんなものです。当時のフランスは国内を二分、三分する激しい対立の最中にありました。そんな中においては、誰しも運命の変転を覚悟しなければならないということを言っているのです。
さらに彼は子どもに対してこんなことを教えるべきだと言っています。
「お客様といっしょの席に出たときには、いたるところに目を向けるように教えてあげてください。なぜなら、一番上の席は、通常、あまり有能でない人たちによって占められており、身分の高さと、有能さが兼ね備わることはめったにないということを私は知っているからです。」
「牛飼い」「石工」といった当時の最下層の人々に対しても目を向けさせ、また「あらゆる生き方と身分と境遇が適した」古代ギリシャの哲学者を例に出し、「私はこのように私の弟子を育てたいと思う」と述べています。
18世紀の思想家ルソーは、モンテーニュの影響を強く受けていたと言われます。ルソーの著書『エミール』の随所でそのことは感じられますが、例えば、次のような記述を読む時、両者の置かれている時代背景に危機の到来という共通性があることよくわかります。
「あなたがたは社会の現在の秩序に信頼して、それがさけがたい革命におびやかされていることを考えない。そしてあなたがたの子どもが直面することになるかもしれない革命を予見することも、防止することも不可能であることを考えようとしない。高貴の人は卑小な者になり、富める者は貧しい者になり、君主は臣下になる。そういう運命の打撃はまれにしか起こらないから、あなたがたはそういうことはまぬがれられると考えているのだろうか。わたしたちは危機の状態と革命の時代に近づきつつある。その時あなたがたはどうなるか、だれがあなたがたに責任をもつことができよう。人間がつくったものはすべて人間がぶちこわすことができる。自然が押したしるしのほかには消すことのできないしるしはない。そして自然は王侯も金持ちも貴族もつくらないのだ。」(岩波文庫『エミール』p.346)
(鈴)