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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

改憲の危険シリーズ 押しつけ憲法論批判(2) 

2016-03-31 | 改憲反対

日本国憲法制定経過の概略

 敗戦した日本政府は、ポツダム宣言受諾により、その諸条件の実現のためには、大日本帝国憲法(明治憲法)の改正が不可欠となった。マッカーサーGHQ(General Headquarter、連合軍最高司令部)総司令官は当初、憲法改正を日本政府自身に任せようとしたが、出来上がった日本政府案はまるで明治憲法の焼き直しに過ぎなかった。これでは連合国側の了承を得られる可能性は全くなく、日本統治にイニシャティブを握りたいGHQは、日本国憲法制定問題に最高権限を持つ連合国の「極東委員会」開催以前に改憲原案を作成する必要があった。それには次のような事情があった。 

 GHQとっては、スムーズに日本国統治をおこなうこと、および共産主義革命を防止することが至上命令であり、このためには天皇制の存置が不可欠であった。ところが、極東委員会には、天皇制廃止論の急先鋒のオーストラリアやニュージランド、天皇制批判のソ連や中華民国などの国々を含まれていたので、これらの国々に天皇制存置を納得させるためには、明治以来のすべての侵略戦争のシンボルであった天皇制を存置する交換条件として、日本に再び戦争をさせないという保障、つまり第9条2項による徹底的な日本の武装解除が必要であった。同時に、日本の非武装化はGHQにとって、日本を再びアメリカの帝国主義ライバルとして復活させないためにも不可欠であった。
 一方、幣原喜重郎内閣は当初、日本が敗北した歴史的意味も国際情勢にも全く理解しようとはせず、「親の心、子知らず」で、GHQ案に断固反対した。だが、GHQがその改憲原案を拒否すれば天皇制が維持できない旨を告げて受諾を恫喝するや、日本政府は一転、掌を返すがごとく、GHQと二人三脚を組んで極東委員会に対抗し、GHQ原案を支持するに至ったのである。

 しかも日本政府は、自らにとって不都合なGHQ原案の数個所は密かに修正し、それを含めて、114日間の長期の国会審議の過程で、いくつかの条項の修正・付加が行われた。その結果、自由・進歩の保守2党はもとより、野党の社会党ともども全面的に賛成し憲法が成立した。ただし、共産党は第9条が自衛権を否定するものである等の理由によって批判的立場をとった。日本国憲法の制定は、法律手続きとしては、極東委員会が勧告した国民投票こそ行われなかったが、大日本帝国憲法(第73条)に基づく改正であったという限りでは「合憲的」であった。しかも、極東委員会が、改憲原案の国会審議終了後、改めて改憲原案の再検討の機会を与えることを提案したが、吉田茂内閣はこれを拒否した。この結果、いわゆる「自主憲法」作成の機会をつぶしてしまったのは、他ならぬ自民党の前身の自由党内閣であった。(岩本 勲)

(つづく)


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