ロックンロール・ラスヴェガスマラソンが終わったその夜、バリー・マニロウのコンサートに足を運んだ。
場所は黄金色のエッフェル塔がまばゆく輝くリゾート、パリス内にあるParis Theater。
チケット料金は・・・マラソンのエントリー費用とほぼ同額だった。
今回のラスヴェガス訪問は、どちらがメインなのかわからない、ダブルイベントの旅だったのである。
マニロウの歌声に初めて出会ったのが高校3年の冬、ラジオのFM放送で「歌の贈りもの(I Write The Songs)」を聴いたのが最初なので、もう36年前になる。それ以後の36年間、数限りないアーティストの音楽を聴いてきたが、最高のアメリカンポップシンガーを1人あげるとすれば、やはりマニロウにとどめをさすことになるだろう。念願のライヴを初めて聴いたのが1995年5月、ニューヨークのラジオシティ・ミュージックホール。90年代のマニロウはシンガーソングライターから企画もののカバー・アーティストに転向して間もない頃で、80年代の人気に比較するとやや陰りが見えていた感があった。それでも、いざステージでの姿を見ると、あまりにも神々しい存在感に圧倒されたものである。
その後、2002年に発売されたベストアルバム『Ultimate Manilow』がビルボードで初登場3位に輝く大ヒットとなり、往年のマニロウ人気が再熱。2006年発売の『The Greatest Songs of the Fifties』に至っては、なんと初登場1位を記録し、全盛期と変わらない勢いを取り戻すことになった。過去の人ではなく、押しも押されぬ現役のスーパースターとしての地位に復帰したのである。
マニロウのラスヴェガス長期公演は2005年からラスヴェガス・ヒルトンで行なわれていたが、2009年でいったん終止符を打ち、2010年3月からパリス・ラスヴェガスに場所を移して、再び継続されることになった。ということで、「ラスヴェガスに行く」という念願はここ数年間抱いていたものであり、ラスヴェガスマラソンの日程と重なった今回、ついに実現することになったのである。
★パリス・リゾートの正面に飾られた、マニロウ公演を知らせるフラッグ。
★パンフレットに掲載されたマニロウのステージ写真。
★Paris Theaterのステージで歌うマニロウ。哀しみのマンディ(Mandy)、想い出の中で(Looks Like We Made It)、ニューイングランドの週末(Weekend in New England)、涙色の微笑(Can`t Smile Without You)、そして、歌の贈りもの(I Write The Songs)、コパカバーナ(Copacabana)・・・といったお馴染みの大ヒット曲に加え、季節柄クリスマスソング特集も交えたプログラム。とても67歳とは思えない艶のある歌声に驚かされるばかりだった。
★フレンチムード満点の、Paris Theaterのステージカーテン。
★ウィン・ラスベガスでは、なんと同じ夜に伝説のカントリーシンガー、ガース・ブルックスのライヴも行なわれていた。これだけのスーパースターが集まるのは、やはりエンターテイメントの街ラスヴェガスならでは。
ブログ・ランキングに参加しています。
クリックすると順位が上がっていきます。