9月29日(日曜日)、NYCからグレイハウンド・バスで6時間、ニューハンプシャー州の街キーンで毎年開催されるクラレンス・デマー・マラソンに参加する。
ボストンマラソン7回優勝の「伝説のランナー」クラレンス・デマーの名を冠した歴史的背景のあるレース。例年200~300人程度のランナーが参加する小規模な大会だが、36回目となる今年は過去最高の完走者410名を記録。マラソンブームの波に乗って地方の大会も徐々に参加数が増えつつあることを実感させられた。
スタート時の気温7℃。レース終盤では16℃くらいに上がることが予想されていたが、まずは文句のないコンディション。のボストンマラソン以来、5ヶ月ぶりのフルマラソンということで、レース勘がどこまで機能するかという問題はあったものの、どこからの情報だったか「ダウンヒルの高速コース」と勘違いしていたこともあり、2週間前に走ったハーフマラソンでの感触からも「BQ圏内で十分闘えるだろう」と楽観的な見通しを立てていた。
・・・が、そこに大きな落とし穴があったのである。
山間地のグリサムからキーンのダウンタウンまでのワンウェイ・コース。前半は概ね下り…とエレベーション・チャートを見た限りでは思えたのだが、実際は随所に上りもあり、当初の予想以上に脚を使わされることになった。
Mile 01: 7分32秒(07分32秒)
Mile 02: 8分27秒(15分59秒)
Mile 03: 8分10秒(24分09秒)
Mile 04: 8分18秒(32分27秒)
Mile 05: 8分01秒(40分28秒)
Mile 06: 8分08秒(48分36秒)
最初の6マイルは気持ちのいい渓流沿いのコース。紅葉になりかけている季節なので実に景色がいい。あくまでBQペースを意識していたので先手を打ち、周囲の飛び出しに合わせて最初の1マイルを疾走する。7分32秒。ちょっとこれは速すぎた。ここはすぐに冷静さを取り戻し8分10秒前後をキープするように調整する。下り基調ながら上りもある予想以上のローリング・コースだったが、調子がいいという錯覚があったせいか、序盤戦の段階では何の心配もしていなかった。
Mile 07: 8分13秒(56分49秒)
Mile 08: 8分14秒(1時間05分03秒)
Mile 09: 8分22秒(1時間13分25秒)
Mile 10: 8分25秒(1時間21分50秒)
Mile 11: 8分16秒(1時間30分06秒)
Mile 12: 8分34秒(1時間38分40秒)
Mile 13: 8分16秒(1時間46分56秒)
中間地点通過: 1時間47分47秒
8マイル目までは想定どおりのペースだったが、9~10マイル目はやや脚が重くなってきたような自覚があり、8分20秒台に落ちた。それでもこの時点では十分に挽回可能と思えたので、11マイル目では頑張って8分16秒に持ち直し、運命の12マイル目を迎える。
12マイル目は巨大なサリー・ダムに堰き止められた湖と大自然を見渡すことができる絶景ポイントで、ダムを渡ったところにある12マイル地点を折り返し戻ってくるというコース設定になっている。この12マイル目が8分34秒。絶景には感動したが、肉体的にはかなり疲れが溜まってきたのがわかった。ここでもう一度挽回すべく13マイル目は気合を入れて8分16秒に引き戻すのだが…
あとから振り返ってみれば、ここは無理に挽回しないほうがよかった。素直にペースダウンしてエネルギーの回復を待つべきだったのだが、やはり心のどこかに過信があったのだろう。知らず知らずのうちに、限度を越えて引っ張りすぎてしまうというミスを犯してしまったのである。
ハーフ通過タイムは1時間47分47秒。一応BQ圏内を維持していたものの、このペースで押し切る余力はもはや残っていなかったことを、やがて知ることになる。
Mile 14: 8分34秒(1時間55分30秒)
Mile 15: 9分13秒(2時間04分43秒)
Mile 16: 8分24秒(2時間13分07秒)
Mile 17: 8分59秒(2時間22分06秒)
Mile 18: 9分03秒(2時間31分09秒)
Mile 19: 9分27秒(2時間40分36秒)
Mile 20: 9分34秒(2時間50分10秒)
14~15マイルは右手にゴルフ場を臨むコース。ここも景色はいいが上り勾配になるので、疲れた脚にはかなりこたえる。15マイルではついに9分越え。これでBQ圏内を維持するのは難しくなった。16マイルで若干挽回するものの、特に難所とも思えない17マイル目で9分近くかかったのは意外な展開だった。いくらなんでも、ここで脚が終わるのは早すぎるのではないか。
調子が悪かったり、難コースであることが最初からわかっていればそれなりの対処ができたのだが、調子も良く、高速コースであると錯覚していた場合は始末に負えない。今回はその典型的な失敗例となってしまったようだ。
Mile 21: 9分24秒(2時間59分34秒)
Mile 22: 11分08秒(3時間10分42秒)
Mile 23: 10分25秒(3時間21分07秒)
Mile 24: 11分20秒(3時間32分27秒)
Mile 25: 10分42秒(3時間43分09秒)
Mile 26: 10分02秒(3時間53分27秒)
それでも21マイルまでは9分台を維持していたが、22マイル目は体力レベルがさらに急降下し、なんと11分を越えてしまった。マイル11分台というのは、久しく見たことがない。2009年9月のモントリオール以来という気がする。普段のジョギングでもマイル9分台で走れるわけだから、どれだけ脚が死んでいるかがわかろうというものだ。
ここまで来ると「次の1マイル」が途方もなく長い。果たして完走できるのか? という不安さえ生まれてくる。いや、せめてサブ4だけは維持しておきたい。それには、とにかく歩かないこと。歩くような速度であっても「走っているのだ」という意思表示だけは忘れずに、前を向いて進むことを心がけた。
やがてキーンのダウンタウン・エリアに突入。23~24マイルのあたりがグリーンロウン・セメタリーという大きな墓地の敷地内を通過するコースで、なかなかの見どころになっている。幽霊たちの大声援も聞こえるような気がする。ここを抜けると閑静な市街地。そして街の中心メイン・ストリートへ。このメイン・ストリート沿いにクラレンス・デマーが教鞭をとっていたキーン・ステート・カレッジがある。そのキーン・ステート・カレッジの正門ゲートを潜り抜け、キャンパス内のゴールまでの最後の直線を全力疾走。大声援に迎えられ、26.2マイルの長い長い闘いを終えた。
Finish Time 3時間55分00秒(8:58/mile)。
どうにかサブ4を死守。現在の自分にとっては不本意だが、サブ4が精一杯だった頃の自分を久しぶりに思い出すことができたという点では悪くない経験だったかもしれない。こういう失敗レースはサラッと軽く流してもいいのだが、ある意味、成功したレースよりも「真似してはいけない見本」として役に立つと思うので、あえて詳細を記すことにした。
ともあれ、これで米国21州目を制覇。
通算42回目のフルマラソンで34回目のサブ4を達成した(20戦連続サブ4を継続中)。
■MEMO■
総合順位 144位/410人中
年代別順位 29位/62人中
★緑豊かなニューハンプシャー州キーンのダウンタウン風景。
★現キーン・ステート・カレッジの前身キーン・ノーマル・スクールの建物。クラレンス・デマーはここで教鞭を取っていたという。
★フル前日のパスタディナー会場では、大会名の由来となっているクラレンス・デマーの生涯がスライドで紹介された。写真は1912年ストックホルム五輪に参加したアメリカ・チーム。前列一番左がクラレンス・デマーで、この大会では12位だったが、12年後の1924年に参加したパリ五輪で銅メダルを獲得する。
★クラレンス・デマーのシルエット入りのスーヴェニア・シャツ(ナイキ製)。
★山間地からスタートするワンウェイ・コースなので、スタート・ビレッジまでのシャトルバス・サービスがある。
★今回の大会ではクラレンス・デマーの娘であるベティ・デマー・ミューラーさんがスターターを勤めた。
★キーン・ステート・カレッジの正面ゲイト。このゲイトを潜り抜けたキャンパス内がゴールとなる。
★いつになくゴール後のダメージが大きかったが、30分ほどで回復し記念撮影。
★前日のパスタ・ディナーで知り合ったウィン・イングルバート氏(CA州サンディエゴ在住)と記念の1枚。
今回が76回目のフルマラソンとのこと。
★クラレンス・デマーの略歴付きポートレイトと完走メダル。
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