
わたしを信じるこれらの小さな者の一人を
つまずかせる者は、
大きな石臼を首に懸けられて、
海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。
マルコによる福音書/ 09章 42節
新約聖書 新共同訳
私たちのすることは大海のたった
一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって
大海となるのです。
マザーテレサ
(マザーテレサ『愛のことば』より)

★キリスト教国ベリーズで日本を考える
■産経新聞 2014年8月9日 10:50

▲昼休みの前にクラス全員で祈りをささげる子供たち
日本での生活を振り返ってみると、日常生活の中で宗教を意識する機会は、そう多くはなかったように思う。したがって、キリスト教と密接に結びついたベリーズでの生活のすべてが新鮮なものだ。
キリスト教が主教であるベリーズには、多くの教会があり、日曜日の朝は、教会から聞こえる賛美歌で目が覚め、爽やかに朝を迎えることができる。しかし、この爽やかな日曜日の朝にベリーズの町を散歩しようとしても、お勧めはできない。なぜなら、日曜日はキリスト教で定められた安息日であり、多くの店がシャッターを下ろし、町はゴーストタウンのような静けさに包まれているからだ。私個人としては、日曜日はショッピングや映画鑑賞を楽しんだりしたいが、ベリーズではそのような希望をかなえられそうにない。
多くのベリーズ人は家族や友人たちとバーベキューを楽しんだり、ハンモックに揺られながら読書をしたり、休日はリラックスするものだという考え方が、彼らの間に根付いている。しかし、それもなかなか悪くない。彼らは、日曜日を心の底から楽しんでいるように感じる。
学校生活でも、1日4回、クラス全員で感謝の祈りをささげるなど、宗教を感じる場面が多い。生徒指導の面でも教師が聖書を引用し、宗教が力を発揮している。日本の公立学校でも宗教が力を発揮すれば、生徒指導は楽になるかもしれないという思いが、頭の中をよぎることさえある。ここベリーズでは、宗教を意識しない生活は不可能なのである。
このような生活を送っているので、ベリーズに来てからは、キリスト教について少し勉強をするようになった。しかし、ベリーズ人から日本の宗教について尋ねられた際には、悩む部分も多い。子供たちからも同じような質問を受けるので、もっと日本の宗教について勉強してくるべきだったと後悔さえしている。神道、仏教、キリスト教が共存している現代の日本を説明しようとしても、一筋縄ではいかない。しかし、日本人として堂々と答えられなかった自分に、しばらく情けなさを覚えた。
2020年には東京五輪開催も控え、今以上に海外の人たちと関わる機会が増えてくるであろう。もちろん、海外に目を向けることは大切なことではあるが、その前に自分たちの国である日本を知ることの大切さを忘れてはいけないと痛感した。
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福岡孝一(ふくおか・こういち) 昭和58年、京都市生まれ。平成22年4月~25年3月まで京都市立中で英語教諭として勤務。JICAの現職教員特別派遣制度を利用し、25年7月から青年海外協力隊員として中米ベリーズに赴任中。

▲厳かな雰囲気に包まれたベリーズの教会