
イエスは、天に上げられる時期が近づくと、
エルサレムに向かう決意を固められた。
「ルカによる福音書」/ 09章 51節
新約聖書 新共同訳
佐世保から長崎に入った私は、
小高い丘の上から下を眺めていました。
10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。
少年の様子はあきらかに違っていました。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、
強い意志が感じられました。
足は裸足です。
少年は焼き場のふちまでくると、
硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしました。
少年は焼き場のふちに、
5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、
ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
私は、背中の幼子が、
すでに死んでいることに気づきました。
男たちは幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、
焼き場の熱い灰の上に横たえました。
幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。
真っ赤な夕日のような炎は、
直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です。
炎を食い入るように見つめる少年の唇に、
血がにじんでいるのに気づきました。
少年があまりにきつく噛みしめているため、
唇の血は流れることなく、
ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、
沈黙のまま焼き場を去っていきました。
背筋が凍るような光景でした。
(「焼き場に立つ少年」ジョー・オダネル)
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2347.html
『目撃者 : 写真が語る20世紀』 : 朝日新聞創刊120周年記念写真展
= Witnesses : a retrospective photo exhibition of the 20th century
落合杳子, 北上昌子編集 朝日新聞社, c1999
※ジョー・オダネル氏は、
アメリカ海兵隊員であり、従軍カメラマンでした。

▲『生贄の島』曽野綾子 (写真)
★沖縄集団自決訴訟 元守備隊長の梅沢裕氏死去
■産経新聞 2014年2014年8月7日 12:08

▲梅澤裕さん
先の大戦末期の沖縄戦で座間味島守備隊長を務めた元少佐で、旧日本軍が住民に集団自決を命じたとする作家、大江健三郎氏の「沖縄ノート」などの誤った記述で名誉を傷つけられたとして提訴した梅沢裕(うめざわ・ゆたか)氏が6日、老衰のため死去した。97歳。通夜は9日午後6時、葬儀・告別式は10日午前9時半、兵庫県西宮市鳴尾町5の1の28、ユアホール甲子園で。喪主は長男、泰裕(やすひろ)氏。
最新の研究で軍命令説は崩れており、訴訟でも「戦争を知らない人によって真実がゆがめられた。自決命令は出してない」と“無実”を主張した。しかし1、2審判決では、自決命令について「証拠上断定できない」としながらも軍の関与は否定できないとして、名誉毀損の成立が認められず敗訴。23年4月の最高裁決定で上告が退けられ、確定した。
(産経新聞 2014年2014年8月7日 12:08)

▲『沖縄 渡嘉敷島 集団自決の真実』曽野綾子
(大江健三郎氏の沖縄ノートのウソ)
★【社説】ローマ法王訪韓を契機にわれわれ自身を振り返ってみよう=韓国
■ 中央SUNDAY/中央日報日本語版 2014年08月10日13時00分
http://gensen2ch.com/archives/11100904.html
フランシスコ法王の韓国訪問を契機に韓国の社会構成員は「巨大な質問の壁」と向き合うことになった。カトリックで言う七罪宗のうち、それ自体が罪であり他の罪の根源になる驕慢と貪欲に対し改めて考え自省する懺悔の機会を持つことになったのだ。カトリックではすべての悪は驕慢から始まって、貪欲にその根元を置いていると説明している。驕慢が不完全な自信にとらわれることならば、貪欲は物質と無駄な妄想に誘惑されることだ。
こうした意味から最近の韓国社会を騒がせているユン一等兵暴行死亡事件、セウォル号沈没事故などもこうした人間の悪魔的本性から始まったとみることができる。数カ月早く入隊したという理由で新兵を暴行できるという驕慢と、これを通じ「存在の意味」を求めようとした兵士たちの呆れ返る貪欲。また、事件の真相が明らかになる場合、自分たちのポストが揺らぐことを懸念し縮小・隠蔽に汲々とした軍幹部の姿にも驕慢と貪欲の痕跡が残っていた。

安全は後回しにしたまま若い学生たちを相手に金儲けに没頭したある宗教指導者の悲劇的な終末で私たちは人間の驕慢と貪欲が人間の尊厳性を破壊し社会に大きな害悪を及ぼす過程を鳥肌が立つほど生々しく目撃した。金品ロビーを受けて法改正をした容疑で検察の捜査対象となった野党議員や、癒着の汚名とともに拘束令状が請求され息子の家に札束を隠した与党議員の不正を見て、多くの国民は権力の限りない貪欲にうんざりしている。自分たちの公的地位を私的な金儲けの手段に変質させる破廉恥な行為に、「人間は気まぐれで、嘘つきで、貪欲にぎっしり埋まり、こうした貪欲は敵の略奪よりももっと有害だ」というマキャベリの指摘にうなずかせる。

廉恥を知って義理と志操を重要視したわれわれの高尚清廉の精神はどこへ行き、人権を踏みにじる浅薄な資本主義が横行することになったのか。仏家でそれほど警戒した貪・瞋・痴の三毒が韓国社会の所々に入り込み、他人をうらやましがり、ささいなことに怒る愚かさが幅を利かすのではないのか。

そんな私たちにフランシスコ法王の訪韓は宗教的意味以上の社会的含意を持つ。大統領をはじめとする韓国の指導層は「なぜ世界はフランシスコ法王に熱狂するのか」という質問とともに、苦痛を受け貧しい人のための勇気と希望が込められた彼のメッセージに注目する必要がある。彼はアルゼンチンで194人の犠牲者を出した2004年の火災事件に言及し、「われわれは十分に泣かなかった」と話した。軍隊で暴行されて死亡し、修学旅行の途中に海でおぼれて死亡した若者たちのために、韓国社会がどれだけ十分に泣いたのか反問してみよう。
(中央SUNDAY第387号)
http://japanese.joins.com/article/747/188747.html?servcode=100§code=110

【強制連行】そんな話今まで聞いたことないよ。
(『新報道2001』2014.8.10(日) 放送)