空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

アカデミー賞授賞式

2025年03月04日 23時00分00秒 | 映画関係

昨日はアカデミー賞の授賞式
アメリカ時間では3月2日、日曜日の夜です。
いつもは、当日ブログに載せるのですが、
一日遅れになったのは、
毎年生放送していたWOWOWが、
今年はしなかったからです。
かつ、いつもは当日の夜、字幕版を放送していたのが、
翌朝、配信のみでするとのこと。


ある人が問い合わせたら、
「契約が終了したから」とのこと。
継続は出来なかったのでしょうか。
何か難しい契約条件でも突きつけられたか。
と思っていたら、NHK--BSが生放送を実施。
増々契約条件が気になります。

というわけで、ブログに載せるのは、
字幕版を観てから、ということで、
今日になりました。

今ロサンゼルスは山火事の被害で大変。
一時は授賞式の中止も考えたそうですが、
困難な時ほど開催する意義がある、と、実施。


「オズの魔法使い」のドロシーの靴で始まったオープニング映像も、
LAへの愛があふれるものとなりました。


「オズの魔法使い」のテーマは「やっぱり家が一番」ですからね。

映像の後は、アリアナ・グランデの「虹の彼方に」の歌唱で始まり、


シンシア・エリヴォの「HOME」(「ウィズ」より) につながり、


最後は二人のデュエットを含む
「Defying Gravity 」( 「ウィキッド」より) へ。


アメリカ人の国民映画「オズの魔法使い」つながりです。

歌が終わると舞台監督が司会者の楽屋のドアを叩き、
出演を知らせます。
中では、「サブスタンス」のデミ・ムーアの
体の中から出て来た司会者が
靴を探して、再び体内へ。


などという悪趣味な映像の後、
司会者がステージに登場。
今年の司会は、コナン・オブライエン


コメディアンや司会者として人気の人。
ちょっとロビン・ウイリアムズに似ている。
政治ネタや人種ネタもない、
毒のない司会者ぶり。
恒例の候補作紹介などし、
受賞スピーチが長引いた場合は、
ジョン・リスゴーのうんざり顔に切り換える、


などとのジョークの後、
それでも駄目だったら、
若い時の宣伝写真を公開するぞ、
などと脅し、まず、ガイ・ピアース↓。

ティモシー・シャラメに至っては↓。


普段着で来たアダム・サンドラーをいじった後、


歌とダンスに移行。
芸達者だね。


歌は「I Won't Waste Time」(「時間を無駄にしない」)。

会場は、もちろんドルビーシアター

授賞式は、助演男優賞から。
今年の趣向は、5人の候補者の姿を吊り下げ、
プレゼンターが一人一人について論評を加える。


映画シーンの抜粋はなし。                                     下馬評通り、「リアル・ペイン~心の旅~」のキーラン・カルキン

アカデミー賞を取ったら、
3人目の子供を作る約束と暴露。

長編アニメ賞はラトビアの作品。


短編アニメ賞はイランの作品。

アメリカ、どうした。

衣裳デザイン賞でも新趣向。
5人のプレゼンターが登場し、
候補者それぞれを紹介。


こういう技術部門の候補者を全員紹介するのは、初めてか。


撮影賞も同じ趣向でした。

衣裳デザイン賞の受賞者は、黒人初だという。

今回は主題歌賞の歌唱はなく、
様々な趣向の音楽パフォーマンス。

まず、ボンド・トリビュート・パフォーマンス

歴代の007の映像つなぎの後、

テーマ音楽をダンスで。

「死ぬのは奴らだ」からと

「ダイヤモンドは永遠に」からと

「スカイフォース」の曲を歌唱。

このショー部分が最も充実していました。

オリジナル脚本賞で、
「ANORA アノーラ」のショーン・ベイカーが受賞し、


編集賞でもショーン・ベイカーが受賞。


この人、編集もやるんだ。

 助演女優賞は、

「エミリア・ペレス」の
ゾーイ・サルタナが受賞。

「私の祖母は、1961年に、この国に来ました。
私は誇り高き移民の子です。
夢とプライドを胸に努力を重ねて来ました。
ドミニカ系アメリカ人として、初のアカデミー賞受賞。
私に続く受賞者が現れると信じます。
祖母がここにいたら、大喜びしているはず」

歌曲賞のプレゼンターは、なんとミック・ジャガー


一番目のオファーはボブ・ディランだった、
というのは、ジョークか。
受賞したのは、「エミリア・ペレス」の「El Mal 」

山火事に関連して、消防隊の紹介。


拍手鳴りやまず。

1年間の亡くなった方への追悼は、
1週間前に亡くなったジーン・ハックマンを特別に。


続いて、モーツァルトの「レクイエム」に乗せて、
次々と物故者の顔写真が。


最後は、やはりジーン・ハックマンでした。

クインシー・ジョーンズの追悼では、
クイーン・ラティファが「ウィズ」の曲を。

ノミネートされた日本の3作品、
レイプ事件を被害者自身が映画化し、
長編ドキュメンタリー賞候補になった
「Black Box Diaries 」
日本の小学校の音楽教育を扱って、
短編ドキュメンタリー賞候補になった
「Instruments of a Beating Heart」
短編アニメ賞候補になった
「あめだま」
は、いずれも受賞を逃しました。

最後の佳境に入り、

主演男優賞は、


「ブルータリスト」のエイドリアン・ブロディ
「戦場のピアニスト」に続き、2度目の受賞。

ステージに向かう途中、
噛んでいたガムを放り、
奥さんがキャッチ。

途中かかった音楽を止めての長いスピーチ。
「俳優というのは、とても不安定な職業です。
何年やっていても、どれだけ成功していても、
消える可能性がある。
それを自覚しているからこそ
今日は特別な日です。
愛する仕事を続けられることに感謝します。
このような賞を受賞することは、一つのゴールだと思います。
でも私にとってこれはキャリアの頂点以上のもので、
また演じられるチャンスを意味します。
そしてこのチャンスがこの先20年続くことを願います。
私が意義ある役に値いする役者だと証明したいと思います」
                           
長かったですが、
ジョン・リスゴーの顔には切り換えられませんでした。

監督賞は、

「ANORA アノーラ」のショーン・ベイカーが受賞し、
今夜3回目の登壇。

「今日、ここに集まったのは、
映画が好きだからです。
どこで好きになったか?
もちろん映画館です。
私は5歳の時、母が映画を教えてくれました。
みんなで映画を観るのは、素晴らしい経験です。
一緒に笑ったり、泣いたり、打ちのめされたり。
家では味わえない共同体験です。
今、映画館は危うい状態で
特に独立系の映画館は苦戦しています。
パンデミックで1000近くのスクリーンを失い、
今も減り続けています。
何とかしないと、文化の一部を失います。
支えるのは、私たちです。
お願いです。
劇場用の映画を作り続けて下さい。
配給会社の皆さん、
まずは、劇場公開に集中して下さい。
親御さんは、子供たちを映画館に連れて行き、
次世代の映画愛好者を育てましょう。
それから、私たちも映画館に行きましょう。
映画を作り続けていきましょう」

主演女優賞は、


「ANORA アノーラ」のマイキー・マディソン

この人、映画出演歴は端役で5作ほど。
ほぼ新人にオスカーを与えるのですから、
アカデミーの会員はふところが深いですね。

「私はLA育ちですが、
ハリウッドは遠い存在でした。
それが今、ここに立っているなんて信じられません。
セックスワーカーの皆さんにも敬意を表したいと思います。
これからも支援し、味方でいるつもりです。
私は彼女たちを知ることが出来て、幸運でした。
この出会いは貴重な体験の中でも
最高の宝物と言えます」
「セックスワーカー」などという言葉、初めて聞きました。
日本で言えば「風俗嬢」でしょうか。

作品賞のプレゼンターは、
メグ・ライアンビリー・クリスタル


ビリーは「昔、ここで働いたことがある」と。(知ってます)

そして、2024年最高作は、「ANORA アノーラ」に。

プロデューサーの一人のスピーチ。
「600万ドルの低予算で製作しました。
NYロケのスタッフ40人ほど。
インディーズ作品に携わる人は
是非続けてほしい。
もっと世に出そう」

製作に名を連ねるショーン・ベイカーは、
今夜4回目の登壇。


「インディーズ作品を評価して下さり、感謝します。
みんなの血と汗と涙で作られました。
インディーズに末永く幸あれ」

まさに「ANORA アノーラ」旋風が吹き荒れた終盤でした。

結果として、
「ANORA アノーラ」が作品賞・監督賞・主演女優賞・
オリジナル脚本賞・編集賞の主要5部門を制覇。
「ブルータリスト」が主演男優賞・撮影賞・作曲賞の3部門
「エミリア・ペレス」が助演女優賞・主題歌賞の2部門
「デューン砂の惑星 PART2 」が視覚効果賞・音響賞の2部門
「リアル・ペイン~心の旅~」「教皇選挙」「サブスタンス」1部門の受賞でした。

今年は「第97回」。
あと3年で「100周年」
それまでは生きていましょうか。

 


マニラの旅・その10 青空市場

2025年03月03日 23時00分00秒 | 旅行関係

日本では、道端でモノを売る光景というのは、
最近では、まず見られませんが、
マニラの街は、道端で沢山モノを売っています。
とにかく、隙間があれば、モノを並べて売ります。

ホテルから駅までの道。

高架鉄道の駅への通路。

ぎっしり店が並びます。

下に降りると、

高架鉄道下の道路は、ご覧のとおり。

道路使用許可は取っているのでしょうか。

毎日同じ場所に同じ店が出ますから、
ちゃんと縄張りが確立しているらしい。

それとも、ヤクザが仕切っているのでしょうか。

お店を縫うようにバイクやトライシクルが走ります。

市場はあるのですが、

衣料品と雑貨が中心らしく、

その外はこのカオス。

1袋135円。

売れるのかと心配しますが、
売れなかったらやめるはずなので、
生活が成り立つくらいは売れるのでしょう。

食べ物の屋台も。

町を歩いていて見かけた光景。

どう見ても貧しい。

すぐ向こうは近代的なビル。

目を下に転ずれば、トタン屋根。

バスケをする子供たち。

豊かな高層ビルと貧しい家々。

これが象徴的な一枚。

 

 

 

 


小説『失うことは永遠にない』

2025年03月01日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

第48回の城戸賞に準入賞し、
「366日」の脚本を手掛けた福田果歩
小説家としてもデビューした作品。

東京・目黒で暮らす小学5年生の奈保子の家庭は、
父親の不倫の発覚をきっかけに崩壊しつつあった。
母親は家出し、消息不明に。
奈保子は大阪にある父の実家にひとり預けられることになる。
認知症の祖父との日常の中、
河原で出会った少女・アサコに連れられて訪れたのは、
血のつながらない5人の兄弟たちが住む、
崩れかけたアパートの一室だった。
最長年の15歳のキミ、奈保子と同じ10歳のアサコ、
9歳のハルト、5歳のガク、2歳のタイセイ。
キミが働く部品工場の給料で養われている兄弟は、
全員、学校に通っていない
奈保子は兄弟たちの勉強を見てやることになる。
その兄弟たちとの交わった夏は、
奈保子にはとって、忘れられないものとなった。

兄の生活とキミの生活を比べて、こう思う。

ほとんど毎日休みなく働き続ける、
わたしの兄と同い年の男の子。
兄は朝から番まで部活や遊びに明け暮れ、
好き嫌いをしてご飯を残し、
風呂に入って汗と汚れを洗い流し、
真っ白なシーツに覆われたふかふかのベッドで眠るのです。
そしてそれは、わたしも同じでした。
わたしはアサコたちと
本当に分かり合うことはできない。
あなたの苦労を理解することはできない。
わたしは決して、あなたたちの兄弟にはなれないのです。

そして、五人の兄弟を描いた絵の中に
自分の姿を描き足せば、
兄弟たちの一員になれるのではないかと妄想する。

東京に戻った奈保子は、
帰って来た母と共に家庭を維持するが、
その後、兄が荒れて、家族は再び崩壊する。
その嵐が過ぎた後、家族はまともな姿を取り戻すが、
高校生になった奈保子は、
「お母さん、わたしこの家を出るよ。
 それで、本物の家族と一緒に大阪で暮らすよ」
と母に告げ、
制服や教科書を処分して、
6年ぶりに大阪に戻る。
あの兄弟たちの住んでた家を訪ねるが・・・

血で繋がった家族と、そうでない家族。
その中で感ずる、人がはじめて対峙する「孤独」
少女のひと夏の成長物語だが、
一人称で語られる物語が
途中、誰に向かって語られていたのかが明らかになると、
恋愛物語としても感じられる。

 


マニラの旅・その9 ハッピーランド

2025年02月28日 23時00分00秒 | 旅行関係

昨日の続き。

スモーキー・マウンテンからジープニーに乗って、

5分ほど移動したところに、
ハッピーランドがあります。

アジア最大のスラム街
タガログ語で「ハピラン」(Hapilan )は捨てる、という意味で、
それをもじって「ハッピーランド」(Happy Land)と名付けられました。

今回、マニラに来て驚いたのは、
著しい経済的発展で、
日本顔負けの規模のモールや


高層マンションが立ち並び、
何十億ドルもの資金が投資され、
空を背景にクレーンがそびえ立って、


建設ラッシュが続いています。

しかし、その経済的発展に取り残されたのが、
ハッピーランドのような、
貧困地区

ここに2万人の人が住んでいます。

ここは商店街。

生鮮食料品を含め、
あらゆる日常生活に必要なものが売られています。

一方、ゴミは相変わらず持ち込まれ、

景観を汚しますが、誰も気にしていません。

日中からビリヤードを楽しむ人々。


一応、ちゃんと娯楽はあるんですね。

これはパグパグと言って、

ファストフード店から出て来た食べ残しを集めて
水洗いし、味付けして、油で揚げたもの。


1袋10ペソ(27円)程度で売られています。

前にYouTube で観た時、
特殊な例だろうと思っていましたが、
町のあちこちで売られていたので驚かされました。
主にチキンの食べ残しで、
残った肉と骨をかじります。

普通の食堂もあります。

「昭和」というより、「戦後」の感じ。
日本は戦後復興で立ち直り、
1960年代の高度成長期に、
みんなで豊かになりましたが、
フィリピンでは、
上流の繁栄が、
今だ下流には及んでいないようです。
格差を肌で感じます。

ボランティアが子供の世話をしています。

ある人の話では、
夫の仕事は見つからず、学校に通わせ、
家族全員を食べさせるためのお金は、
ひと月に4500ペソ(約12150円)しか
稼ぐことができないといいます。
一日150ペソ(400円)。
部屋代は大体月1500ペソ(4千円)。
トイレなし、電気は先払い式。水は購入。

ガスはプロパン。

小さいのも売られています。

しかし、人々は思いのほか楽しそうで、
子供たちは路上で遊び、
インターネットカフェで楽しむ人、
食堂で笑いあう人々・・
金銭的に余裕のない生活であっても、
人々はその中でも幸せに生きているようです。

先にあげたYouTube でも
インタビューされた住民は「幸福だ」と言っていました。
外の世界を知らないからだろうか、
とも思いましたが、
一家が仲良く一緒に暮らしていれば、幸せなのは確か。
日本のように、
立派なマンションに住んでいても、
家族バラバラなら、幸福とは言えないでしょう。

ただ、衛生環境が悪いのは確かで、
細い道は野良犬の糞や、
ゴミ、残飯などが散らかり悪臭とハエが群がり、
とても衛生的とは言えません。


感染症や栄養失調で亡くなる住人も多いといいます。
乳児死亡率は、日本と比較すると、13倍も高い。

学校に行けない子供も多く、
将来を考えると、やはり希望はうかがえません。

公立学校は無料ですが、
学用品や制服を買うお金がなかったり、
子供も労働力として働かされるケースもあり、
日本のように、皆が学校に通えるわけではない。

フィリピンでは、高校や大学を出ていないと
安い賃金の肉体労働か、日雇いの仕事しかありつけない。
その日暮らしのこの地区の人々にとって、
子供を学校に通わせるのは難しく、
子供も仕事や生活の手助けに駆り出さざるを得ない。
そして、貧困層の子供が大人になり、
不安定な安い労働として生きていくことになる。
貧困はこうして連鎖していく・・・。

こうした貧困問題に対して、
政府は特に有効な方策は立てられない。
なにしろ、数が多すぎる。

改善策は明快で、
産業を興し、雇用を増やすこと。
しかし、まだ日本のような高度成長時代は来ていないようです。

お金があっても幸せでないのは当然ですが、
お金がないために生ずる不幸は
何としても無くしたい。

生まれる国は選べない。

この現状を見ると、
日本での暮らしがどれほど恵まれたものかが、分かります。
日本人の不幸は、
自分たちが幸福であることを自覚できないこと、
だと言います。


マニラの旅・その8 スモーキー・マウンテン

2025年02月27日 23時00分00秒 | 旅行関係

マニラ5日目は、
今回の旅のハイライトとも言える
スモーキー・マウンテン


旅行は、その地でしか見れないものを見る、
というのが楽しみの一つですが、
これこそ、マニラでしか見られない光景

スモーキー・マウンテンは、
かつては海岸線に面した一漁村でしたが、
1954年にゴミの投棄場になりました。
不法投棄ではなく、
公共が集めたゴミの正式な棄て場所。
マニラ首都圏で出たゴミが大量に運び込まれ、
山となりました。

スモーキー・マウンテンという名前は、
捨てられたゴミが自然発火してくすぶり、

煙が立ち上っていることから、
そう名付けられました。

その棄てられたゴミの中から
リサイクルできるものを拾い
それらを換金してわずかな日銭を稼ぐ貧民
(スカベンジャーと呼ばれる)が住み着き、
急速にスラム化しました。

その中には子どもも沢山おり、


1980年代から
フィリピンの貧困の象徴として
世界に報道されるようになりました。

↓は、有名な写真らしい。

政府は国のイメージが損なわれると、閉鎖を決断し、
1994年、ごみ捨て場の利用が停止され、
翌1995年に、住民を強制退去の上、
閉鎖されました。

今では別の場所がゴミの投棄場所となり、
「スモーキーバレー」と呼ばれています。
そこは立ち入り禁止です。

住民は強制退去の代償として公共住宅をあてがわれましたが、
一部の住民は別の処分場周辺に移住し、
従来通りのスカベンジャーとしての生活を続けているそうです。
つまり、それしか金を稼ぐ方法が見つからないのです。
現在も「第2のスモーキーマウンテン」と呼ばれる場所が存在し、
そこでは以前と変わらない状況が続いているといいます。

ホテルのロビーでガイドさんと待ち合わせ、合流。
マニラ在住10年のKさん

 ガイド料は8400円。日本で予約しました。
オーストラリアのパースから来た
日本人父娘と一緒です。二人だと追加料金3000円。

Grabタクシーで現地に向かいます。

この地区は「トンド地区」と呼ばれ、
そこに行ったというと、
フィリピンの方からさえ、
「えっ、どうして、そんなところに?」
と驚かれるそうです。

タクシーを降りて、下のような場所に。
「これがスモーキーマウンテンです」
と山のような場所を示します。

閉鎖した政府は土をかけて覆い、
草が生えて、山のように。

つまり、ここは、
スモーキーマウンテン」と言うべきところ。
日本だったら、「夢の島」に当たります。

周辺はやはりゴミが持ち込まれており、


そこからペットボトルを選別して、
生計を立てている人たちがいます。

売っているのは、ゴミの中から発掘したもの?

山を登ります。

ゴミ山だった残滓が見られます。

そのゴミ山の上に住む人たちがいます。

簡単な作りの住居。

不法占拠なので、
郵便は届きませんが、
Amazonの配達はされるそうです。

電気は来ていますが、
ガスはプロパン。
このホースのようなものは、生活用水。

食用ではないので、
飲み水はタンクで運びます。

その水で煮炊き。

ベッドのスプリングを活用。

お菓子など、食べ物を売るお店もあり、


ゲーム用のパソコンも、

カラオケもあります。

これは何でしょう?

これ、WiFiの装置。
コインを入れると、数分間、
周辺数メートルでWiFiが使えます。

集会場もあり、

キリスト教会による
フードサービスもあるそうです。

子供たちも沢山暮らしています。

これは闘鶏用の飼育しているオス鶏。

人間、どこででも暮らしていけるのですね。

この後は、ハッピーランドへ。