空飛ぶ自由人・2

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マニラの旅・その1

2025年02月12日 23時00分00秒 | 旅行関係

それでは、マニラの旅を開始しましょう。

浦安から成田空港へのバスは
本数が減り、
うまく時間がつながらないので、
京葉線で海浜幕張まで行って、
そこでバスに乗ります。

実は、今度の飛行機はLCC(低価格航空会社)のため、
第3ターミナルからと思い込んでいましたが、
前日になって、第2ターミナルと判明。
あやうく下車場所を間違えるところでした。

5年ぶりに観る光景。

セブパシフィック航空はすごい行列。


機械でチェック・インして、


搭乗券をもらい、
荷物は預けないので、
地上係員に、これで中に入れるかと訊くと、
搭乗券のある箇所を指さし、
行列に並ぶ必要があると言います。
行列はものすごく長く、途方に暮れていると、


先程の係員がぐるりと回ってやってきて、
「私がやります」とカウンターに誘導してくれました。
そして、チェック・イン完了。
優しい職員さんでよかった。

これも久しぶりに観る光景。

長い通路を歩きます。

機内食は出ないので、腹ごしらえ。

吉野家です。

カツカレーを注文。

機内預け荷物は有料なので、
今回は手荷物を機内持ち込み。
ところが、チケットを取った会社から、
「東京発の手荷物は5キロまで」という連絡が。
荷物はどうしても5キロを越えそうです。
「帰りは7キロ」と書いてあるので、
セブパシフィック航空に問い合わせると、
「5キロではなく、7キロ」といい、
ホームページにも
「機内持ち込み手荷物は2個合計7キロまで」
とちゃんと書いてあります。
チケットを取った会社は何を間違えたのでしょう。
荷物重量検査はどこでするのかと訊くと、
搭乗ゲートでといいます。
そういえば、以前国内線のLCCで高松に行った時、
ゲートの前で計量していました。
ただ、2個合計で7キロを越えそうなので、
ヘンドホンやiPad や本は
ダウンジャケットに入れて、
7キロをクリアするつもりでした。

しかし、搭乗口では、そんな検査はありませんでした。
考えてみれば、何百人という客を並ばせて
荷物の重量を測るなどという手間をやるはずがありません。
(高松便はどうしてやったのでしょう)
誤情報に継ぐ誤情報。
人の話はあてになりません。

座席の場所でいくつかのグループに分けて搭乗。
3・3・3の並びで、
私の席は真ん中の席。
席の希望は有料でかなえられるそうです。

LCCですから、椅子はリクライニングせず、


パーソナルテレビもありません。


確かに、テレビの装置や
映画のプログラムなど、
かなりの経費が削減されての低価格なのでしょう。


水のサービスさえなく、
食べ物、飲み物は全て有料

LCCですから、我慢我慢です。

というわけで、我慢を重ねて、
5時間01分でマニラに到着。

この空港は、
「ニノイ・アキノ国際空港」と申します。
Ninoy Aquino International Airport、略称: NAIA(ナイア)。
ニノイ・アキノとは、
マルコス大統領の独裁時代、
国民に人気がある政治家だった
ベニグノ・ニノイ・アキノ・ジュニア上院議員


マルコス政権にとっての脅威であるとみなされ、
逮捕の上、死刑を宣告されます。
しかし、人気のあるアキノ氏を死刑にすることは
更なる反感を買うため、
アメリカ合衆国へ国外追放されます。
そして、亡命先のアメリカ合衆国から帰国した
1983年8月21日に
タラップから降りた直後に射殺されました。
この暗殺によって、反マルコス運動の勢いが爆発的に加速し、
1986年、
ニノイ・ アキノ氏の遺志を受け継いだ
妻のコラソン・ アキノ氏は、
大統領選挙に出馬します。
彼女は、徹底して反マルコス態勢を貫き、
大多数の国民の支持を集めます。
実際には80万票の差でコラソン・ アキノ氏が勝利したにも関わらず、
選挙管理委員会がマルコス政権の勝利を発表したため、
抗議運動が爆発し、
その運動が、マルコス政権崩壊へとつながります。
その後、奥さんのコラソン・アキノさんと、
息子のベニグノ・アキノ3世さんが大統領に就任しています。
500ペソ紙幣には、
アキノ夫妻の姿が描かれています。

というわけで、
空港の名前には、
フィリピンの歴史が内包されているのです。

一時期、空港の名称を変える動きがありました。
みんなの空港なのに、
個人名がついているのはおかしい、というのですが、
だったら、ニューヨークの「JFK空港」や、
パリの「シャルル・ド・ゴール空港」はどうなのでしょうか。

ニノイ・アキノ国際空港には、
4つの空港ターミナルビルがありますが、
ターミナルビル間はそれぞれが離れており、
連接性が全く考慮されておらず、
各ターミナル間の移動は
一度空港敷地外の一般道路に出なくてはならないので、
注意が必要です。

セブ・パシフィック航空は第3ターミナル

この空港は、
2011年から2013年まで、
Sleeping in Airportsの国際空港に関する利用者投票で
「世界最悪空港ワースト1位」
を3年連続で獲得しています。

まず両替。
1万5千円が5475ペソ。
1ペソ=2.74円

空港には公共交通機関が入っていないため、
空港からホテルへはタクシーに頼らなければなりません。
しかし、UBEエクスプレスというバス路線の一つが
宿泊ホテルに行くので、


そのあたりをウロウロしていると、
タクシーの客引きが群がってきます。
ホテル名を告げると、
スマホを操作して、
1000ペソの料金を提示します。
(実際のタクシー料金は400ペソもかからないので、
 ニセの一覧表です) 
断って、UBEエスクプレスを待ちます。
(来る前は1時間に1本、
 ということでしたが、
 実際は30分ごとも。
 これも誤情報)


乗って、運転手に150ペソを支払います。
切符も何にもない。
運転手はお金を胡麻化さないのでしょうか。

20分ほど走って、
「KABAYAN HOTELだ」
と言われて降りると、
ホテルの前ではありません。
そこから10分程歩いて、
ようやくホテルに到着。


とんでもなく遠いところで降ろされたらしい。


なぜか。不思議。

チェック・インを済ませ、


長い廊下を歩いて、私の部屋へ。


ご覧の通りの狭さ。


3畳間くらいでしょうか。


私の海外体験で2番目に狭い部屋です。

掛け布団はシーツが1枚だけ。

スリッパではなく、ゴム草履。

エアコンが古く、
ものすごくうるさい。

このホテルは部屋の格差が激しく、
私の部屋は最低レベルで、
1泊4600円
まあ、寝るだけですからね。

この後、夕食に向かいますが、
そのことは食事の件をまとめて伝えます。

とにかく、
6年ぶりの海外の第一夜は、
狭い部屋で過ぎていきました。

 



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