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『原爆裁判』

2024年08月14日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

作家の山我浩の労作。

表題の「原爆裁判」とは、
1955年4月、
広島の原爆被害者3人が、
国を相手に損害賠償と
アメリカの原爆投下を国際法違反とすることを求めて提起した訴訟のことである。
この裁判を担当した判事の一人が三淵嘉子さん。


今放送中の朝ドラ「虎に翼」の主人公のモデル、
日本初の女性判事になった人物である。

本書は8つの章から成り立つ。
第一章 死の商人と呼ばれた男
第二章 原爆が投下された日
第三章 放射線との戦い
第四章 アメリカはお友達?だが・・・

この前半では、
アメリカにウランを売った鉱山会社の幹部、エドガー・サンジェの去就、
日本への原爆投下をやめさせようとしたアメリカの人々の闘い、
投下後、残留放射能についての調査を隠蔽し、
放射能はない、と貫いた、アメリカ政府の欺瞞、
等々について描かれている。

原爆を日本に落とす場合、3つの選択肢があったという。

①日本近海の無人島又は本土以外の島に落としてその威力を見せつける
②軍事目標(軍港、基地など)に落とす
③人口が密集する大都市に投下する

事前に警告するか、警告なしに行うかも
重要な選択肢であり、
警告なしに大都市の市民を無差別に爆撃した広島、長崎は
最悪の選択だった。
そのことを大統領も米国政府も理解していた。
日本は敗戦を自覚しており、
「原爆によって日本を降伏せしめた」
という理論は成り立たない。
それでも、強行したのは、
「真珠湾攻撃への復讐」というトルーマン大統領の認識であり、
その底には、人種差別意識があった。
そして、投下後の調査団の残留放射能の報告を
握りつぶしたのは、アメリカの戦争犯罪を糊塗することだったという。
今なら原爆投下による放射能汚染は
子どもでも知っている常識だが、
まだ研究資材が足りなかったのをいいことにして、
アメリカは事実をにぎりつぶしたのである。

こうした原爆投下に関する歴史的経緯を述べた後で、

第五章 女性弁護士三淵嘉子の誕生
第六章 家庭裁判所の母

で、ようやく三淵嘉子さんが登場し、

第七章 原爆裁判
第八章 三淵嘉子の終わりなき戦い

で、原爆裁判に至る。
表題の「原爆裁判」からすると、
やや羊頭狗肉という感じだ。

印象深いのは、三淵さんが新しい民法草案に触れる場面。
明治民法は「家」中心で、
家族は皆戸主の命令・監督に従わなければならなかった。
妻・婚姻した女性は「無能力者」と規定されており、
重要な法律的行為を行う場合には
常に夫の同意が必要とされていた。
ところが新民法草案では、
戸主や家制度に関わる条文が削除され、
婚姻の自由、夫婦別産制、均分相続制度などが新たに盛り込まれていた。

「女性が家の鎖から解き放たれ、
自由な人間として、
すっくと立ち上がったような思いがして、
息をのんだものです」
と三淵さんは言っている。

1955年(昭和30年)、
広島と長崎の被爆者が
起こした「原爆裁判」。
1960年から1963年まで
9回の口頭弁論が開かれている。
三淵さんは右陪席(次席裁判官)として、
裁判に携わり、
裁判長と左陪席は何度か交代しているが、
三淵さんだけは、第1回の口頭弁論から結審まで
一貫して原爆裁判を担当し続けた。
当然判決文も三淵さんの意見がかなり反映したと思われている。

準備期間を含めて8年に及ぶ裁判は、
1963年12月7日判決。
被爆者の損害賠償請求権は否定したものの、
原爆投下は、
広島、長崎両市に対する無差別爆撃として、
国際法違反であると認定した。
これは、世界で初めてのことだった。
新聞各紙は高く評価したが、
国際的にはどうだったかについては、
本書では触れていない。
おそらく、アメリカ政府は
日本の国内法で裁かれても何の痛痒も感じなかったのだろう。

また、判決文には、被爆者救済について、
「政治の貧困を嘆かずにはおられない」
と書かれており、
これが、後の「原子爆弾被爆者に対する特別措置法」
「被爆者援護法」につながった。

国も原告も控訴しなかったため、
判決は確定。

末尾に判決文が全文掲載されている。
相当な長文で、作成者の苦労が忍ばれる。

そこには、
「原子爆弾の投下は、
当時日本国と交戦国の関係にあった
米国によってなされた戦闘行為であり、
それは当時の実定国際法(条約及び慣習法)に反する
違法な戦闘行為である」
と明確に書かれている。

また、アメリカに対する請求権は、
対日平和条約で放棄しているから
請求できない旨も明記している。

この原爆裁判に関して、
三淵さんが語ったものは何も残されていない。
沈黙を貫いたのは、自分が見解を述べることで、
わずかでも影響を残す可能性を恐れたのかもしれないが、
元々裁判官が合議の秘密を語ることは固く禁じられていたのだ。

最後に私見を。
私は前から昭和20年3月10日の東京大空襲も
広島・長崎に対する原爆投下も国際法違反であると考えてきた。
戦争は戦闘員同士で行うもので、
非戦闘員である一般市民を攻撃することは、
国際法違反であることは、
国際法で明確に定められている。
それを軍事施設ではない
一般市民の広範な住宅に対して無差別爆撃をしたのだ。
これを国際法違反と言わずして、何と言おうか。
しかし、戦後、それが国際的に問題視されたことはない。
それが戦勝国と敗戦国の力関係である。
戦勝国は全ての違反が許されているのだ。
ナチスドイツもロンドンを空襲した。
連合国もドレスデンを始め、
トイツの都市を無差別爆撃した。
日本だって、地理的利点があれば、そうしただろう。
つまり、戦争は何でもありであり、
勝った方が裁く権利を所有する。
それがニュールンベルグ裁判であり、
東京裁判であった。
戦争に負けるとは、そういうことなのだ。

しかし、日本は、
アメリカの罪を口汚くののしったりはしなかった。
むしろ、アメリカの良いところを吸収し、
国の糧とし、改造した。
そして、日本は経済的に復興し、
一時、世界第2位の経済大国として復活した。
戦争に負けたが、その後の競争で勝ったのである。
(いつまでも戦前の統治を恨みがましく言い募る韓国とは
 そこが違う。)

そういう意味で、
原爆の被爆国となったが、
その後の闘いで世界を見返したし、
今は、アメリカからは同盟国として頼りにされている。
それが日本人の賢さ
日本という国の底力というものなのだ。