[書籍紹介]
2日続けての書籍紹介となったが、
その理由は、前日の「彼は早稲田で死んだ」と
深い関連のある本だからだ。
本書は「彼は早稲田で死んだ」の筆者・樋田毅氏の聞き取りで、
語り部の大江益夫氏は、
7年間にわたって統一教会の広報部長を務めた人物。
組織の要職の人物が内情を語るのだから興味深い。
大江氏は、高校時代、
故郷の福知山で共産党系の青年組織・民青に参加した後、
統一教会の統一原理に触れて信者となり、
上京して早稲田大学教育学部に進学して、
早大原理研究会に所属、
そこで、川口大三郎君虐殺事件に遭った。
川口君の母親サトさんと深く親交し、
サトさんが大学からいただいた見舞金600万円を原資に
川口君の故郷・伊東に
早稲田の学生が安価に利用できるセミナーハウスを建設したいという意思を受け、
統一教会の学生組織・原理研究会を中心に募金を集めた。
しかし、そこで決定的な間違いを犯す。
建設資金が不十分でないため、
統一教会からの資金援助を受けてしまったのだ。
その結果、登記時、税金問題が発生し、
任意団体では登記が出来ないため、
早稲田大学関係のキリスト教団体・早稲田奉仕園の所属
とする選択肢もあったのに、
結局、統一教会の一施設となってしまったのだ。
社会的に見れば、統一教会に乗っ取られたことになる。
サトさんの意思とは、全く違う結果となったため、
大江氏は、セミナーハウス建設委員会の事務局長を辞任し、
一時教会を離れ、
後に国際勝共連合の仕事や
統一教会のプロジェクト・日韓トンネル建設の事務局長を10年間勤め、
やがて、統一教会本部に呼ばれて、
広報部長に就く。
桜田淳子の合同結婚式や
霊感商法が世間から非難されていた時期で、
「霊感商法は、株式会社ハッピーワールドにいた信者が行ったもので、
教会本部は関与していない」
という公式見解を貫く。
実際は統一教会とハッピーワールドは一心同体だったのだから、
その嘘の主張をするのは、さぞ心苦しかっただろう。
そして、霊感商法で利益を挙げることが難しくなったため、
信者から資産を献金させる方向に進み、
それが安倍晋三元総理の暗殺事件の遠因となり、
現在の宗教法人解散命令審議につながる。
7年間も広報部長を務めたということは、
内外共に評価が高かったのだろう、と思われる。
その後、教会の方針で故郷の福知山に戻り、
行政書士の事務所を経営した。
その人物が、
「彼は早稲田で死んだ」の著者・樋田毅氏と
2021年11月の川口君の50回忌法要の場で知り合い、
親交の後、相互信頼を生み、
今回の出版に至ったわけである。
内容的には、統一教会の問題点を
文教祖による経済運動への転換と見る、
いわば批判的内部告発で、
実名での表明、だけでなく、
題名にまで自分の名前をさらすのだから、
相当な覚悟をしてのことだろう。
かつて自分が所属した団体を批判することは、
残った人たちを含めて批判するのだから、
心が痛んだに違いない。
大江氏は、本が出版されるのを機に、
統一教会に退会届を提出している。
一つの宗教が原始的で純粋な段階を経て、
ある大きさになると、必ず変節する。
純粋な信仰だけでは、やっていけなくなるからだ。
それは、外部社会との接触と妥協であると共に、
教会を支える経済規模が大きくなるからだ。
特に、統一教会の場合、
韓国本部からの莫大な献金要請のノルマを果たさなければならなかった。
証券会社でも金融機関でも物販会社でもそうだが、
社員にきついノルマを課すと、
社員は必ず非合法な方向に走ってしまう。
統一教会の場合は、
それが霊感商法の発明であり、
財産を根こそぎ取ろうという献金の強制だった。
ここで、賢人・曽野綾子氏の
その宗教が本物であるかどうかの判断基準を紹介しよう。
曽野氏は「お金を出せ、という宗教は全て偽物」と断ずる。
イエスが弟子たちを派遣する時の
「あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい」
というイエスの言葉を根拠にしている。
そして、もう一つのリトマス試験紙は、
「教会の幹部が贅沢な生活をしているかどうか」。
文教祖がアメリカで住んでいた豪邸を見れば、
その試験結果は明らかだろう。
そもそも、先祖を救うために献金が必要というのはまやかしで、
先祖の救済に対価が必要、というような狭量な神であるはずがない。
イエスは業病の患者から救いを求められた時、
「そうしてやろう、清くなれ」の一言で病気を癒し、
何の対価も求めなかった。
そのような救いを与える「権威ある者」だったのだ。
統一教会の場合は、
文教祖が国際的な活動で大規模なイベントや国際会議で
自分の力を誇示しようとする傾向があり、
それらのイベントには資金が必要だった。
それらは全て徒労となるのだが。
日本からの多額の献金を吸い上げるバックボーンとなったのが、
日本が40年間韓国を統治したという
日本人の原罪意識につけこんだことで、
文教祖が韓国人であることを勘案すると、
なるほどとうなずける。
「慰安婦問題」と同じ構図が見えて来る。
40年間の統治を許されるには、
金が必要だった。
つまり、文教祖は日本を許す「権威ある者」ではなく、
常に対価を求める存在だった。
私は昭和42年の「親泣かせ原理運動」の騒動の時から
観察していたが、
当時の学生たちの活動は、
廃品回収で得たお金で貧しい生活をし、
路傍での布教活動をする純粋宗教運動だった。
共同生活での食事は
パン屋から分けてもらったパンの耳を主食とする
清貧を絵に描いたようなもので、純粋そのものだった。
その後、国際勝共連合の設立と
自民党のクソ議員に取り入る形で政治に関わり、
韓国に献金するため、世間から金をふんだくる行為に進むが、
もしあのまま、極貧の生活を守り、
純粋な信仰を貫いていたら、
世間の感動を呼び、
一大宗教運動になっていたかもしれない。
しかし、実際はそうはならず、
他の宗教と同じ、堕落の道を進んでしまった。
そのようにしてしまった文教祖の責任、
それを容認した教会幹部の責任は重い。
大江氏が指摘する
1975年の、
伝道活動の費用を生み出すための経済活動から、
韓国に送金するための経済活動に変わった転換が
曲がり角だったという指摘は間違っていないだろう。
大江氏はその是正を本書で訴えている。
そういう意味で、
本書は、あの統一教会の中に、
まともな感覚の人物がいたのかという
驚きを世間に与えるに違いない。
ここで、前日の「彼は早稲田で死んだ」で指摘した、
学生運動との共通項を挙げたい。
それは、「独善」と「若気のいたり」。
自分たちは、神のために働いており、
周囲のサタン圏からは、
富を奪い取ってき良いのだという、独善。
それをまだ年端のいかない
世間知らずの未熟な青年たちが実行したのだ。
そして、もう一つ附け加えれば、
「盲信」。
文教祖が「再臨の主」となれば、
それに従うのが善なのだから、
盲信者になってしまう。
欲を言えば、本書では、
韓国本部からの献金要求のすさまじさも
描いてほしかった。
そして、更に重大な問題提起。
教祖は間違いをしなかったか、
に進んでほしかったが、
そこは、樋田氏が質問しなかったか、(多分しただろう)
あえて記述を避けたのかもしれない。
教祖の無謬性に切り込めば、
大江氏本人の信仰を失うことにもなりかねないからだ。
また、文教祖亡き後の文一家の四分五裂についても
書いてほしかったが、
これもまた、信仰に抵触する問題だったのだろう。
大江氏は、
統一教会が変わるために
厳正なるコンプライアンスの遵守と、
多額の韓国献金を改めるよう提案している。
この提案は、
統一教会本部は受け入れないだろう。
そのことは、
昨今の日本からの送金の停滞を怒ったという、
亡くなった文教祖の後継者・韓鶴子女史の言動から推し量ることができる。
また、統一教会ホームページを通じての
本書に対する反論からも絶望的だと思われる。
「懺悔」という言葉にこだわったり、
大江氏に対する人格攻撃に終始しているのだ。
いずれにせよ、
元いた団体を批判することの痛みを克服し、
「反逆者」と呼ばれることを恐れず、
教会の本質的欠陥を指摘した
大江氏の勇気を称えたい。