空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

小説『R. S. ヴィラセニョール』

2023年01月06日 23時00分00秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

題名は、レイ・市東(しとう)・ヴィラセニョール
という、主人公の名前。
市東は母の姓で、
父はフィリピン人のリオ・ヴィラセニョール。
初めて名刺を作る時、
市東鈴(れい)にするか、
レイ・ヴィラセニョールにするか悩んだ末に、
レイ・市東・ヴィラセニョールと印刷する。
外見は明らかにメスティソ(スペイン語で混血、混血児の意)。

美大を出て、房総半島の御宿に工房を構える若手女性染色家
父から継いだフィリピンの血と母からの日本。
日本で生まれ育ったことから、自分を日本人と考えるが、
父の抱えたフィリピン人の根っこからは逃れられない。

しかも、染色家という最も日本的な職業を選択した。
近所に住むロベルトと親交があるが、
ロベルトも父がメキシコ人、母が日本人のメスティソ。
草木染をする人で、レイの仕事を好意で手伝っている。
他に美大時代の先輩で
現代琳派の画家の根津がいる。

大学を卒業後、
江戸更紗の老舗に勤め、跡取り息子は恋愛関係に陥るが、
父親に「職人として働いてもらうのはいいが、
うちの嫁にはできない」
と言われて破局した。

デザインを考え、型紙を彫り、
それを元に色を染め、反物を作成するレイの日常が淡々と描かれる。
最近、銀座の呉服店に認められ、仕事が継続するめどが立った。
展示会で受章して、評価もされている。

並行して、月島に住む父母との交流が描かれる。
父のリオは国元の家族を養うために日本に出稼ぎに来た。
日本での1カ月の給料が、
国での1年間の年収に相当するため、
仕送りして、家族を支えた。
弟のフェルは勉強して弁護士になり、
今でも兄に恩義を感じている。

父は日本語で話す時は日本人だが、
タガログ語が話す時はフィリピン人に戻る。
日本とフィリピンの血がレイの中で相剋する。

衣桁掛けの華やかな訪問着に日本人らしい美しさを見ながら、
物足りなさか行き過ぎを見てしまうのも、
純粋な日本人とは異なる色感のためであった。
父から継いだマレー系とスペイン系の血が過敏症を起こして、
ああ色の始末が悪いと思うことがよくある。

(リオは)何十年と暮らしても違和感の塊であり、
帰るべきところを別に持つ人であった。
日本語を話し、日本女性を愛し、
麺類をすすっても日本人には見えないし、
なれない。
だから永遠に郷愁がつきまとう。

日本の中の異物という点で、
父と娘は同体であった。
日本人になれないリオはそれでもいいが、
日本人でしかないレイは
一生異物のままではいられない。

その父がガンにかかり、
残った歳月を数えるようになった時、
故郷に帰りたがるようになった。
余命いくばくもない状態になった時、
日本を訪れた弟のフェルにより、
ヴィラセニョール家の歴史が語られる。
リオの父はマルコス時代に迫害にあって死に、
マルコスに対する復讐の念があったのだ。

小説の冒頭、
ハワイでの亡命者の死に触れているのだが、
それがフェルディナンド・マルコスだと、この部分で明白に分かる。
マルコスはフィリピンを20年間支配した独裁者で、
日米からの援助金を着服し、
国家資産を着服し、
巨万の富を気づいた人物。
小説の中では「強欲な天才的な詐欺師」と表現する。
そのマルコスにの正体を暴いたのが
レイの父親のオニーで、
新聞紙上でマルコスを批判して目をつけられ、
最後は非業の死をとげる。
マルコスは民衆に追われてハワイに亡命するが、
リオはその命を付け狙う。
1989年のマルコスの死から4年後、
その死体は国に帰還をとげ、
冷凍保存して展示されるが、
リオはその死体の破損を企てる。
そして・・・

父の国を思うとき、
彼女は腐敗と暴力の歴史を憎まずにはいられない。
あまりに欲深い人たちがいて、
あまりに無力な人たちが苦労する国であった。
暗黒の時代が終わって三十年が経つ今も
腐敗と格差は続いて、
社会の中身はさほど変わっていない。

一部に藤沢周平の後継者という意見をもあった乙川優三郎だが、
最近では、時代小説よりも現代小説の作家になってしまった。
フィリピン人と日本人の血の相剋に悩む染色家という
大変難しい題材に挑戦した作品。

小説新潮に2016年7月号から11月号まで連載。
その直後の2016年11月18日、
マルコスの遺体は国立英雄墓地に土葬された。


夫人のイメルダ・マルコスは帰国後、国会議員になり、
息子のフェルディナンド・ロムアルデス・マルコス・ジュニア、
(通称:ボンボン・マルコス 65歳)は、
2022年6月、フィリピンの第17代大統領(父は第10代)に就任している。


つまり、マルコス王朝の復活である。
どうもフィリピン国民はマルコス時代への郷愁があるようだ。

マルコス夫妻がハワイに亡命した後、
住居であったマラカニアン宮殿に
1060足の靴が残されていたことは有名だが、
イメルダが亡命先のハワイで、
宮殿に残してきた豪華な靴が無いことを嘆いた事が報道されると
「同情」した人々により
「善意」で、
片方だけの靴やサイズが不揃いで履けない靴や、
古ぼけて汚れた靴が、主にアメリカ本土より
イメルダのもとに、大量に届けられた。
アメリカ人の皮肉は面白い。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿