[書籍紹介]
一人の少年と、一人の母親の
1967年から2022年までの
50余年の人生を通じて、
昭和・平成・令和と続く日本人の精神世界を描く
角田光代の最新長編。
2022年から一年間、
「週刊新潮」に連載されたものを加筆。
1967年に、鳥取県のある町で生まれた柳原飛馬(ひうま)。
鉱山で働いていた祖父は
かつて地震を予知して人々に避難するよう呼び掛けてまわるさなか
土石流で命を落とし、命拾いした人々に称えられたという。
その石碑もあるらしい。
飛馬は父から「祖父の立派な行動に恥じることのない男になれ」と言われてきた。
県庁所在地に引っ越した後、小学六年生の時に母が亡くなるが、
患者たちの会話を聞いて、母親が癌で余命いくばくもないと思いこんだ飛馬は
母親の前で泣いてしまい、
母親が自死したことについて、
自分の取った行動が母親を死に至らしめたと
大きな悔いを残すことになる。
飛馬はバブル期に大学を卒業し、
都の特別区職員に採用される。
「どこかで人の役に立ちたいと思ったんでしょうね。
たぶん、父の教えもあって、誰かを助けなきゃいけないという
固定観念で自分を縛ってきているんです」
やがて地域支援課に異動した飛馬は、
民間団体の子ども食堂の立ち上げに協力し、
SNSの非公式アカウントで食堂関連の情報を発信していくことになる。
もう一人の人物、15歳ほど年上の望月不三子は
1950年代に東京の久我山で育ち、
高校時代に父親を亡くして大学進学を諦め、
卒業後は製菓会社に就職。
1975に結婚すると共に退職してやがて妊娠。
人に勧められて区民センターの料理教室に通い始め、
講師の勝沼沙苗の自然療法や食事法の教えに傾倒していく。
不三子は勝沼沙苗の教えの通りに家庭での献立を考え、
夫や子ども達に食べさせようとするが、
夫は不三子の作る食事を拒否し、
娘はよその家でおやつをむさぼり食う。
不三子は、子どもにワクチンを受けさせることもためらう。
その結果、海外に行った娘が麻疹にかかり、
夫から激しく責められる。
あれほど大切に育てた娘は、
大学卒業の2日前に、
不三子に今までの不満を並べ立てて、姿を消す。
卒業式にも出ずに、どこかに行ってしまう。
物語はこの二人の人物を交互に描き、
ある時点で交錯する。
実は、その前に間接的に関わっていたのだが、
不三子はそのことを知らない。
こうした二人の人物を描くと共に、
その背景に高度成長時代、バブル時代、
停滞期の日本の世相を反映させる。
サリン事件、阪神淡路大震災、東日本大震災、コロナ禍と
さまざまな出来事が直接間接に二人の生き様に影響を与える。
更なる背景として、コックリさん、未来さん、
ユリ・ゲラーや、UFO、ノストラダムスの大予言、
2000年コンピューター問題といったデマに翻弄される
ある世代の人々の精神を描く。
それは、コロナとウィルス接種にまつわる
様々なデマと陰謀論者の言説につながる。
情報の拡散には、通信手段の発達とSNSの普及が大きな役割を果たす。
あれほど騒いだ1999年の7月、世界は滅びなかった。
恐怖の大王は降りて来ず、
第3次世界大戦は起こらなかった。
不三子の料理に対する姿勢も
本人はよかれと思っているけれども
デマに惑わされているかという視点もある。
不三子の母親の戦争体験を通じて、
日本が勝つなんて、国を巻き込んだデマだったという観点も述べる。
なにより、病院の患者の会話を鵜呑みにした
飛馬こそ、デマに踊らされたのではないか。
飛馬の祖父が地震を予知して人々を救ったという話も
嘘だったのではないかと疑われる。
地震が来ると叫ぶ祖父は風変りな老人のたわごとととられたのではないか。
それは、ノアの方舟にもつながる。
もしも洪水が起きなかったら、
ノアは世界が終わる予言する変な人とみなされていただろうな、と。
題名の由来である。
二人の人物の人生の話だが、
実は、戦後日本の物語でもある。
なかなか奥の深い読書体験であった。
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