空飛ぶ自由人・2

旅・映画・本 その他、人生を楽しくするもの、沢山

映画『君を想い、バスに乗る』

2022年06月10日 23時00分00秒 | 映画関係

[映画紹介]

妻メアリーを見送った90歳のトム・ハーパーは、
住んでいたスコットランドの最北端の町、ジョン・オ・グローツから
昔住んでいたイングランド最西南端の町、ランズエンドまでの旅を企てる。
グレートブリテン島を斜めに縦断する1300キロ。

 


移動手段はバス。
高齢者福祉で手にした無料パスを使って、
バスを乗り継いで行こうというのだ。

途中、様々なことが起きる。
寝過ごして終点まで行ってしまい、
宿が取れずに路上で寝たり、
大切なものが入っているカバンを奪われそうになったり、
イスラムの女性を庇ったために
反イスラムのチンピラに絡まれたり、
チアガールたちの座席に巻き込まれたり、
結婚式の帰りの連中と遭遇したり、
誕生日パーティーに招かれたり、
無料パスはイングランドでは無効だと
バスの運転手に言われて降ろされたり、
その度に、多くの親切な人々の助けで、旅を続ける。

乗っていたバスが交通事故を起こして、
ケガをしたトムは病院に運ばれ、
医師からこのまま入院治療をするよう促される。
この時、実はトム自身も末期癌に侵されていたことが分かる。
トムは医師の制止も聞かず、
「私には時間がない、
行かなければならない場所がある、
しなければならないことがある」
と言って、旅を続ける。

やがて、トムのことを撮った動画がSNSに投稿され、
「バスの旅を続ける謎の老人」
は、本人が知らぬ間に有名人になってしまう。
やがて、目的地のランズエンドに辿り着いたトムは・・・

ここで、トム夫妻がなぜ故郷を捨てなければならなかったか、
わざわざ、一番遠い町に住まなければならなかったか、
ランズエンドに向かった理由は何か、
大事に持っていたカバンの中には何が入っていたのか、
が明らかになる。

旅の途中、若い時のトムと妻のメアリーの姿が
画面の中に登場する。
そして、老齢になった夫婦の姿も回想と幻覚の中に現れる。

人生は長く、若い時から壮年となり、やがて、老齢を迎える。
どんな年寄りにも、若い時があり、
夢と希望に満ちた時がある。
反対に、生まれ故郷を捨てなければならないような深い悲しみも。

トムとメアリーの旅路は、
二人の共有した輝くような時の連鎖。
そして、黄昏を迎えて、
妻との約束を守るために、旅に出た老人。
その途中で、人間の善意と悪意の両方に出会い、
まさに、人生そのものの旅をする。

若い時は、年取った時のことなど、想像できないものだが、
この映画は、年齢を重ねること、
死を予感することの中で、
振り返れば、輝かしい人生だったことを感じさせてくれる。

私のような人生の最終段階を迎えた者にとっては、
身につまされる内容だったが、
しかし、肯定的に描かれているので、
胸を打つ。

イギリスの片田舎の風景、

様々なバス停の様子が興味深かった。

ある一人の高齢者の旅を通じて、
人生を描くロードムービー。
なかなかの作品だった。

トムを演ずるのは、英国の名優ティモシー・ スポール


監督は、ギリーズ・ マッキノン
原作はジョー・ エインズワース

5段階評価の「4. 5」
 

 


ラムしゃぶ

2022年06月09日 23時00分27秒 | 様々な話題

先日のこと。

日比谷で1本映画を観た後、

高架線の脇を通って新橋方面へ。

最近、このあたりは最近、「コリドー街」と呼ばれていて、

飲食店が軒を連ねます。

その終わりあたりにある、この店へ。

夕方4時なので、空いています。

このようなガスコンロがあって、

鍋が。

肉はこれ。

ラムしゃぶの店。

娘の紹介で来ました。

食べ放題なので、1回おかわり。

超薄切りなので、いくらでも食べられます。

締めは、ラーメン。

最後に、こんなデザート(?)が。

日本の飲食店は、世界中の種類豊かな料理が食べられ、最高。

 


小説『隠し女小春』

2022年06月07日 22時54分52秒 | 書籍関係

[書籍紹介]

「隠し女」は、「かくしめ」と読む。

大手出版社で校閲者として働く矢野聡(あきら)には、
誰にも言えない秘密があった。
横浜・黄金町のギャラリー「人形(ひとがた) 」で出会った
ハンガリー製のラブドール小春と名づけ、
一緒に暮らしているのだ。

ラブドールと言っても分からないかもしれないが、
ダッチワイフと言えば分かる方も多いだろう。


主に男性がセックスを擬似的に楽しむための
実物の女性に近い形状の人形。
特に皮膚に相当する部分がシリコーンなどで作られ
感触や形状が実物の女性に近い高価な人形を指す。

聡の場合、疑似セックス目的というよりも、
ベッドで小春の体を弄びながら話しかける日々。
精神安定剤的な効果で眠りをもたらしてくれる。

彼は、偶然目に留めた雑誌の記事に導かれて
ラブドールと出会い、
共に生活するうち、
それまで悩まされていた不調や不安が解消され、
深い眠りと安心を手に入れるという、
得難い経験をした。

聡はラブドール専門のメイクアップアーティストを雇い、
その顔を聡好みに変えてもらう。
小春は凄絶な美女に変身する。

聡には、愛人がおり、
女性バーテンダー・鵜飼千賀子との性的関係が
月1度くらいの頻度で続いていた。
千賀子は、以前に出演料目当てでAVに出演したことがあり、
たった1本の出演だったが、
評判が高かった。
客の一人から、その前歴を脅迫され、
関係を迫られたあげく、
その男性を殺したりもする。

もう一人、女性が登場する。
映画字幕制作者の茜屋恭子で、
千賀子の店で出会い、
肉体関係に発展する。

実は、恭子は聡のマンションの向かいに住んでおり、
別のところで聡に会って以来、
聡の動向を探るために、
向かいに移転してきて、
双眼鏡で聡の生活を盗み見つつ、
接触の機会をうかがっていたのだ。

(このあたりは、ヒッチコックの「裏窓」のよう。)

千賀子の店に聡が出入りしていることを知るや、
店の客となり、
聡が訪れる日、隣席に座り、
聡と知り合いになったのだ。
恭子は、知的な魅力の持ち主で、
聡の心を掴み、ついに結婚まで決意する。

そこで障害が二つある。
一つは千賀子との関係の清算。
もう一つは小春の処置。

実は、小春は人形でありながら、
意志を持つようになり、
聡と会話をするようになっていたのだ。
はじめのうち、
聡の幻想のように描かれているが、
やがて、それは実際の描写になり、
聡の可愛がっている金魚を手にかけ、
マンションを出て外を歩くようになる。
聡と千賀子の関係も後をつけて確認していた。
ベッドルームに置いてあったので、
恭子の双眼鏡での監視にはひっかからなかったのだ。

恭子のことを小春に
「これまで会ったことのないタイプだな。
時々胸の鼓動が速くなった」
と話したことから、
小春の嫉妬心を誘う。
しかも、その女を千賀子と勘違いして、
階段から落とすことまでしてしまう。

というわけで、
恭子の結婚のさまたげになる千春の処理を巡り、
最後はホラー的な展開になる。
黄金町のギャラリーに返品しても、
戻って来てしまう。
ついに、聡は山奥に小春を連れていって、
首吊りにしてしまうが・・・

その後の恐るべき展開。
映像化したら、さぞ面白い映画になるのではないか。
誰が小春役をやるかが問題だが。

芥川賞作家の辻原登の作品。
76歳になって、このような作品を書く。
いや、76歳だから書けるのか。
「文学界」に2020年から21年にかけて連載し、
この5月に単行本化。
「文学界」に掲載されたのなら、
純文学?
それらしい感じはあるが、
ずっと読みやすい。

生命のないはずの人形に心が宿る。
しかも、凄絶な美女で、モデル体型。

ラブドールについて、蘊蓄(うんちく)が語られる。


生(人間)を探求するより、
死(人形)と親しむことに執着する欲望の普遍性。
小春の名前は、
近松門左衛門の「心中天網島(しんじゅうてんのあみじま)」の
ヒロインの名前から付けた。


人形浄瑠璃からだから、
そこにも人形と死の親近性が匂わされている。
それだけでなく、
字幕制作者が出て来るから、
映画の字幕についての蘊蓄も豊富。
実際の店やレストランが頻繁に登場する。

西部邁のエッセイ中の言葉。
もとはチェスタトン(イギリスの作家、批評家、詩人、随筆家) 
の言葉らしい。

「人生をよいものにするのは、
一人の良い友、
一冊の良い書物、
一つの良い思い出、
そして一人の良い女」

 


映画『東京2020オリンピック SIDE:A』

2022年06月06日 23時27分09秒 | 映画関係

[映画紹介]

昨年開催された東京オリンピックの公式記録映画
オリンピックを開催した際、
記録映画を製作することは、
オリンピック憲章に定められている。
それだけに監督の人選が重要だが、
結局、国際映画祭で受賞歴のある河瀬直美に決まった。

2部作で、SIDE:Aは
表舞台に立つアスリートを中心としたオリンピック関係者を描き、
SIDE:Bでは
アスリートを支える大会関係者、
一般市民、ボランティア、医療従事者、
開催に反対する人々などの非アスリートの姿に焦点を当てるという。

で、SIDE:Aが普通のスポーツ中心の記録映画となる、
と思ったら、少々違った。

オリンピックの記録なのだから、
競技中心に描かれるはずだが、
監督の関心は、そういうところにないらしく、
たとえば、イランの柔道選手が、
国際大会でイスラエルの選手と対戦しないように工作され、
イランを発ってドイツに難民申請。
その後、モンゴル国籍を取って、
モンゴル選手として、オリンピックに臨む姿。
ウズベキスタンの体操選手は、
様々な国代表としてメダルを取るが、
今回、初めてウズベキスタン選手としてメダルを狙う。
アメリカの女子バスケット選手は、
家族同伴禁止の規則に対して、
乳幼児に母乳を与えたいから、と特別申請で許可され、
幼児同伴で選手村に入る。
等々、そうした事情は個々の事情で、
競技に直接反映されるわけではない。

オリンピックの記録である以上、
競技のアスリートの美しさを描写すべきなのだと思うが、
監督はそんなことには関心がない、
というか、スポーツに対する感性がないのだろう。
(唯一それらしいシーンは、サーフィンのみ)

全編、ナレーションはない。
それは、ドキュメンタリーの今の趨勢だからいいが、
インタビューの過剰さが
それを打ち消す。
たとえば、柔道の関係者の意見など、
そんな思い入れなど、競技そのものを描けば終わることだ。
柔道は編中3回も登場する。
女子バスケットも2回登場するが、
国体にバスケットボール奈良県代表として出場した経験がある
河瀬監督の思い入れか。
そのバスケットも育児のために引退したらしい
元バスケット選手の視点から描かれる。
何の必然があるのか。
その上、先に述べた母乳授乳をしたアメリカの選手との
交流を描いたりする。
育児のために参加を辞めた者と
貫いた者の対比か。
空手の喜友名諒選手の勝利の後、
沖縄島民の感想など、不要な要素を織り込む。

そういう意味で、
オリンピック競技の記録とは異なる
東京オリンピックで目にしたアスリートの
美しい感動の瞬間はほとんど出てこない。
だから、観ていて、楽しくない
監督の視点と感性の押し売りだからだ。
途中、時計を何度も見て、
「早く終わらないかな」と思ったのは、久しぶりの経験。
編集もうまくない。
音楽も最小限。
冒頭、へんな歌い方の「君が代」が流れる。

柔道が3回、女子バスケットが2回も出て来るのに、
体操も水泳も卓球も出て来ない。
SIDE:Bで描かれるのかもしれないが、
SIDE:Bは、非アスリート中心の大会の裏面だというではないか。

比較してもしかたないのだが、
やはり比較してしまうのは、
1964年の東京オリンピックの公式記録映画。


市川崑監督によるこの映画は、
当時、「記録か芸術か」などという的外れな論争を巻き起こしたが、
実によく出来ていた。
なにより、編集の妙と、黛敏郎の音楽が素晴らしく、
三国一郎によるナレーションも過度ではなく、
適切だし、内容があった。
インタビューは、空港でだけ。
選手の事情は、チャドの選手の逸話だけ。
徹頭徹尾、競技中心に描いていた。

実は、本作を観た後、
家で市川崑版の「東京オリンピック」を再び観たが、驚嘆した。
選手に対するリスペクトオリンピックに対する愛情があふれているではないか。
どちらも河瀬版に欠けているものだ。
その上、当時のフィルムカメラで
よくこんな映像を撮ったと思われる
美しく、感動的で詳細な場面が続く。
何より、選手の顔や表情が雄弁に物語る。
河瀬版のインタビューで補完するのとは、対極だ。
ユーモアもあり、
公開当時、先生の引率で
目黒の映画館で観た時、
場内が高校生の笑いで満たされたのを思い出す。

振り返れば、今回の東京オリンピックは、
会場設計のザハ氏、
ロゴ作成の佐野氏、
開閉会式のエグゼブテブ・ディレクター、
ショー・ディレクター、
そしてなにより、森喜朗オリンピック委員会会長と、
人選ミスばかりだが、
公式記録映画の監督の人選も誤ってしまったようだ。
彼女の作品歴をちゃんと調べたのだろうか?
観ていれば、今回の結果は予想できただろうに。

とにかく、変な映画を観せられた、という感想。

Yahooの映画レビューの平均点が1.9というのも驚いた。
その後2.2まで持ち直したが、
この低評価は只事ではない。
私が見たのは、公開2日目の土曜日の昼の回。
観客は、わずか6名。
「五輪が無観客試合だったから、映画も無観客」
では笑えない。
SIDE:Bは、更に観客を減らすだろう。
私は観ない。

このブログの映画評では、
「わざわざ映画の観客を減らすことはない」
という観点から、
けなすような映画は元々取り上げないのだが、
映画評の使命の一つである
「観るべき映画、観るべきでない映画の選定」
という点から、
本映画は後者に該当するものとして
掲載した。
観なくていい

5段階評価の「2」

 


浦安シティオーケストラ演奏会

2022年06月05日 23時00分11秒 | わが町浦安

今日は、午後から、再びここへ。

浦安市市民会館

公演は、これ。

浦安シティオーケストラの定期演奏会。

浦安シティオーケストラは、
浦安市にゆかりのあるアマチュア演奏家を中心に
1989年に創立。
メンバーは80名。
年に2回演奏会を開催。
今回は、コロナ禍を乗り越えて二年振りの演奏会

練習は毎週日曜日の午後。

団費は月2000円。(安いね) 
演奏会費として、別途、15000円ほど供出。
つまり、お金を払って市民に聴いてもらうわけです。
多分、市からも補助金が出ていると思われます。

チケット代は、一般1000円。
大学生以下と65歳以上は500円。
500円でフルオーケストラの演奏が聴けるなんて。

↑の写真は、前回のもの。

演奏曲目は、
ブラームス:悲劇的序曲」
ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調
ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調「新世界より」 

ソリストは、日頃からトレーナーもしている
横山俊朗氏(ヴァイオリン)、
桑田歩氏(チェロ)。
指揮は若手指揮者の西口彰浩氏。

アマチュアと軽く見るなかれ。
しっかりと、音を響かせていた。

「新世界より」は、やはり耳になじんでいる曲だから、聴きやすい。
私は、ステージ後方のティンパニの隣の奏者に注目。
この人、ずっと演奏せずに座っている。
第3楽章になって、ようやく立ち上がった。
実は、この人、トライアングルとシンバルの担当。

トライアングルの演奏者は、
第3楽章しか出番がない。
通常、録音したものでは、ほとんど聞き取れないが、
生演奏では、耳がフルレンジなので、
しっかり耳に届いた。
第4楽章ではシンバル担当。
シンバルの出番は、たったの1回。
あとは座っているだけ。

倉本聰の単発ドラマで、
「ああ!新世界!」(1975)というのがあるが、
フランキー堺扮する演奏者が、
緊張のあまり、該当箇所でシンバルを鳴らすのを忘れ、
指揮者が口で「シャーン」と言う。
そんなことを思い出した。

たった500円での耳福。
幸福な午後だった。