カエサルの世界

今年(2019年)1月中旬から「休載中」ということになっているのだけど、まあ、ときどき更新しています。

◎青葉まつり2017(07)祝いの儀

2017年05月25日 | ★イベントとか  

 「青葉まつり2017」シリーズの7回目です。
 今回は、2日目(本まつり)の「時代絵巻巡行」の後半です。「伊達時代行列」が始まるところからということになります。
 「山鉾巡行」が中断されたところなので、ちょっとヘンな感じはあったんですけど、次々といろんなものがやって来るので、あまり気になりませんでした。


 弓隊・尖帽鉄砲隊


 伊達戦国家臣団




 1枚目は、伊達政宗。この日、伊達政宗に扮した人は10人以上いたと思うんだけど、この写真で白馬に乗っているのは伊達家当主の伊達泰宗さんです。
 2枚目で馬に乗っているのは、伊達秀宗(政宗の長男、宇和島藩初代藩主)と伊達輝宗(政宗の父)です。秀宗に扮しているのは、宇和島伊達家当主の伊達宗信さんです。


 この紫色の箱みたいなものは、何なのかわかりません。忍者みたいな人たちが運んでいるわけですけど、ますますわかりません(笑)




 甲冑武者隊。1枚目が岩出山武者隊で、2枚目が白石片倉甲冑隊なんだと思うんですけど、逆かもしれません。


 この日は、支倉六右衛門も5人くらいいたと思います。この六右衛門さんは川崎町の六右衛門さん。気さくに声をかけてくださる方でした。

 ここまでが「伊達時代行列」で、この後は「青葉神社神輿渡御」ということになりますが、いろんなものが次々とやって来るということに変わりはありません。




 触れ太鼓


 サルタヒコ


 青葉神社神輿


 青葉神社の宮司さん・・・のはずなんですが、違うという気がします。パンフレットには何も書かれていません。
 アナウンスはあったはずなんですが、スタート地点(一番町付近?)での出来事についてのものなので、それぞれの地点とはかなりのタイムラグがあります。何か言っていたような気がするけど覚えていないというのが実情です。


 仙台藩士会。「せんだいはんしかい」と読むのだと思いますけど、パンフレットでは「あおばじんじゃみこし」とルビが振ってありました。
 何人もの方がチェックしたんだと思いますけど、こういうところ、気がつかないんですよね。わかる気がします。




 だるま神輿

 ここで、時代絵巻巡行が中断されました。何かの事故があったというわけではなく、「伊達政宗公生誕450年 祝いの儀」を定禅寺通りで行うためです。
 カエサルのいたところ(定禅寺通りの南側、東京エレクトロンホールの向かい側あたり)では、「青葉神社神輿渡御」は来たけれど「誉祭連流し」は来ていないというところでした。定禅寺通り北側の一番町付近では「伊達時代行列」さえ来ていなかったかもしれません。「山鉾巡行」も中断したままです。
 今年の時代絵巻巡行、ズタズタです。


 「祝いの儀」の行われている定禅寺通りです。
 アナウンスが聞こえてくるので「祝いの儀」をやっているということはわかるんですけど、カエサルのいたところからは何も見えません。どこでやっているのかさえわかりません。




 15分だけだから我慢しようと思ったんですけど、予定の時間を過ぎても終わりそうにありません。だんだん腹が立ってきました。結局、姿も見えない方々の挨拶などを30分間も聞かされることになりました。
 よかったことと言えば、沿道の最前列にいた人たち(巡行の始まる1時間くらい前から待っていたような人たち)が次々と帰っていったということでしょうか。そのおかげで、最前列に出ることができたし、縁石に腰掛けることもできました。

 どうして「祝いの儀」を定禅寺通りでやったのでしょう。
 どうして「祝いの儀」を市民広場でやらなかったのでしょう。




 「祝いの儀」が終わって「伊達時代行列~青葉神社神輿渡御」が再開されたのは 15:05でした。その「青葉神社神輿渡御」が終わって「山鉾巡行」が再開されたのは 15:15くらいだろうと思うのですが、すべての山鉾が一斉に動き出せるわけではありません。政宗公兜山鉾が動き出したのは 15:25でした。
 「山鉾巡行」が中断したのは 14:05でしたから、政宗公兜山鉾は1時間20分も停まっていたということになります。




 七十七銀行「七福大太鼓山鉾」

 ようやく、七十七銀行のフンドシ姿を見ることができました。青葉まつりの名物のひとつで、楽しみにしていました。でも、待たされ過ぎたので、かなりテンションが下がっちゃいました。
 観客として待っているのもたいへんだったわけですけど、山鉾に乗っている人たちや山鉾の前後で待機している人たちはもっとたいへんだったろうと思います。
 子供たちだって少なくないんですよね。政宗公兜山鉾に随行していた小学生たちは、1時間20分、アスファルト道路の上に座らせられていました。だるま神輿を担いでいた中学生たちは、30分間、座らせられたんだと思います。

 何はともあれ、「誉祭連流し」がやってきました。ようやく来てくれました。


 伊達衆「一ノ座」


 大和雀 翔


 仙千代祭連


 ◆朱雀


 六軒丁睦


 まつりめごひめ


 仙臺雀踊壹番組

 ここで、「誉祭連流し」が打ち切りになりました。「祝いの儀」が伸びたためだと思います。
 定禅寺通りの北側にいた人たちは「誉祭連流し」をほとんど見られなかったんじゃないかと思います。今年の時代絵巻巡行、ズタズタズタズタです。


 「青葉まつり2017」シリーズ、今回(第7回)の記事のサブタイトルを「祝いの儀」としました。
 終わったことだし、お祭りのことだし、おめでたい話なんだし、よかったよかったということにしちゃえばいいのかもしれませんけど、カエサルとしては書いておくべきだと思いました。こういうことが繰り返される可能性があるからです。50年後、100年後の話ではありません。早ければ、今年6月の「絆まつり」で同じようなことが繰り返されることになります。

 6年前の「六魂祭」ではさまざまなトラブルがあったわけですが、「想定外の観客が集まった」という事情は理解できると思っています。
 でも、今年の「祝いの儀」については、それを定禅寺通りで行えばどのようなことになるのか、すべて予見できたことだと思います。また、「祝いの儀」を市民広場で行っていれば、この記事に書いたようなトラブルはほとんど起こらなかったということも言えると思います。
 それなのに、何故、市民広場ではなく定禅寺通りで「祝いの儀」を行ったのか。カエサルにはまったく理解できないのですよ。

 次回(第8回)は「総踊り」です。
 第1期、時系列シリーズの最終回ということになります。


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