今回は、2日目(本まつり)の「時代絵巻巡行」の後半です。「伊達時代行列」が始まるところからということになります。
「山鉾巡行」が中断されたところなので、ちょっとヘンな感じはあったんですけど、次々といろんなものがやって来るので、あまり気になりませんでした。
2枚目で馬に乗っているのは、伊達秀宗(政宗の長男、宇和島藩初代藩主)と伊達輝宗(政宗の父)です。秀宗に扮しているのは、宇和島伊達家当主の伊達宗信さんです。
アナウンスはあったはずなんですが、スタート地点(一番町付近?)での出来事についてのものなので、それぞれの地点とはかなりのタイムラグがあります。何か言っていたような気がするけど覚えていないというのが実情です。
何人もの方がチェックしたんだと思いますけど、こういうところ、気がつかないんですよね。わかる気がします。
カエサルのいたところ(定禅寺通りの南側、東京エレクトロンホールの向かい側あたり)では、「青葉神社神輿渡御」は来たけれど「誉祭連流し」は来ていないというところでした。定禅寺通り北側の一番町付近では「伊達時代行列」さえ来ていなかったかもしれません。「山鉾巡行」も中断したままです。
今年の時代絵巻巡行、ズタズタです。
アナウンスが聞こえてくるので「祝いの儀」をやっているということはわかるんですけど、カエサルのいたところからは何も見えません。どこでやっているのかさえわかりません。
よかったことと言えば、沿道の最前列にいた人たち(巡行の始まる1時間くらい前から待っていたような人たち)が次々と帰っていったということでしょうか。そのおかげで、最前列に出ることができたし、縁石に腰掛けることもできました。
どうして「祝いの儀」を市民広場でやらなかったのでしょう。
「山鉾巡行」が中断したのは 14:05でしたから、政宗公兜山鉾は1時間20分も停まっていたということになります。
観客として待っているのもたいへんだったわけですけど、山鉾に乗っている人たちや山鉾の前後で待機している人たちはもっとたいへんだったろうと思います。
子供たちだって少なくないんですよね。政宗公兜山鉾に随行していた小学生たちは、1時間20分、アスファルト道路の上に座らせられていました。だるま神輿を担いでいた中学生たちは、30分間、座らせられたんだと思います。
定禅寺通りの北側にいた人たちは「誉祭連流し」をほとんど見られなかったんじゃないかと思います。今年の時代絵巻巡行、ズタズタズタズタです。
終わったことだし、お祭りのことだし、おめでたい話なんだし、よかったよかったということにしちゃえばいいのかもしれませんけど、カエサルとしては書いておくべきだと思いました。こういうことが繰り返される可能性があるからです。50年後、100年後の話ではありません。早ければ、今年6月の「絆まつり」で同じようなことが繰り返されることになります。
でも、今年の「祝いの儀」については、それを定禅寺通りで行えばどのようなことになるのか、すべて予見できたことだと思います。また、「祝いの儀」を市民広場で行っていれば、この記事に書いたようなトラブルはほとんど起こらなかったということも言えると思います。
それなのに、何故、市民広場ではなく定禅寺通りで「祝いの儀」を行ったのか。カエサルにはまったく理解できないのですよ。
第1期、時系列シリーズの最終回ということになります。
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