「終戦ではなく敗戦ではないのか?」と言う人がいたのだけど、「大日本帝国にとっては敗戦、日本国にとっては終戦」ということだと思います。よかったよかったの日、70回目です。
そういう話を書こうかとも思ったのだけど、政治的なことを書こうとすると、理性よりも感性が先走ってしまって、ネットに氾濫する「頭のおかしな人たち」と同じようなことしか書けなくなっちゃうんですよ。ああしたケンケンゴウゴウに加わる気はさらさらないので、「カエサルは、自由と平和を愛しています」と言うに止めておきたいと思います。
今回の記事のテーマは、終戦記念日も70年談話も安保法案も原発再稼働も関係ありません。「日なたの気温」についてです。
やんちゃな小学生がツイートしちゃったというわけではありません。レッキとした放送局の、しかも天気予報関係のアカウントなんですけど、「日なたの気温」って何なんでしょう?
たしかに、「日陰の気温」と「日なたの気温」には若干の違いがあるのかもしれません。でも、日なたで気温を測ることなどできません。特別な方法を駆使すれば可能かもしれませんが、写真を見る限り、普通の温度計(クレセルCR-3000W?)で温度を測っているだけです。この状態だと、直射日光によって温度計自体の温度が上昇します。 44.9℃というのは「気温」ではなく「温度計の温度」ですね。
カエサルも、似たようなことをやったことがあります。
06:27で-5.9℃、07:11で-6.1℃でした。仙台では異例の寒さです。
この後、温度計をしまい忘れて、ベランダに出しっ放しにしてしまいました。
温度計の数値は 33.8℃になっていました。びっくりしましたね。温度計が壊れちゃったんじゃないかと思いました。
でも、直射日光を浴びた温度計の温度が上昇しただけの話ですね。気温は、氷点下のままだったろうと思います。
ちょっと考えてみれば、こうしたことはいくらでも経験しているということがわかります。夏の砂浜は素足では歩けないくらい熱くなるし、炎天下に置かれた車のボンネットは火傷しそうなほど熱くなります。
でも、このときは気温を測っていたところだっただけに、気温が 33.8℃になったかのような気がしてしまったんですね。
夏にして冬を忘れず、冬にして夏を忘れず。
この国が、70年前までどんな国だったのかも忘れてはなりません。
・・・などと、強引に終戦記念日に結びつけてみようと思ったのだけど、忘れないようにする前に覚えなくちゃいけませんね。何となく知っているつもりでいるということほど怖いことはありません。勉強したいと思っています。
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