カエサルの世界

今年(2019年)1月中旬から「休載中」ということになっているのだけど、まあ、ときどき更新しています。

●マンガ三昧(世界の創造)

2016年05月05日 | ☆読書とか    

 あいかわらず漫画を読みまくっています。
 先月(4月)は、ちょうど200冊読みました。
 今月は、昨日までの4日間で、51冊読んでいます。
 すべて、キンドルの無料版です。
 とりあえず10作くらいをダウンロードしておいて、それを読み終えたらまた10作くらいをダウンロードするということを繰り返しています。読んでも読んでも無料版が出てくるというのには感心します。お金を出してマンガを読んでいる人の気持ちがわからなかったりします。
 乱読しているということになりますが、苦手な分野というものはあります。基本的に少女漫画は苦手だし、あまりにも子供向けの少年漫画も辛いものがあります。そうした分野に挑戦してみると、予想外に面白い作品とエンカウンターすることもあります。そうじゃない場合も多いわけですけど、挑戦できるということがありがたいことだと思っています。


 話がとぶことになりますが、とにかくいろんな作品を読んでいて思うのが「世界の創造」ということです。この記事のサブタイトルにしてしまいました。そうしたことを考え始めたという段階で、評論めいたことを書くつもりはありません。
 漫画に限らず、小説にしても映画にしても、その舞台背景となる「世界」が必要になります。どのような人物(あるいは人間じゃないもの)が登場するにしても、どのような物語が展開されるにしても、まず必要なのは「世界」だと思います。
 現実としての「現代の日本」を考えた場合でも、その中には、相互に干渉し合い、あるいは、まったく没交渉な、さまざまな世界があります。物語を面白くするためには、意図的に、あるいは、無自覚なうちに、そうした現実世界を改変し、物語世界を構築していくことになります。
 物語世界が現実的である必要はありません。むしろ、現実的ではない方が面白いということになると思います。ただし、非論理的なのは困ります。あるいは、その世界のしくみがわかりにくいというのも困ります。さらには、世界自体が変わっていくというのも褒められたものではないと思います。


 話が抽象的になりかけているので、ちょっと具体的に、カエサルとしての「ちょっと困った世界」の話をしたいと思います。
 たとえば、生身の人間がバトルするような話。
 パンチ一発でコンクリートの壁を破壊するというのはいいと思います。すごいです。どうしてそんなパワーがあるのか、とか、拳が壊れてしまわないのか、などと考えないではありませんが、そういう世界なんだと思えば納得できます。しかし、そういうパンチをまともにくらった人が死なないどころか、反撃してくるということになると、ちょっと話が変わってきます。そのバトルの行く末がまったくわからなくなってしまうからです。
 そういうのを、カエサルは「ルールのわからないスポーツの試合を見ているようだ」と思ってしまうわけです。
 あるいは、勧善懲悪の物語。
 正義の味方が悪者を倒すという構造はわかりやすくていいのだけど、たいていの場合、どうしてこっちが「正」で、どうしてあっちが「悪」なのかということが曖昧だったりします。そういうことをその物語世界の「お約束」と考えてもいいわけなんだけど、自分たちのことを正義だと思い込んでいる人ほど恐ろしいものはありません。


 漫画やアニメは、小説や実写版映画に比べて、SFやファンタジーなど、非現実的な世界が描きやすいということになると思います。どのような世界をつくるのも自由なわけですけど、その分、そうした世界を読者に理解してもらうのは難しいということになります。
 いろんな作品を読むとき、作者がどのような世界をつくろうとしているのかが気になります。カエサルの好き嫌いはともかくとして、いろんな世界が出現するわけなので、かなり楽しいです。
 今回の記事は、ここまでです。
 最初の方で書いておいたように、そういうことを考え始めたという段階です。結論めいたものなどありません。


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