![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/51/f4e74b8b8b2db35988651eef3c1e8c72.jpg)
これは失敗したと思いましたね。新字・新かなに改められているとは言え、文語体なんですよ。
まあ、冒頭の部分を引用してみます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/eb/bd69817339cf0d052157e330cae5399d.jpg)
元日快晴、二日快晴、三日快晴と誌されたる日記を涜して、この黄昏より凩は戦出でぬ。今は「風吹くな、なあ吹くな」と優き声の宥むる者無きより、憤をも増したるやうに飾竹を吹靡けつつ、乾びたる葉を粗なげに鳴して、吼えては走行き、狂ひては引返し、揉みに揉んで独り散々に騒げり。微曇りし空はこれが為に眠を覚されたる気色にて、銀梨子地の如く無数の星を顕して、鋭く沍えたる光は寒気を発つかと想はしむるまでに、その薄明に曝さるる夜の街は殆んど氷らんとすなり。
これにルビがつくのでちょっと読みやすくなるとは言うものの、さっぱりわかりません。このへんで読むのを止めちゃおうかと思いましたけど、会話が始まったりすると少しわかりやすくなるので、がんばって読み進めました。
でも、結局はダメでした。後で読もうと思って他の本を読んでいるうちに放置することになってしまいました。
青空文庫に収められている作品の中には、文語体のものも少なくありません。短文ならば何とかついていけるのだけど、長文となると、カエサルには読めません。そういうのは読んじゃいけないということですね。
口語体(言文一致体)を始めたのは二葉亭四迷ということになるわけだけど、そのきっかけになったのは三遊亭円朝なんだそうです。円朝の噺を速記したものが出版され、新聞に連載されたり、雑誌ができたりして大人気だったんだそうで、それを参考にして四迷が言文一致体を始めたということらしいです。
三遊亭円朝『文七元結』の冒頭部分を引用してみます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/a5/8cac576b8b5914054bc6549defbeee7f.jpg)
長「おう今帰ったよ、お兼……おい何うしたんだ、真暗に為て置いて、燈火でも点けねえか……おい何処へ往ってるんだ、燈火を点けやアな、おい何処……其処にいるじゃアねえか」
段落が切れないものですから、ちょっと引用が長くなってしまいました。まあ、こんな感じです。
段落が切れない、一文が長い、同じ事を繰り返す・・・などなど、ツッコミどころはいくらでもあるのだけど、十分に読めますね。円朝の「語り口」を味わうことはできないけれど、話自体が面白いので十分に楽しめます。
ここで、文語体・口語体に関わる歴史的なことを整理してみたいと思います。
1839年(天保10年) 三遊亭円朝、生まれる。
1864年(文治 元年) 二葉亭四迷、生まれる。
1867年(慶応 3年) 夏目漱石、生まれる。
1868年(慶応 3年) 尾崎紅葉、生まれる。
1882年(明治15年) 三遊亭円朝『怪談牡丹灯籠』が出版される。
1887年(明治20年) 二葉亭四迷『浮雲』が出版される。
1897年(明治30年) 尾崎紅葉『金色夜叉』の連載が始まる。
1904年(明治37年) 国定教科書の過半が口語体になる。
1905年(明治38年) 夏目漱石『吾輩は猫である』の連載が始まる。
1921年(大正10年) この頃、新聞がすべて口語体になる。
1946年(昭和21年) 公用文がすべて口語体になる。
漱石は1867年、紅葉は1868年の生まれなんだけど、二人とも慶応3年の生まれで「同い年」ということになるんですね。暦が違うからと考えれば理解はできるんだけど、そういうこともあるんですね。面白いと思いました。
・・・と、話が横道にそれたら元に戻す気力がなくなってしまったので、今回はここでおしまいです。
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