カエサルの世界

今年(2019年)1月中旬から「休載中」ということになっているのだけど、まあ、ときどき更新しています。

・青空文庫(2)金色夜叉

2014年06月17日 | ☆読書とか    

 キンドルを買って、青空文庫を読み始めて、かなり早い時期に読んでみたのが尾崎紅葉の『金色夜叉』です。
 これは失敗したと思いましたね。新字・新かなに改められているとは言え、文語体なんですよ。
 まあ、冒頭の部分を引用してみます。

 未だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠めて、真直に長く東より西に横たはれる大道は掃きたるやうに物の影を留めず、いと寂しくも往来きの絶えたるに、例ならず繁き車輪の輾りは、或は忙かりし、或は飲過ぎし年賀の帰来なるべく、疎に寄する獅子太鼓の遠響は、はや今日に尽きぬる三箇日を惜むが如く、その哀切さに小き膓は断れぬべし。
 元日快晴、二日快晴、三日快晴と誌されたる日記を涜して、この黄昏より凩は戦出でぬ。今は「風吹くな、なあ吹くな」と優き声の宥むる者無きより、憤をも増したるやうに飾竹を吹靡けつつ、乾びたる葉を粗なげに鳴して、吼えては走行き、狂ひては引返し、揉みに揉んで独り散々に騒げり。微曇りし空はこれが為に眠を覚されたる気色にて、銀梨子地の如く無数の星を顕して、鋭く沍えたる光は寒気を発つかと想はしむるまでに、その薄明に曝さるる夜の街は殆んど氷らんとすなり。

 これにルビがつくのでちょっと読みやすくなるとは言うものの、さっぱりわかりません。このへんで読むのを止めちゃおうかと思いましたけど、会話が始まったりすると少しわかりやすくなるので、がんばって読み進めました。
 でも、結局はダメでした。後で読もうと思って他の本を読んでいるうちに放置することになってしまいました。

 青空文庫に収められている作品の中には、文語体のものも少なくありません。短文ならば何とかついていけるのだけど、長文となると、カエサルには読めません。そういうのは読んじゃいけないということですね。
 口語体(言文一致体)を始めたのは二葉亭四迷ということになるわけだけど、そのきっかけになったのは三遊亭円朝なんだそうです。円朝の噺を速記したものが出版され、新聞に連載されたり、雑誌ができたりして大人気だったんだそうで、それを参考にして四迷が言文一致体を始めたということらしいです。
 三遊亭円朝『文七元結』の冒頭部分を引用してみます。

 さてお短いもので、文七元結の由来という、ちとお古い処のお話を申上げますが、只今と徳川家時分とは余程様子の違いました事で、昔は遊び人というものがございましたが、只遊んで暮して居ります。よく遊んで喰って往かれたものでございます。何うして遊んでて暮しがついたものかというと、天下御禁制の事を致しました。只今ではお厳しい事でございまして、中々隠れて致す事も出来んほどお厳しいかと思いますと、麗々と看板を掛けまして、何か火入れの賽がぶら下って、花牌が並んで出ています、これを買って店頭で公然に致しておりましても、楽みを妨げる訳はないから、少しもお咎めはない事で、隠れて致し、金を賭けて大きな事をなさり、金は沢山あるが退屈で仕方がない、負けても勝っても何うでも宜いと、退屈しのぎにあれをして遊んで暮そうという身分のお方には宜しゅうございますが、其の日暮しの者で、自分が働きに出なければ、喰う事が出来ないような者がやりますと、自然商売が疎になります。慾徳ずくゆえ、倦きが来ませんから勝負を致し、今日で三日続けて商売に出ないなどということで、何うも障りになりますから、厳しゅう仰しゃる訳で、併し賭博を致しましたり、酒を飲んで怠惰者で仕方がないというような者は、何うかすると良い職人などにあるもので、仕事を精出して為さえすれば、大して金が取れて立派に暮しの出来る人だが、惜い事には怠惰者だと云うは腕の好い人にございますもので、本所の達磨横町に左官の長兵衞という人がございまして、二人前の仕事を致し、早くって手際が好くって、塵際などもすっきりして、落雁肌にむらのないように塗る左官は少ないもので、戸前口をこの人が塗れば、必ず火の這入るような事はないというので、何んな職人が蔵を拵えましても、戸前口だけは長兵衞さんに頼むというほど腕は良いが、誠に怠惰ものでございます。昔は、賭博に負けると裸体で歩いたもので、只今はお厳しいから裸体どころか股引も脱る事が出来ませんけれども、其の頃は素裸体で、赤合羽などを着て、「昨夜はからどうもすっぱり剥れた」と自慢に為ているとは馬鹿気た事でございます。今長兵衞は着物まで取られてしまい、仕方なく十一になる女の子の半纒を借りて着たが、余程短く、下帯の結び目が出ていますが、平気な顔をして日暮にぼんやり我家へ帰って参り、
 長「おう今帰ったよ、お兼……おい何うしたんだ、真暗に為て置いて、燈火でも点けねえか……おい何処へ往ってるんだ、燈火を点けやアな、おい何処……其処にいるじゃアねえか」

 段落が切れないものですから、ちょっと引用が長くなってしまいました。まあ、こんな感じです。
 段落が切れない、一文が長い、同じ事を繰り返す・・・などなど、ツッコミどころはいくらでもあるのだけど、十分に読めますね。円朝の「語り口」を味わうことはできないけれど、話自体が面白いので十分に楽しめます。

 ここで、文語体・口語体に関わる歴史的なことを整理してみたいと思います。

1839年(天保10年) 三遊亭円朝、生まれる。
1864年(文治 元年) 二葉亭四迷、生まれる。
1867年(慶応 3年) 夏目漱石、生まれる。
1868年(慶応 3年) 尾崎紅葉、生まれる。

1882年(明治15年) 三遊亭円朝『怪談牡丹灯籠』が出版される。
1887年(明治20年) 二葉亭四迷『浮雲』が出版される。
1897年(明治30年) 尾崎紅葉『金色夜叉』の連載が始まる。
1904年(明治37年) 国定教科書の過半が口語体になる。
1905年(明治38年) 夏目漱石『吾輩は猫である』の連載が始まる。

1921年(大正10年) この頃、新聞がすべて口語体になる。
1946年(昭和21年) 公用文がすべて口語体になる。

 漱石は1867年、紅葉は1868年の生まれなんだけど、二人とも慶応3年の生まれで「同い年」ということになるんですね。暦が違うからと考えれば理解はできるんだけど、そういうこともあるんですね。面白いと思いました。
 ・・・と、話が横道にそれたら元に戻す気力がなくなってしまったので、今回はここでおしまいです。


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