https://www.fukuishimbun.co.jp/articles/-/1271796
クラブW杯実績、岩田卓也が福井Uに
37歳のDF加入「福井盛り上げたい」
2021年3月5日 午前6時50分
サッカー北信越リーグ1部の福井ユナイテッドFCは3月4日、
神奈川県2部リーグの「はやぶさイレブン」からDF岩田卓也(37)が
完全移籍で加入すると発表した。ニュージーランドのチームで、
クラブチーム世界一を決めるクラブワールドカップ(W杯)
で3位に入った実績がある。
岩田は愛知県出身で身長173センチ、体重69キロ。
岐阜工業高校、浜松大学、FC岐阜などを経て、
2010年から約10年間、ニュージーランドや
オーストラリアのアマチュアクラブを渡り歩いた。
12年にニュージーランドのアマチュアリーグ所属の
強豪オークランド・シティに入団すると、17年まで
オセアニア代表でクラブW杯に6年連続で出場。
14年大会では全4試合にフル出場し世界3位に貢献した。
20年、はやぶさイレブンに移籍し、日本復帰を果たした。
岩田は「ピッチ内外で福井を盛り上げたい。
今年は必ず日本フットボールリーグ(JFL)に昇格し、
感動を分かち合えるよう頑張りたい」とのコメントを発表した。
2021/7/22、北陸中日、文字起こし
福井ユナイテッドFC 選手兼営業としてJFL目指す
岩田卓也(いわたたくや)さん(38、愛知県一宮市出身)
サッカー神奈川県二部リーグから、日本フットボール
リーグ(JFL)への昇格を目指す北信越一部リーグの
「福井ユナイテッドFC」へ三月に移籍した。
左サイドバックの選手の傍ら、営業担当として
イベントや試合の運営を手掛ける。
浜松大(現在の常葉大)を卒業後、2006年に当時東海
リーグ一部だったFC岐阜に入団。12~20年には
ニュージーランドのオークランドに
所属し、クラブワールドカップ(W杯)に
日本人最多の六大会連続出場を果たした。
「Jリーガーになれず挫折したが、クラブW杯に
出場出来た。外に行けて、今まで無理だと
思っていたことが実現した」と話す。
営業を掛け持つ今の生活は、オークランドでの経験
が生きている。営業活動に力をいれないクラブに疑問
を抱いたのがきっかけで、スポンサー獲得に向け、
自ら現地の日本企業に足を運んだ。選手が営業に
出向くのは、他チームを含めても自分だけだったという。
「自分のように夢をかなえられなかった日本人選手が
海外で火薬くできるよう、海外クラブとの橋渡しを
したい」と将来を思い描く。(牧悠平)
11月8日(月)閲覧数:651PV 訪問者数:408人
クラブW杯実績、岩田卓也が福井Uに
37歳のDF加入「福井盛り上げたい」
2021年3月5日 午前6時50分
サッカー北信越リーグ1部の福井ユナイテッドFCは3月4日、
神奈川県2部リーグの「はやぶさイレブン」からDF岩田卓也(37)が
完全移籍で加入すると発表した。ニュージーランドのチームで、
クラブチーム世界一を決めるクラブワールドカップ(W杯)
で3位に入った実績がある。
岩田は愛知県出身で身長173センチ、体重69キロ。
岐阜工業高校、浜松大学、FC岐阜などを経て、
2010年から約10年間、ニュージーランドや
オーストラリアのアマチュアクラブを渡り歩いた。
12年にニュージーランドのアマチュアリーグ所属の
強豪オークランド・シティに入団すると、17年まで
オセアニア代表でクラブW杯に6年連続で出場。
14年大会では全4試合にフル出場し世界3位に貢献した。
20年、はやぶさイレブンに移籍し、日本復帰を果たした。
岩田は「ピッチ内外で福井を盛り上げたい。
今年は必ず日本フットボールリーグ(JFL)に昇格し、
感動を分かち合えるよう頑張りたい」とのコメントを発表した。
2021/7/22、北陸中日、文字起こし
福井ユナイテッドFC 選手兼営業としてJFL目指す
岩田卓也(いわたたくや)さん(38、愛知県一宮市出身)
サッカー神奈川県二部リーグから、日本フットボール
リーグ(JFL)への昇格を目指す北信越一部リーグの
「福井ユナイテッドFC」へ三月に移籍した。
左サイドバックの選手の傍ら、営業担当として
イベントや試合の運営を手掛ける。
浜松大(現在の常葉大)を卒業後、2006年に当時東海
リーグ一部だったFC岐阜に入団。12~20年には
ニュージーランドのオークランドに
所属し、クラブワールドカップ(W杯)に
日本人最多の六大会連続出場を果たした。
「Jリーガーになれず挫折したが、クラブW杯に
出場出来た。外に行けて、今まで無理だと
思っていたことが実現した」と話す。
営業を掛け持つ今の生活は、オークランドでの経験
が生きている。営業活動に力をいれないクラブに疑問
を抱いたのがきっかけで、スポンサー獲得に向け、
自ら現地の日本企業に足を運んだ。選手が営業に
出向くのは、他チームを含めても自分だけだったという。
「自分のように夢をかなえられなかった日本人選手が
海外で火薬くできるよう、海外クラブとの橋渡しを
したい」と将来を思い描く。(牧悠平)
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