過去十数年に書いた文章は大学ノート一冊に満たない。何も書き残さなかった年も有る。義務の無い行動を自ら習慣付ける意思の強さを私が持たない事もあるが、日々の暮らしを文章に書き残す事には照れと懼れが有り、時事ネタに感想を述べると云った書き方をしていると、ある程度の事を書いてしまうと後はかつて書いた物の再現になってしまう。私の感想は日々変わる程不安定では無い(多分)という事と、世間で起きる物事は定期的に起きる災害と不定期に起きる事件の繰り返しであるからだ。そして私が健全な話題に関心を持てない事をノートを見ていると気が付く。
私は世の為、人の為になるような事を何もしていない。それを反省する気持ちもまるで持っていない。震災で家と家族を無くした人は可哀想。誰かの気紛れと権威主義に因って死んでいった人達はオウム事件に限らず何考えてんだと思ったり、巻き込まれた人を気の毒に思ったり、脆い地盤に掘ったトンネルが崩れたのは人災だと怒ったり、座礁したタンカーの原油に汚された海で、漁師達は大変だなと思ったり、殺された小学生の両親も殺した中学生の家族も、今はマスコミが巻き起こす嵐の中で心を凍結させ、時が過ぎるのを待っているのだろうか、などと考えてみたりしている。 だが、私は彼等の為に小指一本動かす事は無いのである。
私(達)の住む地方市街地ではここ十数年でコンビニが爆発的に増えて居る。と云うのは今になって思うことで、コンビニは客の求めるサービスに応える競争を余儀無くされてきたかの様に思える。狭い空間で商品の種類を増やし、弁当の質を上げ、週刊誌を置き、煙草を置き、酒を置き、コピーを置き、ファックスを置き、休日を無くし、営業時間を24時間にして、今やATMで現金の出し入れまで出来るようになった。それが町内にひとつ、とはいかないまでもそれくらいまで増えてきたのである。殆どがチェーン店なのであるが、各グループ間競争の外で大手スーパーが消えたりサービスをコンビニ化させたりしているが、経営は大変そうに思える。最近の私は仕事帰りに酒と弁当を買い、酒飲んで寝て、朝弁当を食べて空容器を持って又コンビニに行く繰り返しである。家庭ごみは随分減って、醤油ソース等の調味料が使われずチットモ減らない。家の中でハエやゴキブリを数年見ていない。
かつて楠田枝里子と云う人が「私は基本的には童話作家です。」とインタビューで語った事がある。話の前後は全く覚えて居ないが、現実の彼女は背の高いバラエティー番組の司会者である。今もそんな事を言っているかどうか知らないが、何しろそこだけ覚えているのだ。私の勝手な解釈だが、誰でも肩書きとは違う自分を持っていれば良いのだなと思った。そういった意味で私は基本的には漫画家だ。物語を考え、キャラクターの造形を考えながらも普通に会社で仕事をしているだけの人間なのだが。
13年前の私と今の私は微妙に違う。前文を読み直して、これが所謂ストーカーの心理についての考察であった、と思い出すのに少し時間が掛かった。言葉遊びだったのだろう。ブログを始める時に感じた躊躇いは、自分の文章が世間に広がる事で自分の裸を世界に晒すかのような驕りが有ったからなのだが、自分のブログが何万人ものブログ作成者達の中にあっという間に飲み込まれていくのをブログサイトで目にすると、個人的な、或いは家族的な環境を個々に持っていれば良いのだな、とも思える。何万人、何十万人ものブロガー達が存在すれば、消えてゆく何千人、何万人のブロガー達も居るかも知れない。書くのに飽きてしまったり、インターネットが使えなくなってしまったり、実際のところ急死した人のブログが誰も知らない遺書となって存在していたらどうなるのかと考えると眠れなくなってしまう私なのである(ウソ)