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高島屋で開催中の“伝統工芸展”に行ってきた。一番の目的はもちろん、先日ご紹介した高山茶筌である。
日本の伝統展 http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/bf2b61d86580971354d8691651d94e82
ラッキーなことに高山茶筌さんのところには、職人の女性が一人座っているだけで誰もおらず、迷わず話しかけることができた。「お茶を習っていますが、茶筌の作り方を知りません。地下のウィンドーで色々な種類の茶筌を見てびっくりしました。色々教えて頂けますか。」
「そう、茶筌って実はお茶の味を決める大事な道具なのに、知らない方が多いんですよね。伝統文化なので多くの方に知って頂いて廃れないように願っているのですが。後継者も少なくて。」と言ってまずは工程を説明して下さった。私には驚きの連続だった。
① 2,3年ものの竹を湯で煮て油や垢をとり、寒日干し1ヶ月。その中から規格にあった竹を選び、竹を逆さにして寸法に切る。(竹を逆さに使うのは生えた通りに使用すると割れやすい為)
② 節上中間から先を小刀で皮を剥く。節上に湿した糸を4回巻きつけて位置を固定し、節まで叩き下ろして、穂となる部分を大まかに割っていく。竹の太さ、穂数によって、12、16、18、20、24に割る。
③ 割った竹の皮と身を裂いて、身の部分を取り除く。(皮だけにする)
④ 規格の穂数を決め、上り穂(外側の穂)、下り穂(内側の穂)を交互に割っていく。上り穂が太め、下り穂は細めで通常6:4、上り穂を太くする荒穂は8:2に割る。
⑤ 穂の部分を湯で煮て、皮むきしてある位置よりやや下の方から徐々に先の方が薄くなるように削る。使った場合に穂先の方から擦り減るように削る。ここが技の見せ所。流儀によって削る位置や厚さなどが異なる。削りあがると包丁の背で内側にしごいて形を作る。(穂先を丸くするか伸びた形にするかはしごき方による)
⑥ 削りあがったら上り穂を小刀で面取りする。これはお茶や泡が付着しないようにする為。
⑦ 上り穂を根元で軽く折り、根元を揃えるように木綿の糸で交互に編む。根元で折る程度は難しく、職人の勘どころとなる。茶筅の穂並びの良し悪しはこの編み方による。
⑧ 下編みした糸の上に更に糸で2回編む。根元をしっかり固定する為。
⑨ 下り穂を竹ヘラを使って寄せて中央で組み合わせる。
⑩ 最後に仕上げとして曲げ直し、穂の高さや間隔など調整してきれいに整える。
細かく根気のいる作業、ひとつひとつの工程を聞く度に、茶筌をもっと大切にしなくちゃと思った。
高山茶筌は当初主人一人の手仕事だったが、やがて女性の手を借りるようになり、今では最初の工程と仕上げは主人(男性)が、間の細かい作業は女性が行うようになっているそうだ。やはり女性の方が細かい作業には向いているのでしょうね。
店頭に茶筌がたくさんあり、じっくり見せて頂いた。表千家は煤竹、裏千家は白竹、武者小路千家は黒竹(紫竹)を素材としている。
煤竹は茅葺屋根で囲炉裏や竈の煙で長年燻された竹の為、日本では茅葺の家が減り、あっても保存民家となって入手しずらくなっているそうだ。その為、中国からの輸入品や色づけしたものも出始めているという。白竹と黒竹は育てることができるのでそういう心配はないそうだ。普段裏千家の白竹を使っているが黒竹というのも味わいがあると感じた。
現在実際に作られているのは60種ほどとか。でも、「ご自身の流派の茶筌の形をご存知ない先生もいらっしゃいますよ」と言いながら、後ろから冊子を出してきて下さった。口伝で伝えてきたが、昭和初期にこれまでの高山茶筌の歴史や種類を調べて主人が作った秘伝書だそうで、流派別にひとつずつ手書きで茶筌の絵と寸法(竹の長さや太さ、穂の数など)、作り方が書かれているのが見えた。下のウィンドーに飾ろうかとも思ったが秘伝書なので飾りっぱなしにはできず止めたとのこと。すばらしいものを見せて頂いた。
最後にひとつ高山茶筌を頂くことにした。濃茶にも薄茶にもいいと言われて、白竹の真の茶筌を購入した。この茶筌でおいしい抹茶を点ててみよう!楽しみだ。
荒穂は濃茶、細かい穂は薄茶に向いていること、表千家や武者小路千家の薄茶は泡立てないので穂先があまり丸くなっていないが裏千家は泡立てるので穂先が丸まっている方がクリーミーに点つことも教えて下さった。なるほど。
家に戻って工程を振り返りながらじっくり茶筌を観察した。結び紐、ぐるぐる何重かに巻かれているだけかと思っていたら、上り穂と下り穂を交互に編みこんで三重になっているのがよくわかった。すごい。17年もいい加減に見てたんだなぁと反省した。茶筌は茶人にとって大事な道具でありながらやはり華やかな茶道具の蔭に隠れてしまいがちなのですね。これからはもっと大切に扱おう。
地下のショーウインドーに飾られている高山茶筌を携帯写真で撮ってきたので掲載します。ちょっとガラスが光ってわかりづらいですが。
そぞろ歩いていると白なめし革細工や出羽細工、薫香、蛇の目傘職人さんが色々説明して下さって本当に楽しかった。説明を聞いていると自分の技を本当に誇りをもって愛しているし、大事にしているなあと感じた。その工程や手間を聞くと値段の高さもうなづける。私も微力ながら高くてもいいものを買って後世に残せるように努力しないといけないなぁと思った。それとともに職人さんも伝統の技を守りながら、モノによっては現代にあった用途やデザインを生み出し、アピールしていく必要があるのだろうとも思った。
日本にはすごい技がたくさんある。
日本の伝統展 http://blog.goo.ne.jp/m-tamago/e/bf2b61d86580971354d8691651d94e82
ラッキーなことに高山茶筌さんのところには、職人の女性が一人座っているだけで誰もおらず、迷わず話しかけることができた。「お茶を習っていますが、茶筌の作り方を知りません。地下のウィンドーで色々な種類の茶筌を見てびっくりしました。色々教えて頂けますか。」
「そう、茶筌って実はお茶の味を決める大事な道具なのに、知らない方が多いんですよね。伝統文化なので多くの方に知って頂いて廃れないように願っているのですが。後継者も少なくて。」と言ってまずは工程を説明して下さった。私には驚きの連続だった。
① 2,3年ものの竹を湯で煮て油や垢をとり、寒日干し1ヶ月。その中から規格にあった竹を選び、竹を逆さにして寸法に切る。(竹を逆さに使うのは生えた通りに使用すると割れやすい為)
② 節上中間から先を小刀で皮を剥く。節上に湿した糸を4回巻きつけて位置を固定し、節まで叩き下ろして、穂となる部分を大まかに割っていく。竹の太さ、穂数によって、12、16、18、20、24に割る。
③ 割った竹の皮と身を裂いて、身の部分を取り除く。(皮だけにする)
④ 規格の穂数を決め、上り穂(外側の穂)、下り穂(内側の穂)を交互に割っていく。上り穂が太め、下り穂は細めで通常6:4、上り穂を太くする荒穂は8:2に割る。
⑤ 穂の部分を湯で煮て、皮むきしてある位置よりやや下の方から徐々に先の方が薄くなるように削る。使った場合に穂先の方から擦り減るように削る。ここが技の見せ所。流儀によって削る位置や厚さなどが異なる。削りあがると包丁の背で内側にしごいて形を作る。(穂先を丸くするか伸びた形にするかはしごき方による)
⑥ 削りあがったら上り穂を小刀で面取りする。これはお茶や泡が付着しないようにする為。
⑦ 上り穂を根元で軽く折り、根元を揃えるように木綿の糸で交互に編む。根元で折る程度は難しく、職人の勘どころとなる。茶筅の穂並びの良し悪しはこの編み方による。
⑧ 下編みした糸の上に更に糸で2回編む。根元をしっかり固定する為。
⑨ 下り穂を竹ヘラを使って寄せて中央で組み合わせる。
⑩ 最後に仕上げとして曲げ直し、穂の高さや間隔など調整してきれいに整える。
細かく根気のいる作業、ひとつひとつの工程を聞く度に、茶筌をもっと大切にしなくちゃと思った。
高山茶筌は当初主人一人の手仕事だったが、やがて女性の手を借りるようになり、今では最初の工程と仕上げは主人(男性)が、間の細かい作業は女性が行うようになっているそうだ。やはり女性の方が細かい作業には向いているのでしょうね。
店頭に茶筌がたくさんあり、じっくり見せて頂いた。表千家は煤竹、裏千家は白竹、武者小路千家は黒竹(紫竹)を素材としている。
煤竹は茅葺屋根で囲炉裏や竈の煙で長年燻された竹の為、日本では茅葺の家が減り、あっても保存民家となって入手しずらくなっているそうだ。その為、中国からの輸入品や色づけしたものも出始めているという。白竹と黒竹は育てることができるのでそういう心配はないそうだ。普段裏千家の白竹を使っているが黒竹というのも味わいがあると感じた。
現在実際に作られているのは60種ほどとか。でも、「ご自身の流派の茶筌の形をご存知ない先生もいらっしゃいますよ」と言いながら、後ろから冊子を出してきて下さった。口伝で伝えてきたが、昭和初期にこれまでの高山茶筌の歴史や種類を調べて主人が作った秘伝書だそうで、流派別にひとつずつ手書きで茶筌の絵と寸法(竹の長さや太さ、穂の数など)、作り方が書かれているのが見えた。下のウィンドーに飾ろうかとも思ったが秘伝書なので飾りっぱなしにはできず止めたとのこと。すばらしいものを見せて頂いた。
最後にひとつ高山茶筌を頂くことにした。濃茶にも薄茶にもいいと言われて、白竹の真の茶筌を購入した。この茶筌でおいしい抹茶を点ててみよう!楽しみだ。
荒穂は濃茶、細かい穂は薄茶に向いていること、表千家や武者小路千家の薄茶は泡立てないので穂先があまり丸くなっていないが裏千家は泡立てるので穂先が丸まっている方がクリーミーに点つことも教えて下さった。なるほど。
家に戻って工程を振り返りながらじっくり茶筌を観察した。結び紐、ぐるぐる何重かに巻かれているだけかと思っていたら、上り穂と下り穂を交互に編みこんで三重になっているのがよくわかった。すごい。17年もいい加減に見てたんだなぁと反省した。茶筌は茶人にとって大事な道具でありながらやはり華やかな茶道具の蔭に隠れてしまいがちなのですね。これからはもっと大切に扱おう。
地下のショーウインドーに飾られている高山茶筌を携帯写真で撮ってきたので掲載します。ちょっとガラスが光ってわかりづらいですが。
そぞろ歩いていると白なめし革細工や出羽細工、薫香、蛇の目傘職人さんが色々説明して下さって本当に楽しかった。説明を聞いていると自分の技を本当に誇りをもって愛しているし、大事にしているなあと感じた。その工程や手間を聞くと値段の高さもうなづける。私も微力ながら高くてもいいものを買って後世に残せるように努力しないといけないなぁと思った。それとともに職人さんも伝統の技を守りながら、モノによっては現代にあった用途やデザインを生み出し、アピールしていく必要があるのだろうとも思った。
日本にはすごい技がたくさんある。
茶せんは、消耗品だからか、茶入や茶杓に比べ、確かに影が薄い印象です。もっと大切にしないといけませんねー(笑)
実は私、奈良出身なのですが、東京でお茶をしっかり習い始めるまでは、高山茶せんのことを知らなかったんです。
それで、帰省の折に両親とたずねてみたことがあります。
生駒市、となっていますが、かなーーり、奥地で(笑)、、、でも茶せん美術館や、竹道具をうるお店がたくさんあり、竹林に囲まれた静かな村落でした。
頭が下がる思いです。
そしてこれだけ話を聞いてきて下さったm-tamagoさんにも感謝です。
茶筅の写真、素敵です!
色、形、高さも様々で色々あるのだな~と改めて思いますね。
先日、濃茶を買いにお茶屋さんに行き、煤竹の茶筅があったので
買おうか悩んでいたら「買う人は殆どいないですよ。
お稽古も煤竹のつもりでしているんでしょうね」と言われました。
先生のお稽古では煤竹の茶筅を使わせて頂いているけど
それも感謝しなければね。
よく見ると穂の途中から皮が剥いてあるのですね。長いこと使ってきたのに、恥ずかしながら初めて気がつきました。それに穂の内側と外側では太さが違う。ほんと驚きです。茶筅こそ抹茶を点てるための必需品。大切に使っていきたいです。
今日は宇治の黄檗山万福寺へ全国煎茶道大会に行ってきました。全国からいろいろな煎茶の流派が集まってお茶席が開かれます。
大勢のお客さんの前でお点前をしている若い人は緊張のあまり茶碗を持った手が震えているのが遠くからでもわかりました。私にお茶を運んでくださった人も同じく手元が震えていました。みんな緊張感の中、がんばっていました。私もがんばろっと。
まだ私も訪ねたことがないのですが、
ブログ拝見して行ってみようと思いました。
お茶を頂くとき、その道具と、その裏でささえる陰の職人にも感謝ですね。
今の時代、後継者なり、今後の生活 ちょっと気になってしまいました。
茶道大好き人間でございます。
高山茶筅ものすごい興味があって高島屋に以降としたら、東京ではないんですね
茶筅ほど細かい工程はないので、非常に気になります。
検索間違いで、日本橋でしたね
でも今日までなんですね…。
何時までやっているのでしょうか?
今回は、又また良い勉強をさせて頂きました。
茶筅の事については興味はあったのですが
こんなに色々な種類を見る機会もありませんでした。
去年、禅寺の聖福寺(長崎)で、茶筅供養のお手伝いに行ってきました。毎年暮に表千家・裏千家・武者小路千家合同であるのですが、今まで縁がなく、去年が初めてでした。これから更に心して扱わなければ。
それからは使うたびに、元の姿からここまで姿を極めた美しさに
ほれぼれし奥の方の作りまで覗きこんだり、ついつい見入って
しまったり・・・(笑)
そうそう、私はずっと「茶筌」と思っていたのですが、
「茶筅」という表記の方が多いようですね。
流派による違いなのでしょうか?
本当にもっと大切にしないといけません。
ゴマたんさんは奈良出身だったのですか。私は今回ウインドーを見るまで高山茶筌という名称も知らず、初め見て飛騨高山かなと思った位です。。。。お恥ずかしい。
私の先生もいらしたことがあるとか。(今回の展示会のお話をしたら、私のあまりの無知に驚かれていました。)
茶筌美術館もあるのですね、おもしろそう。私もいつか訪ねてみたいと思います。