Wind of Mind

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自作の音楽や美味しいものなど気ままにアップしていきます!^^ゞ

崎陽軒 おべんとう 春

2007年04月15日 | 駅弁のお話
ようやく春の陽気になって来ました。
今日は崎陽軒の「おべんとう 春」590円です。
以前ご紹介した「おべんとう 冬」、同様、お手ごろなミニ懐石風お弁当となっています。

内容は

・たけのこご飯(トッピング:わらび、桜の塩漬け)
・鱒の照り焼き
・海老の華揚げ
・煮物(蓮根、穂付たけのこ、人参、里芋(木の芽味噌あえ)
・鶏の南蛮和え
・玉子焼き
・鮪と白滝の炒め煮
・シウマイ
・青かっぱ
・小粒大福

と、なかなかの盛りだくさんですが・・・なんといっても、
たけのこご飯がうんまい!!!

5月末までの期間限定です。




石割桜

2007年04月10日 | 名所・旧跡ギャラリー
岩手県盛岡市にある石割桜。満開になるのはもう10日ぐらい先でしょうか。。。

以下引用です。

石  割  桜

この敷地は南部藩の家老であった北家の屋敷跡である。どういうわけでこのように石が割れたか明らかでないが約350年余り前落雷によって割れ、その割れ目に桜の種が落ち込んで生育したといい、一説には石のひびに桜の種が落ちこんで生育につれ石を割ったという。石は花崗岩で周囲が21m、桜はシロヒガン桜(エドヒガン)で樹齢350年前後と推定される。現在幹の周囲は4.6m、樹高10.8m、枝張りは東西に17m南北に12.8mである。石の割目は北側南側共に少しずつひろがっている。大正12年、国の天然記念物に指定され現在に至ってる。

(盛岡地方裁判所敷地内の木碑より)

1983年のミュージックシーン

2007年04月09日 | 音楽のルーツ
この年は、松田聖子、中森明菜、たのきんトリオ等アイドル全盛時代でありながら、演歌「さざんかの宿」「矢切の渡し」そして「氷雨」が流行りました。
レコード大賞は2年連続で細川たかし。大物のヒットがなかったためか。。。
さらに、欽ちゃんファミリーからは「めだかの兄弟」のわらべ。
映画「探偵物語」の薬師丸ひろ子、アニメからは杏里の「キャッツ・アイ」、洋画は大ブレイクした「フラッシュダンス」のアイリーン・キャラ。
中村雅俊がまるで桑田さんのように歌った「恋人もぬれる街角」、魂のロック「悲しい色やね」上田正樹、そしてEPOの斬新なタイトルとポップな魅力満載の「う、ふ、ふ、ふ、」などが印象に残っています。

では、1983年の年間シングルトップ50です。(Wikipedia)

さざんかの宿/大川栄策
矢切の渡し/細川たかし
めだかの兄妹/わらべ
探偵物語/薬師丸ひろ子
氷雨/佳山明生
キャッツ・アイ/杏里
ガラスの林檎/SWEET MEMORIES/松田聖子
セカンド・ラブ/中森明菜
フラッシュ・ダンス/アイリーン・キャラ
め組のひと/ラッツ&スター
時をかける少女/原田知世
3年目の浮気/ヒロシ&キーボー
1/2の神話/中森明菜
初恋/村下孝蔵
氷雨/日野美歌
天国のキッス/松田聖子
禁区/中森明菜
浪花恋しぐれ/都はるみ・岡千秋
トワイライト/中森明菜
想い出がいっぱい/H2O
ボヘミアン/葛城ユキ
秘密の花園/松田聖子
ミッドナイト・ステーション/近藤真彦
恋人も濡れる街角/中村雅俊
エスカレーション/河合奈保子
悲しい色やね/上田正樹
汚れた英雄/ローズマリー・バトラー
君に、胸キュン。/イエロー・マジック・オーケストラ
真夏の一秒/近藤真彦
メリーアン/ALFEE
春なのに/柏原芳恵
僕笑っちゃいます/風見慎吾
ピエロ/田原俊彦
ためいきロ・カ・ビ・リー/近藤真彦
さらば・・夏/田原俊彦
家路/岩崎宏美
ボディ・スペシャルⅡ/サザンオールスターズ
ドラマティック・レイン/稲垣潤一
サマー・サスピション/杉山清貴&オメガトライブ
夏色のナンシー/早見優
冬のリヴィエラ/森進一
う、ふ、ふ、ふ、/EPO
シャワーな気分/田原俊彦
夢芝居/梅沢富美男
そんなヒロシに騙されて/高田みづえ
瞳はダイアモンド/松田聖子
Zokkon命/シブがき隊
恋吹雪/大川栄策
GOOD-BYE青春/長渕剛
恋は、ご多忙申し上げます/原由子

SAMMY HAGAR サミー・ヘイガー②  モントローズ脱退、キャピタルからゲフィンへ

2007年04月08日 | 洋楽のルーツ
1973年にリリースされたモントローズの1枚目は期待に反して売れませんでした。
モントローズは路線を変更せざるを得なくなり、セカンド・アルバム「ペイパー・マネー」を製作するも結局サミーは脱退。
しかし2枚目の「ペイパー・マネー」は日本でヒット!その理由が輸入版で1枚目を聴いたファンが買ったためだったとはなんとも皮肉な話です。

モントローズ脱退後のサミーは、キャピタルレコードからソロ・アーティストとしてアルバムを発表しますが、日本ではほとんど話題になりませんでした。
サミーはキャピタル時代の1976年から1980年までの5年間でライヴアルバムを入れて6枚のアルバムを発表します。特にライヴ・パフォーマンスは人気でキャピタル・レコードの中堅アーティストになっていましたが今ひとつブレイクはしていませんでした。
私が、このキャピタル時代のレコードを聴くのは1983年になってからです。

その前に、久々にサミーを聴くきっかけになったのが1981年のゲフィン・レコード移籍第1弾「スタンディング・ハンプトン」です。

サミー・ヘイガーを一気にトップアーティストにするため、当時キャピタルのドル箱的アーティストだったサミーをゲフィンが引き抜いたのです。
「スタンディング・ハンプトン」はプロデューサーにフリートウッド・マック、フォリナー、サンタナ、リック・スプリングフィールドなどで知られるキース・オールセンを起用。その洗練されたサウンドとサミーのハードなカッコイイヴォーカルがマッチした名盤となりました。時の産業ロックの流れに乗った作品でジャケットもそれまでの赤を基調にしたサミーの顔のアップからモシャ・ブラッカーのシュールでお洒落なものに代わりました。
私もこのレコードで久々にサミーの活躍を知り非常に嬉しかった。
この路線は続く1982年発表の「スリー・ロック・ボックス」(写真)へと引き継がれますが、あまり洗練されすぎたサウンドは本来のサミーのものではなかったと思います。
しかし、この2枚のアルバムは売れ(28位と17位)、さらに1984年の「HSAS」「VOA(ヴォイス・オブ・アメリカ)」へとゲフィンのサミーの売り出しプロジェクトはピークを迎えます。

SAMMY HAGAR サミー・ヘイガー① プロローグ

2007年04月07日 | 洋楽のルーツ
1981年ソロアーティストとしてキャピタルからゲフィンに引き抜かれたサミー・ヘイガー。
そろそろ私の大好きなサミーの軌跡を辿っていきましょう。

まずはモントローズ加入までの復習です。

1970年代に突如としてアメリカン・ロック・シーンに登場したハード・ロック・バンド、モントローズ
その初代ヴォーカリストがサミー・ヘイガー(当時はサム・ヘイガー)であります。
モントローズの項でも書いたように、私はこの希代類希なヴォーカルに強く惹かれますが、残念ながらモントローズではリーダでギタリストのロニー・モントローズと音楽性が合わず?たった2作で脱退してしまいます。
サミー在籍時のファースト・アルバム「ハード・ショック」は今でもマニアなハードロック・ファンの間では高い評価を得ております。
しかし、モントローズ脱退後は日本ではまったく取り上げられることはなく、レコードも日本版は売られていなかったようです。
私も、大学へ進みグリーに没頭していたため1981年までサミー・ヘイガーの話題から遠ざかっておりました。

サミーヘイガーは1947年10月13日、アメリカはカリフォルニア州モンタレー生まれ、ですから、なんと今年で還暦になります!
昨年、カリフォルニア州サンバーナーディーノ郡では5月23日をサミー・ヘイガーの日と定めるなどアメリカにおいては絶大な人気を誇っているロッカーであります。

サミーが音楽をやるきっかけになったのはエド・サリバン・ショーでエルビス・プレスリーを見てからだという話です。
その後、1971年にJUSTICE BROTHERSというバンドを結成。
その頃、エドガー・ウンター・グループのスーパー・ギタリスト、ロニー・モントローズと知り合い、自分のバンドを結成したいと考えていたロニーにサミーはチャンスとばかりに自分を売り込みます。一見大人しそうな容姿にみえますが、かなり積極的なようです。

この時ロニーに渡したテープには「バッドモータースクーター」と「メイク・イット・ラスト」が入っていたとか。
ロニーはこのテープを気に入り、サミーはめでたくモントローズの一員となるのでした。今日はここまで!