シェムリアップ死後の書🌴

憧れのパワースポット、シェムリアップで死後のことを考える日記。

再 カントリーロード ローレント

2024年09月16日 04時57分18秒 | 日記

■前回の「シェムリアップ環状産業道路はダンプカー専用で不幸の始まり。」の続きで、シェムリアップ移住者専用の情報になります。 

BBU道路から行くと、地図左下部の、赤いシェムリアップ環状産業道路の交差点の約200m手前の、右に入る細い道(青い点々)が、カントリーロード ローレントに行く近道で、当時は土の細い道で、ぼこぼこでした。

もちろん、当時も今もその道はカントリーロード ローレントとは呼ばれていないので、フランス人のローレントさんが、Google地図にカントリーロード ローレントと自分でUPしているだけの話ですが。

下の黄色い四角がローレントさんの家屋で、上の黄色い四角が前回の話の私が買って手放した土地。

タパルロードとサリナホテルロード(最近はそう呼ばれないようですが。かってオーナーがアンコール石像の違法輸出業にてサリナホテルの土地を購入。)の間の赤い大きい四角の囲いの土地が、1995年に初めて20世紀の3大精豪ハーレム玉本敏雄がカンボジアでの最初の奥さんに1000ドルで買ってあげた土地に家を建てて、10年後の2005年には土地代は100倍の100000ドルになっている。ただし、彼は土地や投資には興味がなく、その他気に入った10名程度の奥さんにはそれぞれ土地と家を買ってあげてますがそれっきりです。
赤い囲いの下の小さい黄色が私がついでに妻の兄に100万円で買ってあげた土地に自分で家建てて住んでいて、5年後に、土地が2000万円で売れたようで、売って引っ越している。お礼で10万円もらう。
左のサリナホテルロードの黄色の土地は、私が600万円で、妻に買ってあげた土地に、家建築代150万円で、2階建ての家を建てて2年は住んでいたが、2000万円で買い手があり、売ってプノンペンに引っ越す。プノンペンでは、親戚のBKK2の貸家12LLDKプール付きが丁度空いたので、引っ越すが、2年間で3日しか私は泊まらなかった。まだ子供がなく妻が使用人2名と一緒に住んで、たまに親戚を呼んでプールで宴会をしていたようだ。月額1500ドルで、安いのか高いのか分からないが、プノンペンの大通りの角地の当時カンボジアで一番地価が高い所が平米1000ドル(売値)だった頃なので、、!!(汗)そう言えば、知り合いの、王宮に近い方のBKKよりきっと高級な土地に建物10LDK以上プールなしが、当時、2000万円で売るぞと言われて、びびってましたが、きっと今ならうん億円はするはず。
思い出しました、サリナホテルロードの黄色の土地は買った人がしばらくビリヤード場を作って営業してましたが、流行らなくなり、売ったのは知っていましたが、8年前に来たら、道も広く舗装されて、商店街の様に様変わりしていて、日本製品のリサイクルショップ(オーナーはカンボジア人)サクラリサイクルショップが建っていてビックリ。
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