「ふゆもえや あやにつやめき ひめじょおん」
冬なのにすでに春のように緑の雑草などが生えている場所がある。主に陽だまりの暖かい場所に多く見られるがこれを「冬萌(ふゆもえ)」という。
畦道に咲いていた姫女苑の赤い色が、余りにも鮮やかに目に飛び込んできた。北風に揺さぶられつつも健気に咲いている様は、哀れではあるが華やかにも見えた。
冬なのにすでに春のように緑の雑草などが生えている場所がある。主に陽だまりの暖かい場所に多く見られるがこれを「冬萌(ふゆもえ)」という。
畦道に咲いていた姫女苑の赤い色が、余りにも鮮やかに目に飛び込んできた。北風に揺さぶられつつも健気に咲いている様は、哀れではあるが華やかにも見えた。
写真がないと「語る」状況が何であるかを理解することは難しく、句としては成り立たないが、この写真を見ることによって理解は可能だろうと考えた句。
地表すれすれに咲いている山茶花は無残に散り、かつ新たに咲いていて、蕾もまた多い。散ったものを詠むか、新たに咲いたものを詠むか、未来に咲くものを詠むか、汚れた状況を詠むか迷った。
一つの状況をよくよく観察していくと多くの句が発想されるに違いないのだが、様々な推敲により句にならなかったりすることもまた多い。
地表すれすれに咲いている山茶花は無残に散り、かつ新たに咲いていて、蕾もまた多い。散ったものを詠むか、新たに咲いたものを詠むか、未来に咲くものを詠むか、汚れた状況を詠むか迷った。
一つの状況をよくよく観察していくと多くの句が発想されるに違いないのだが、様々な推敲により句にならなかったりすることもまた多い。
冬なので花の種類は少ない。畑の片隅に咲いていた一輪のタンポポ、そこに蝶が止まっていた。冬の蝶は珍しいので撮ろうと近づいたら逃げた。が、1m程の円を描いて舞い戻ってきた。そんなことを繰り返すこと3回、やっと警戒を解いたようだった。