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とうとつに、「金魚がいたらいいな」とおもった。
ふだん、外では動物と接することが多いけれど、
マンションの都合で、いま家ではペットを飼えない。
生き物の気配のない家の中で、(勿論、夜になれば夫という生き物が帰ってくるけれど)
水の中でふわりふわりとただよう金魚を想像すると、なんだか幸せなような気がした。
昔住んでいたところでは、実はこっそりジャンガリアンハムスターを飼っていて、
それはそれは溺愛していた。
ハムスターは20代の初めにも、ゴールデンハムスターを飼っていた。
いろいろと引っ越したり移動したりが多かったのだけど、
どこへ移るにも必ず籠に入れて連れて動いた。
私の涙も思い出もぜんぶ知ってる小さな友達は、
最期は私の枕元で、一緒に眠りながら逝った。
前述のジャンガリアンハムスターも、最期は老衰で亡くなった。
この子は結婚後、初めての転勤などで私の不安だった時期を支えてくれて、
遊園地みたいな、豪邸のようなハムスターハウスを備え、
餌も毎回手作りで、わが子のように可愛がっていたので、
亡くなった時はこれまた私は心身共に憔悴した。
ペット葬儀場に頼んで、お葬式もあげてもらった。
でもどちらのハムスターにも、生きている間に、
私の注げるだけの愛情、ハムスターに対する出来るだけのことをしてあげられた自信がある。
生きてるものは、必ず死んでしまう。
殊にペットは、おそらく私達よりみんな先に。
その短い一生の間に 私と出会えたことで、
「あ、なんか僕ってしあわせかも」 なんて、ちょっぴりでも感じてもらえる瞬間があったら、
それは私にとってもとても幸せなことだなと思う。
ところで、金魚。
実家の水槽にいた金魚は、18年生きた。
夏祭りの、金魚すくいで家族の誰かがすくってきた金魚だった。
私が中学生の頃から、結婚して10年経つ頃にもまだ、
帰省するたびに彼は大きな体で、水槽の中を漂っていた。
父がこまめに愛情をかけて、手入れをしていたこともあって、
それはそれは長生きして、大往生で亡くなった。
いつ実家に帰っても、彼がそこにいるのが当たり前のような気がしていたので、
亡くなった時はやっぱり、淋しいと思った。
だけど18年間。大きな水槽とはいえ、あの水の中だけで、18年。
時折、水底の石の上に並べるガラスの置物や水草の種類が入れかわる程度で、
餌も毎回同じ。名前を呼ばれても、聴こえているのかどうかわからない。
私が中学を出て、自転車で丘の上の高校に通い、大学を受験し、遠くに行き、
いろんなことがあって、結婚し、引っ越し、
そんな膨大な思い出のいろいろを積み重ねた18年の間、
ずっとあの水の中にいたのだと思うと、
私は金魚が幸せだったのかどうか、どうしてもわからない。
「たまには外にでたい…」とか「変化が欲しい」とか、
夢みたことがあったのかどうかも、わからないけれど。
だからふと、「金魚がいたらいいだろうな」と思うことはあっても、
私には金魚をほんとうに幸せにしてあげる自信がないので、
たぶん、金魚は飼わないと思う。
『思ひ出も金魚の水も蒼を帯びぬ』(中村草田男)
お元気そうですね。
お父様のお誕生日もおめでとうございました♪
金魚はもしかして 水の中から
家の中に飼われている人間(?)を
かわいそうになぁ~とか思っていたかも・・。
私も メイちゃんと風ちゃんが
うちで暮らして幸せだったと
思ってくれたら嬉しいです。
北の国もようやく暖かくなりました(*^^)v
私もしばしば思います……私はこの子(愛犬)を、世の中で一番大切で、愛しているけれど、この子は、どう思っているのかな?って。君のそばにいると、安心だよ。って、思って暮らしてくれてたら、もの凄~く嬉しいなあ。
どんなに小さな命でも、失った時の焦燥感・悲痛は、大きいよね。ハムスターの触った時の体温の温もり、スヤスヤと横で眠る愛くるしい姿、…どんなに会いたかったことでしょう。
動物のことを思うキノコちゃんに愛されたペットたちは、確かに幸せであったと、私は心からそう思いますよ。