〇11/6(日)
ぽちにお別れをしに犬舎へ行ってきた。
とても穏やかで安らかな顔をしていて、眠っているようだった。
きっと幸せな気持ちで天国に向かったに間違いないと思えた。
終末介護をしてくださったボランティアさん、本当にありがとうございました。
〇11/7(月)
愛護センターの被災犬ハチが里親さんに貰われて行って、今日はもういなかった。
淋しかったけど、でもあんなに寂しがり屋で甘えん坊で、いつも切なそうにないていたハチが、
里親さんの家庭で思う存分可甘えられていると思うと、それはそれは幸せなこと。
一匹、また一匹とそれぞれの場所へ引き取られていく、愛しい被災犬たち。
それは幸せなことなのだ。自分の心に確認する。そのためにボランティアをやってる。その日のために。
〇11/8(火)
前に栗駒山に登った時に、岩手側に「被災地展望の丘」という場所があって、
また追ってUPすると書いたのだけど、どうしても気がすすまなくて結局書いてません。
2008年の岩手宮城内陸地震の時に崩壊したままの鉄橋が、よく見える高台が展望台になっている。
地震の脅威や、防災についての説明などもあり、そんなにウェットな場所ではないし、
「これも被災地のひとつの形だな」と素直に思ったのだけど、
ブログで紹介する気がどうしても起きなくて、だから結局やめときます。
「あの記事はどうしたんだ」と心待ちにしてるひとも、まあ、いないでしょうし。
〇11/9(水)
福島県立美術館と高湯温泉に行ってきた。
高湯温泉の露天風呂ですっ転び、全身にかなり負傷したので、温泉のUPはちょっと見送り。
でも乳白色の、とてもいい温泉ですよ。「床が滑りやすくなっているので、ご注意ください」
私はそそっかしいのでド派手に転びました。
怪我をすると痛いですね。怪我はしない方がいいです。
福島で、大きなランドセルを背負った小さな男の子(1年生くらい?)が、
立ち止まって、ある看板を見上げているのを見かけた。
「11月13日(日)東日本女子駅伝」の看板だった。福島で開催される。
ユニフォームを着て、走る女性の絵が描かれている。
車で通り過ぎる間、男の子はずっとこの看板を見上げていた。
きっとこの日を、楽しみにして待ってる。
〇11/10(木)「福島について」
枝野氏が先の国会答弁でなにやら発言した。8日の記事参照。
なぜかマスコミがこのことを取り上げる様子がないけれど、失望した国民は多いはず。
3月11日からのあの緊迫した非常時、全国民が固唾を飲んで、彼の一言一句に集中していたのだ。
それを今になって、「あれはそういう意味で言ったんじゃなくてえ」みたいな逃げは許されないでしょ。
今は「原発担当大臣」ではないのかもしれないけれど、
ここにいて安全なのか危険なのか、
放射性物質を含んだ食べ物が安全なのか危険なのか、
彼らのひとことで、避難させられたり逃げようにも逃げられなかったり、置き去りにされたり。
あの時期に発言していた人間としての責任は大きいのではないの?
枝野さんでも細野さんでも、発言するなら福島に住んでみて、食べてみて、そのうえで発言してはどうなの。
誰もよくわからないのだったらせめて、ひとの人生左右する権限を持ってる人間としては。
だって、それほどのことでしょ??
国会答弁、あの場にあくび噛み殺しながら座ってなくても、テレビ電話でも出来るんじゃ。
国会はいま、「TPPで忙しくて、それどころじゃないんです」という顔をしてるけど、
「(暫定基準値の食べ物、あれは)
万が一、1度か2度(中略)摂取しても(中略)影響を及ぼすものでない(という意味で言ったんですよ)」
とさらりと言い訳されて、国民がどれだけ不安になったか、枝野さんにはわからないんですねえ。
「食べて応援しよう」と叫んで、総理が新米食べて「まいうー」と言い、
全国の善意のひとたちが食べて応援している、このさ中に。
同じ説明を、子供たちの前で、同じ顔して言えるんですか?言えるんでしょうねえ。
〇追記
ひとは何かを乗り越えなければならない時、過去の経験をもとにするものではないだろうか。
「あの時でさえ頑張れたんだから、今回もきっと大丈夫」
そうやって、自分を鼓舞して、壁に立ち向かえる。
だから、壁を乗り越えた数が多いほど、気持ちは強くいられる。
だけど、放射能の問題に関してはどうしても、頑張り方がわからない。
どう考えてみても、類似の経験を思い出せないからだ。右往左往するばかり。
(だからといって、政府もそれでいいとは絶対言ってない!)
「食べて応援」にしても、「食べて応援するひとがいるせいで、農家が補償を受けられないでいる」
という意見もあるし、避難したくても国が「逃げていいですよ」と言わない地域は、
不安を感じながらも留まり続けるほかない。
許せない思いは強いけれど、私にはなんの力もないし、なにも出来ない。はがゆい。
ただ、ほっておけない気持ちだけで、仙台ナンバーの車に乗って、時々福島に足を運ぶ。
誰も見てないかもしれないけど、「あ、仙台から車がきてる」と一人でも思ってもらえれば、
それが喜んでくれることであるなら(あると信じて)。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます