災害ボランティアに参加して、沿岸部の現状を目の当たりにすると、その衝撃の大きさに言葉を失います。
けれど、被災地からの距離が離れれば離れるほど、その実感は薄れるものだと思います。
私も実際に自分の目で見るまでは、被害の大きさは漠然としていました。
この現状を記録しておかなければと思い、写真を撮りましたが、
あまりに胸痛む光景で、写真は掲載していませんでした。
けれど、この記事を読んで、考えこんでしまいました。
被災地の物産展に来た年配のご婦人が、お店の人にこう言ったというのです。
「復興、復興って、もういいんじゃないの?」
それを読んで「信じられない」とはまったく思わず、
むしろそういう空気の方がまん延していることは、なんとなくわかっています。
けしてこのご婦人が特別ではないでしょう。
私の実家も近畿地方で東北から遠いので、帰省の折にも、
震災報道が風化していることは肌で感じました。
仙台市街地はもう殆ど元通りになっているし、さまざまなイベントも行われている。
震災前となにも変わらない風景に戻ったように確かに見えます。
でも元気なところから盛り上げて行かないと、沿岸部の傷は埋められないのだと思います。
「自分が元気でなければ、ひとも元気にできない」
被災地の再建を手助けする災害ボランティアたちは、
悲惨な情景を前にしても、明るく、逞しく、元気に活動しています。
元気でなければ助けられないのだ、ということを私も現場で学びました。
被災地の情景を見て、胸を痛め、神妙な面持ちになる時期はもう過ぎ、
これからはより具体的に、コツコツと前に進んでいく段階になったのだと思います。
だから、被災地のことを思うたびに気持ちが暗くなる必要はないし、
いつまでも沈んだ気持ちのままで日本じゅうがいたら、それこそ危険なこと。
ただ、けして被災地が元通りになったのではない、ということはどうか心に留めて頂き、
あたたかい気持ちで息の長い応援をして頂けたらいいなあと願って、
私が見た、被災地の現在の様子をお伝えしようと思いました。
ほんのごく一部であり、このような場所が東北にはたくさんあります。
以下の写真は、震災直後のものではありません。
つい先週、先々週の、被災地の現状です。
〇2012年1月31日現在、石巻市大曲地区
大型タンカーが押し流されてきているこの場所は、港ではなくて、住宅地です。
〇2012年2月4日現在 仙台市宮城野区蒲生地区
津波に押し流され、何もなくなったこの故郷で、
また一から再建しよう、生きて行こうとしているひとたちがいます。
それを支えるひとたちがいます。
「こころをひとつに」、「絆にっぽん」、「がんばろう日本」…
そんなスローガンに、正直うんざりする気持ちもわからないでもない。
でも何もなくなったところから立ち上がろうとしているひとがいることに、
思いをよせる想像力を、日本中のひとたちが、
どうか失わないで欲しいと願います。
東松島の友が自分の目で見ておいた方が~と言われ
その光景に途中で戻ろうかと何度も思いました
海岸までの間は何も残ってませんでした
所々に津波で被災した家が残されてました
復興復興って言ってるけど何も進んではいないように感じました
ブログに一度UPしたのですがあまりにも胸が苦しくなったので削除してしまいました
市内にいても温度差は感じますね
石巻の友が今仙台の娘さんの所に移って来ましたがやはり地元とは違うといいます
妹も仮設に入っていてこの間行って来ましたが
狭い、寒い、幅広のセロテープみたいなので隙間風をふさいでるのでしょうか
天井や壁に貼ってあるのには驚きましたよ
これは最初から貼ってあったそうです
まだまだこれからですね
若いきのこさん達、ボランティアさんには感謝です
確かに、被災地以外だけでなく、
市内でも、温度差はあると私も思います。
震災に対する意識の濃い薄いは、
個人的なものかもしれません。
ボランティアに参加しても、県外の人が
たくさん泊まりがけで駆けつけてくださっています。
若い人たちだけでなく、年配の方も多いです。
一人ひとりの力がなければ、復旧も復興も進まない。
勝手に復興していくわけではないので、
せめて現状への理解だけでも、と思いますね。
これから日本のどこでまた、大地震が起こるか
わからないとも危惧されているので、
どこにいても、備えは常にしていて欲しいと願います。