先週末に、仙台から友達のMちゃん が、熊本の私の自宅に遊びに来てくれた。
彼女が来る何日も前から嬉しくて楽しみで、何日も前から毎日家を掃除して待った。
そして、Mちゃんが仙台に帰ってしまったいま、その時間があまりにも楽しかったぶん、
まだなんだかぼーっとしているというか、帰ってしまってからの時間がとても長く感じる。
いつもなら私はカメラを手放さないんだけど、Mちゃんといる間、写真を撮るよりもその時間を満喫してた。
初日は、私のバイトが終わるのを、慣れない熊本の街なかで一人待ってくれていたMちゃんと久しぶりの再会!
私にとってもまだ慣れきらない熊本の街の中で、「久しぶり!」といって友達と逢える、その嬉しいこと。
初日の夜は、熊本城の中の桜の馬場 城彩苑で食事。
そのあと、いったん荷物を自宅に置いて、私がぜひともMちゃんを連れて行きたかった、
「素敵なおじさん」がマジックを見せてくれるスタンドバーに行きました。(パザパ)
前に行ったのに、変わった字体で書いてある店の名前が読めなくて、間違って違うお店に予約の電話してしまい、
なんとなくカルい感じのその店を不安がる私に、「そこはやめとこう」と即決するMちゃん。
Mちゃんと一緒にいてとても居心地がいい。「これはいい」「これは好かない」の感覚が、すごく似てるんだと思った。
加えて、細かいところでもたもたしたり、迷ったりしがちな私に比べて、Mちゃんはずだん、と即決出来るタイプなので、
私の方が年上なんだけど、なんとなくひっぱってくれるMちゃんが頼もしくもありw。
慣れない夜の街をすこしうろうろと迷い、無事にパザパに到着。
二人ともそんなにお酒が飲めないけど、軽くておいしいカクテルを作ってくれるパザパのマスター。
トークの運びもカルくなく、重くなく、ある程度年配で安心感のあるおじさんの見せてくれるマジックは最高。
会社の人に紹介されていった夫に連れられて私が行き、私がMちゃんを連れて行ったように、
お客さんが紹介でまたお客さんを連れてきてくれるから、いいお客さんばかりなんだ、とマスターは言ってた。
(左下:パザパ店内) (右下:イルカマリンワールド船のりば近くの喫茶店)
翌日、Mちゃんが一番楽しみにしていたイルカウォッチングの日は、念願かなって海も空も蒼く済みわたった。
穏やかな海の上でMちゃんはイルカに癒され、私はMちゃんと天草の海の上にいることの不思議さと感動に浸っていた。
熊本から天草までは3時間近くかかるので、多くは車の移動だったけど、車の中でたくさん話をした。
天気のいいうちに、なんとか阿蘇の絶景を見せたくて急いだけど、天草市内で渋滞にはまり、阿蘇の夕暮れに間に合わなかった。
翌日の天気は大荒れで、それでもとりあえず阿蘇へ行った。10メートル先の視界もない雨と風と霧の阿蘇は、
まるであの世への入り口みたいに不思議な世界だったけど、草千里でジャージー牛乳のソフトクリームを食べた。寒くなった。
霧でよく見えなかったけど、昨年の豪雨で被災した南阿蘇の村を通り、運転好きな割に運転が下手な私はその細い路地を抜けられずに、
「ごり」と音を立ててドアをこすった。見かねたMちゃんが運転を代わってくれて、脱出出来たのだった。
天候なんかどうでもよかったよね、楽しかった。
そのあと 浮島神社へお詣りし、Mちゃんはおみくじで大吉をひいた
お世話になってる神主さんともお会いでき、神主さんが神社から鰻屋さん に電話してくれて、時間のかかるせいろ蒸しを注文、
鰻屋さんについたらもう出来あがっていて、とっても美味しく頂けた。お世話になりました
楽しかった時間のその空気感は、素人がこうやって文章で残すことは難しい。
だから数日間、ブログにUP出来ないでいた。
文章にしたとたん、その体感が、散り散りになってしまうのを恐れたから。
でも、この記事を書いておけば、きっと思い返すたびにその時間に戻れるような気がする。
新しい土地に移って、「もう慣れた?」とか「友達は出来た?」ということはよく聞かれることだ。
転勤は熊本で4か所めだけど、そもそも、「慣れる」ということはどういうことを指すのか、いまだに私にはわからない。
同じようなことを私は仙台にいた時にも書いてるけど。
私のいま住んでいるのは歴史のある古い城下町で、何百年とそこに住み続けている家々の多い土地であり、
そこに「慣れる」ということはなおさら、数年単位ではありえないことのようにも感じる。
そして「友達が出来たか」ということは、これもまたそんな簡単に出来るものじゃないのだ。
Mちゃんとは、仙台にいたころ、一般的な「友達」がそうするように、
一緒に遊んだりご飯を食べに行ったり、そういうことをたくさんしたわけではない。
大震災後の1年間、真夏も秋も、真冬も、厳しい自然の中で、被災した犬たちのボランティアをしてきた仲間。
震災後の特殊な状況下で、特殊な経験を共にしてきたからこそのなにかがきっとあるような気がする。
そんな特殊な状況はたぶん、一生にそうあることではないとおもう。
そしてうまく言葉にならないけど、あの時期を一緒に過ごしてきたひとたちの中に、なにか共通のものは流れている。
Mちゃんが帰ってから数日、すとん と淋しさが襲ってきて、急に夜中にケーキを焼いたりした。
バイトがない昼間は、自分の居心地のいい喫茶店を探しに、街に出た。熊本にはたくさん素敵な喫茶店がある。
でも賑やかな場所にいると、淋しさはよけいにふくらむ気がした。
ただでさえ淋しい時に、増幅する淋しさは凶器だ。
それでも、私は自分に居心地のいい場所を、熊本で見つける必要がある。
そうしないと、時々、もうなにもかもぶんなげて、帰りたくなるからだ。 帰る? どこに?
やっぱりいまのところ、まだ私が恋しいのは東北だ。どういわれようと、「東北好き」なんだからしかたがない。
東北もまた、私の故郷ではないし、向こうでも私はひとりで出歩くことは多かった。
ボランティアのない平日はほとんど一人だったし、車に乗って一人でどこまででもいった。
「私はいつもなんだか「旅人」だなあ」とかいうことをブログにも書いてる。
それでも、自分に居心地のいい場所を私は東北にたくさん持っていたからこそ、いまでもこんなに愛着があるんだと思う。
もう何年も前から、ブログ上で親しくしてくださっている、同じ転勤族妻の女性が、
こんど旦那さんの転勤で東北にいくことになったそうだ。(いいなあ!)
彼女もきっと私と同じような心理的変遷を抱えている。
でも私よりずっと前向きで活動的だ。見習いたい。
お互い新天地で、がんばりましょう。
熊本のひとは、私のこの半年余りの印象では、とても世話好きで、明るく、
ただ市電で隣り合わせただけでも、お釣りがくるほどの親切をもらうことが多い。
仙台からひとりで家を探しに来た時に、初めて乗った市電で1万円札しか持ってなくて、大汗をかいていたら、
見知らぬ高校生か大学生の男の子が、さりげなく私に150円(市電の運賃)を手渡して去っていった。
彼の優しさにものすごく感動したのだけど、そういった類のことを、その男の子に限らず、
そこかしこで感じるのが熊本なのだった。
たくさん荷物を持って立っていた私に、座席に座っていた見ず知らずのお婆さんが、
「持ってあげるけん、かしなさい。私は座ってるんだから」と、恐縮して断る私からぱっぱっと荷物を取り、
私が降りるまでの間、膝の上に乗せていてくれたということもあった。
ひとにたいして垣根なく、あたたかい、ということが、ごく自然に浸透しているのが熊本だと思った。
ところがここ数日、友達が帰っていった淋しさに加えて、私が、
「自分は所詮よそ者なのです」 とちょっといじけているのは、
数日前の熊本日日新聞の読者投稿欄をみたせいだ。
Uターンで熊本に戻ってきた女性が自治会で発言したら、
「新参者が、それも女が発言するな。熊本に4~50年住んでから言え」
というような陰口をたたかれた、という投稿だった。
いじけるというか、本当のところがわからない不安からくる、恐怖にも似た虚脱感だった。
そのたったひとつの投稿が真実を語っているとは限らないし、
自分の目でみて、感じたことしか信じない、というのは私の常々考えていることで。
いまはまだなんだか混沌としてるのだ。
いま7カ月ちょっと。
仙台でもエンジンかかり始めたのは半年後くらいだった。
昨年の秋に実家に戻っていたことを計算にいれれば、まだこれからだ。
熊本城の梅はほころび始めた。
シバザクラも咲いていた。
動物も植物も、ひとの心もうーん と伸びをして動きだす季節が、もうすぐ始まる。
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