現在の千葉県の南端にあって、旧国の中ではその小さな面積で一国をなすのはどうしてなのだろうか?と思わずにはいられません。
そしてその小国にあって、安房国一之宮はなぜか2つあります。
トップ写真は、洲崎神社(すのさきじんじゃ)です。
この神社は滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」にも登場しまして、天気がよければ境内から三浦半島から伊豆半島、富士山まで望めるそうです。
鳥居から楼門をくぐり、心臓破りの階段を登っていきます。
下りの階段、
雨天だったのでかなり足下が怖かったです。
社務所裏の崖。
社務所裏の崖。
房州石(ぼうしゅういし)と呼ばれる石の崖。
途中に手彫りの祠のようなモノがありましたが、中はよく見えませんでした。
洲崎神社はほぼ宮司さんの気配すら分からず、無人なのかな?と思うくらいでした。
一之宮との看板はありますが、今まで参拝してきた一之宮とはまったく雰囲気が違いました。
この後、もう一つの一之宮、安房神社に向かいました。
参道は砂利道ですが、駐車場はアスファルト舗装なので右側の駐車場に沿って進む方々が多かったです。
社殿です。
日露戦役記念碑。
かなり目立つ場所にあります。
とても苔むした姿なので、湿気や霧が多い地域なのかと思いました。
小さいのですが、厳島社もありました。
小さいのですが、厳島社もありました。
交易、海運など海に関わる地域では厳島神社が多いので、当地も海運の要衝だったことが伺えます。
戦争関連碑。
琴平社。
ここに境内唯一の狛犬ちゃん。
私は狛犬ちゃんに詳しい訳ではありませんが、これは平成製?令和製?と思われるくらい新しかったです。
私は狛犬ちゃんに詳しい訳ではありませんが、これは平成製?令和製?と思われるくらい新しかったです。
しかも台座に何も彫りがありません。
線彫り部分も浅いし、全体的にトロッとした印象でした。
普段キリリとした印象の狛犬ちゃんをよく目にしているので、当地独特のモノなのかはよく分かりませんでした。
よく見ると、渡り廊下の屋根が破損しています。
台風被害でまだ直せないのかもしれません。
ただし裏の崖からは落石があるそうですから、落石によるものかもしれません。
御神木の槇(まき)。
私はイヌマキ好きです。
槇は少し違うのですが、好みの樹木の1つです。
さて、安房国にはなぜ2つの一之宮問題の件。
洲崎神社、すぐ近くに洲崎という地名があり、内房(うちぼう、房総半島の東京湾側)の先端部分です。
対岸は神奈川県の三浦半島です。
「日本書紀」では、東征のために三浦半島走水(はしりみず)から房総半島の当地に日本武尊が海を渡ったとされています。
一方で安房神社は古代から神郡を持つ由緒正しき神社です。
時代は下り平安時代末期、源頼朝が伊豆石橋山で挙兵するも、敗戦して安房国に逃げます。
この時平氏打倒を誓ったのが洲崎神社で以来、源氏の庇護下で一之宮となったそうです。
その後も三浦氏や里見氏の庇護を受けたのでどちらも安房国一之宮という、なんとも歯切れの悪い説明になります。
でも、洲崎神社の立地から言えば、ここを無視して安房国の国防はできなかったのでしょう。
少し内陸にある安房神社も大切ですが、洲崎神社の立地も大切だったとなるのでしょう。
それと安房国。
小国ながら、地域は交通の要衝だと感じることができました。
先日訪れた鹿島神宮や香取神宮が、古代における北の備えの要塞なら、ここは補給基地だったということか。
今日は雨天だったのは残念でしたが、歴史を感じる一之宮巡りになりました。
また、今回はいちご狩り帰りにまちこちゃんにも付き合わせてしまって申し訳なかったです。
今回も遠くまで連れて行ってくれてMIFさんありがとうございました。
またまちこちゃんとも2年ぶりにいろいろとおしゃべりできて楽しかったです。