12月11日(金)
昨日はすごい大雨だったが、今日は冬とは思えない暖かい日。劇場ボランティア会の仲間6人で、音楽祭の時の茶屋の益金などを寄付するために、木城の石井記念友愛社に行ってきた。

石井十次は「児童福祉の父」と呼ばれ、日本で最初に孤児院を作った人。
宮崎に生まれ、岡山の医学校で学ぶが、途中自分の子供がまだいないのに、孤児を引き取って面倒を見るようになり、結局医学を諦め、孤児の救済に力を注ぐようになった。
母親がやさしい人で、近所の貧しい人を物心両面で支えていたという。そんな親の背中を見て育ったから、こんな立派な人になったんだ。そう思うと、私の背中を見て育った息子が気になってきた。
広い敷地の中に、資料館や子供たちの住居、岡山から移築された静養館、方舟館、等があった。
静養館

静養館内部 ここで子供たちは今でも「論語」を学ぶ
方舟館

3階に<アンジェラスの鐘>今はもうならしていない
緑豊かで自然がいっぱいの場所で職員さんのやさしい愛情に触れて、子供たちはのびのび育つだろうなと思った。
親の貧困やいろいろな事情で来た子供たち50人ほどが、ここで暮らしているという。ここの子供たちは勉強もよくするし、作業の手伝いもよくするという。
<資料館>
多くの資料が展示されている
人間国宝の芹沢恵介が制作したステンドグラス
資料館や静養館で職員の方から説明を受け、<石井十次>の生涯、大原孫三郎との出会い、生まれ故郷の宮崎に理想の施設を作ろうとした経緯など、・・・話を聞けば聞くほど、立派な偉大な人だと、感動した。
帰りはお決まりの、「みんなでお昼食べて帰りましょう!」予約はMさんがしてくれていた。ランチがお目当てで来た人も、たぶん
いる(笑)
<和こころ笹ふね>

県立芸術劇場の横の文化公園に、<石井十次>の銅像がある。

昨日はすごい大雨だったが、今日は冬とは思えない暖かい日。劇場ボランティア会の仲間6人で、音楽祭の時の茶屋の益金などを寄付するために、木城の石井記念友愛社に行ってきた。


石井十次は「児童福祉の父」と呼ばれ、日本で最初に孤児院を作った人。
宮崎に生まれ、岡山の医学校で学ぶが、途中自分の子供がまだいないのに、孤児を引き取って面倒を見るようになり、結局医学を諦め、孤児の救済に力を注ぐようになった。
母親がやさしい人で、近所の貧しい人を物心両面で支えていたという。そんな親の背中を見て育ったから、こんな立派な人になったんだ。そう思うと、私の背中を見て育った息子が気になってきた。
広い敷地の中に、資料館や子供たちの住居、岡山から移築された静養館、方舟館、等があった。

静養館

静養館内部 ここで子供たちは今でも「論語」を学ぶ

方舟館

3階に<アンジェラスの鐘>今はもうならしていない
緑豊かで自然がいっぱいの場所で職員さんのやさしい愛情に触れて、子供たちはのびのび育つだろうなと思った。
親の貧困やいろいろな事情で来た子供たち50人ほどが、ここで暮らしているという。ここの子供たちは勉強もよくするし、作業の手伝いもよくするという。
<資料館>

多くの資料が展示されている

人間国宝の芹沢恵介が制作したステンドグラス
資料館や静養館で職員の方から説明を受け、<石井十次>の生涯、大原孫三郎との出会い、生まれ故郷の宮崎に理想の施設を作ろうとした経緯など、・・・話を聞けば聞くほど、立派な偉大な人だと、感動した。
帰りはお決まりの、「みんなでお昼食べて帰りましょう!」予約はMさんがしてくれていた。ランチがお目当てで来た人も、たぶん

<和こころ笹ふね>


県立芸術劇場の横の文化公園に、<石井十次>の銅像がある。
