花と動物大好きおばさん

趣味の洋蘭を育てながら愛犬との日々を送っています

フェーリで神戸へ

2017-07-17 14:27:26 | 旅行

新門司港から夕方、フェリー に乗船して瀬戸内海をクルーズ 

*(やまと) 全長195m  全幅26.4m

 

  *最上の甲板は、当日は風が強く 

*しっかりつかまっていないと吹き飛ばされる~

 

*レストラン

 

*メニューの一部です  他、ビールやお酒、ワイン等々もあります

 

*広いジャグジー付きの風呂(男女別々 あたりまえ?)

 

*部屋 私達は和室でしたが、洋室もあります

 

*エントランスホール

この日はコンサートをやっていましたが夕食に夢中になり

聞き逃してしまいました

その他売店、カラオケボックス、美容室、等々有ります

*船泊で翌日は神戸港で下船します

当日は風と霧雨のため、宝石をちりばめたような満天の星空を

見る事は出来ませんでしたが、

船の揺れもなく、しっかりお風呂に浸かった3人のおばさん達は

ビービー、ガーガー、 と爆睡するのでした。

では、また

 

 

 

 


巌流島

2017-07-17 12:11:39 | 旅行

下関から船で関門海峡に浮かぶ、巌流島(佐々木小次郎×宮本武蔵の世紀の決戦場)へと行きます

武蔵と決闘した「舟島」は「巖流島」と名を変えられ、この勝負はのちに「巖流島の決闘」と呼ばれるようになった

決闘が行われた当時の巌流島は現在の1/6、の17,000㎡ で、その後明治から大正にかけて埋め立て工事が

行われ、現在では103,000㎡ になったそうです

 

*左側の佐々木小次郎「旧名 岩流」は三尺の白刃を手にして決闘に挑み、右側の武蔵は「木刀の一撃」でこれを倒したとある。

このときの武蔵の必殺の一撃は「電光猶ほ遅きが如し」と表現されている。

*宮本伊織の碑文によると、上記のように巖流島の決闘で小次郎は即死しているが、決闘の60年後の沼田家伝によると決闘で武蔵は小次郎を殺すに及ばず、敗北した小次郎はしばらく後に息を吹き返し、その後武蔵の弟子らに殺されたとある。小次郎の弟子らも決闘で負けたことを恨み武蔵を襲撃するが、沼田の助けにより武蔵は無事落ち延びたとある。決闘に至った理由も、弟子らが互いの師の優劣で揉めたことが発端と記されており、過激な門人らの争いが一連の騒動を引き起こしたとされている。

*伝記により、内容も変わっている

小説やテレビなどで、今なお語り継がれている武蔵 & 小次郎、

実際に来て見ると、瀬戸内海に浮かぶ静かで小さな島で剣豪同士の戦いが繰り広げられたなどとは

想像もつきません

 

てな事で、剣豪たちのお話でした。