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2010-2011 カタギ-ヒトリタビ-ニート

341

2011-08-01 18:54:01 | ラオス
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8月。

来月帰国が、今月帰国。

いよいよ。いやはや。

気を引き締めていかねば。

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バイクのガイドで個人ツアー。
希望の場所を言って回ってもらう。
バイクで緑の中を駆け抜けるのは爽快。
しかし時々雨に打たれて苦行しつつ。

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ジャール平原という、謎の石の大きな壷が多数置かれている場所へ。
お酒を貯めるとか諸説あるらしいけどはっきりはしておらず、
制作方法、運搬方法も謎という、
まるでイースター島のモアイ。

そこは、ラインが引かれていて、
ライン以外を歩くと、爆発するかもよという警告ありの場所。
爆撃の跡や、隠れて攻撃をするべく掘り出してある穴もある。
ドラマみたいだ。

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爆撃の跡が密集している、ボンクレーターという場所へ。
パッと見普通の溜め池。
こんな攻撃に遭ったらまさしくひとたまりも無いという感じ。

ガイドは若い青年だったのだけど、
彼の祖父母たちは、その当時はベトナムに避難していたそう。
彼自身はアメリカにどうこうっていう感情は無い様子。

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少数民族のモン族の村へ。
特に民族衣装を着ていることもなく素朴な感じ。
不発弾を倉庫の土台や、塀、植木鉢などにしてるあたりに逞しさを感じる。

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タムピウ洞窟へ。
この中に学校や病院も造られていて生活していた374人の方々が、
1968年11月24日に
アメリカの爆撃で一瞬で亡くなったという場所。
3発の爆弾の内一発が洞窟の中に入って全てが奪われた。

もちろん洞窟の中に生活を感じさせる面影は微塵もなく、
手前にある博物館で、生々しい写真や攻撃の跡などを見ると、
月並みだけど、人と人と思わないことが戦争なのだなと思う。

1968年ってそんなに昔じゃない。

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シリアで、恐らくアメリカの友好国という理由で入国拒否されかかったり、
キューバでチェ・ゲバラやカストロ政権に触れ、
ラオスは今は対立はしていないけど、国民感情として「嫌い」がある。

アメリカ人は海外行くにも日本人の何倍もビザがいるし、ビザ代も高いし
結構嫌われてる。

私はアメリカ好きだし、
趣味嗜好、生活においてアメリカが無いことは考えられないのだけど、
アメリカに迎合しない姿勢の国に滞在してみて、
良い国だなあという印象も受けている。
アメリカの功罪について勉強しなくては。

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食;豚肉と米麺。グリーンカレー