小さな幸せが嬉しいなぁ~*♪

わんちゃん大好きです。

大好きな人が会いに来てくれた♪ & 母上様の旅立ち

2017年11月29日 | 日記

大好きだった℃ーuteの舞ちゃん。

今年の六月にさいたまスーパーアリーナで℃ーuteのラストコンサートがあった。

そのコンサートを二人で楽しみに楽しみに指折り数えていた。

だけど....その六月にじいちゃんパパさんは重度の感染症にかかってしまって入院。

コンサートにはとてもとても行けない状態。

私だけ一人で行こうかとも思ったり、その日まで悩んだけれどじいちゃんパパさんを

一人病室に置いては行けなかった。

そのくらい体調が悪かった。

残念で残念でたまらなかったけれどしかたがない事だった。

何年か前には一度コンサートには行ったことがある。

二人で感激したことを昨日の様に思い出す。

そし今回は℃ーuteのラストコンサートでもあった。

小学一年生からハロプロで頑張ってきた舞ちゃん。

℃ーuteのグループになってからも楽しみにずっと見守ってきた。

舞台を観に行った事もあったしテレビに出た時は嬉しくってたまらなかった。

舞ちゃんは兄の孫...いつも仲良くしている姪の娘。

解散してから舞ちゃんは新たな挑戦に向かって頑張って居る。

忙しいスケージュールの中、千代さんの49日に少しだけ参列してくれた。

そして.....。

12日の日にはセレモニーで眠っているじいちゃんパパさんにも

会いに来てくれた。

本当に嬉しかった。

舞ちゃんのお陰で、これまでいっぱい楽しませてもらったよ。

まさか....舞ちゃんが会いに来てくれて涙してくれるとは思っていなかったからきっ

と、おじちゃんはびっくりしたと思うよ。

凄く喜んでいるのが伝わって来ていたよ。

本当にありがとう!!  舞ちゃんもこれから頑張ってね。また応援するからね。

 

そしてこの日12日はやっと母上様ところに息子と娘と三人で行くことが出来た。

意識は、ハッキリしていない様だった。

ごめんね〜モトさんやっと来れたよ。

え〇子さんやあ〇〇ちゃんが会いに来てくれて良かったね。嬉しかったね。

そんな話をしていたら....布団の中の手がもぞもぞと動いて両手が伸びてきた。

三人でびっくりした。えぇぇぇ....モトさん死にそうなのに凄いね!

その手はチアノーゼになっていて紫色だった。

みんなで手を握った。母上様....何を思っての事だったんだろうか....。

自分の息子が先に旅立ったことは知らない....。

私たちが来たことが嬉しかったんだろうか....。

最期のお別れだと思って?

私の心の中は何とも言えない気持ちになった。

こんなに母上様の事を可哀想だと思ったことはない....初めてかもしれない。

最期の最期....言葉も発せない、目も開けられない、そんな時に力を振り絞って

手を伸ばして来た母上様には脱帽だった。

私たちの言っていることは聞こえていたんだと思う。

僕の前から千代さん、お父さんモトさんまで居なくなるなんて悲しいと

また、おいおいと泣いた息子。

 

母上様は98歳...尿もほとんど出なくなっていたし時間の問題だと思った。

そして....この二日後の14日 朝の8時15分...98歳という長い人生を大往生で終えた。

偶然かもしれないけれど....8.15....という数字はじいちゃんパパさんの誕生日でも

あった。

けして仲良しとは言えなかった母と息子....

最期に優しい息子の手に引かれ........一緒に天に昇って行ったんだと信じている。

 

 

 

 

 

 


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泣いている暇はない

2017年11月27日 | 日記

兄には六時ころ連絡をした。

その後....兄夫婦と姪二人が駆けつけてくれた。

とうとう.....その時が来た。

11時26分........医者から告げられた。

私、息子、娘、兄夫婦 姪たち 七人がこのときの最期の瞬間に立ち会えた。

千葉の兄の知人から前日....メッセージが届いていた。

〇〇さんは今幸せのお部屋に行く準備をしているところですよ。

この言葉をいただいてどんなに気持ちが楽になったことか....

苦しそうな時.....パパさん....今、幸せなお部屋に行ける準備をしているところだからね。

準備が出来たら楽になるからね。と耳元でささやいていた。

もう....覚悟は出来ていたから.....穏やかな最期であってほしいと

願っていた。

旅立ってから一時間後にお願いしていたセレモニーさんが

お迎えに来てくださった。

一時間の間に看護師さんによって、きれいな体にして頂いていた。

入院中の御礼を先生と看護師さんに告げてみんなでセレモニー

さんへ移動した。

もう....泣いている暇はなかった。

すぐに葬儀の打ち合わせとなった。

打ち合わせも七人で臨んだ。

どんな時でも一緒に寄り添ってくれる兄たちや姪たちに心強く感謝の気持ちでいっぱいになった。

祭壇やお花やお通夜の振舞の料理や火葬が終わった後の精進落しのお料理等々

決める事がたくさんあった。

姪が先頭に立って色々と決めてくれたので本当に助けれらた。

そして....お通夜の日程は15日に決めた。

この15日は母千代さんの49日.....敢えて一緒の日にした。

昼間は母千代さんの49日の法要を済ませそのまま全員がお通夜に

来ていただくことにした。

北海道、大阪、千葉、茨城等々泊りがけでみんなが来ていた。

親族だけの葬儀....精進落しの料理は46名分、小さい子ども用は4名分

全員で50人となり大広間での葬儀になった。

あんなにずっと泣いていた息子も喪主の挨拶はしっかりとやってくれた。

最後の精進落しの席にゆうじくんは学校の事で遅れてきた。

このゆうじくんがみんなを笑いに誘ってくれた。

はぁい.....ゆうじくんが来たよ~とみんなに迎えられたゆうじくんのその足元を見る

と履いていたその靴は白と青の別々なものだった。(笑)

みんなが笑った。じいちゃんパパさんも可笑しくってきっと笑ったに違いない。

子供っていいなぁ....どんな時でも笑わせてくれるんだから。

いっぺんに和やかになった。

暗い車の中で履き替えたので気が付かなかったらしい。

末っ子のともやくんはともやくんで息子に.....

ひ〇くん....食事の挨拶はなんだか棒読みだったよっ。

バッサリと言われ....またみんなが笑いになった。

息子....普段言わない難しい言葉を使ったからね....読んだだけになっちゃった。

と笑っていた。

だけど...喪主の挨拶はしっかり出来ていたよ。母の私がフォローした。(笑)

こんなことも親族だけの席だから言える事。

とても和やかでそして賑やかな雰囲気の葬儀となった。

息子.....おかあさん今日は良かったね。賑やかに送ってあげられたね。

きっとお父さんは喜んでいるね。

お父さんの兄弟も来てくれたしお母さんの親戚がこんなにたくさん来てくれて

僕は嬉しいよ。

お母さん....田〇家からお嫁に来てくれてありがとう....と言った。

ちょっとこの言葉には笑ってしまった。

それって....じいちゃんパパさんが言う言葉じゃないかい。

本当に息子は素直で面白い子だなっと思った。

息子が思っているように私の親族は優しくて明るい人ばかり。

こんなに悲しい事があったって乗り越えられているのもそのみんなのお陰。

私も息子も娘もみんなにありがとうの言葉を何回言っても言い切れないほどの

感謝の気持ちでいっぱいになった。

優しい空気に包まれたまま.....じいちゃんパパさんの葬儀は終わった。

 

 

あまりにも色々とあって.....

11日に亡くなって12日からお通夜の15日までの間の事は次回に

記録します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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もう.....時間が無いと思った。

2017年11月25日 | 日記

母上様には娘と息子二人がいる。

その娘とは、かれこれ20年は会っていない。

弟の方も母上様が、施設に入所してからは一度も

会いには来ていない。

二人にとっては母と兄。

もう....この日は10日.....もう時間がないと思った。

亡くなってから連絡して来てもらっては、二人はきっと気まずい思いをする筈。

もう....時間が無ないと思ったから。

あなた達のお母さんもお兄さんも....二人が危篤状態なの。

だから会いに来て欲しいと電話した。

もう夕方になっていたけどすぐに駆けつけて来てくれた。

弟のあ〇〇ちゃんはお嫁さんと。

まずは母上様のところに行ってもらった。

妹のえ〇子さんはタクシーで施設へ行き...弟のあ〇〇ちゃんは息子が駅まで迎えに行って施設に連れて行った。

息子の話だと....え〇子さんは泣いてごめんね、ごめんねと言っていたよ。

意識もあまりハッキリしていないおばあちゃんが涙を流したんだよっと。

びっくりしたことを話していた。

あんなに会いたくは無いと言っていた母上様だったけれどやっぱり親子、

まして母と娘、会いたくない筈はなかったんだと。

もう少し元気なときに連絡してあげれば良かったと後悔もした。

その後....二人の兄でもあるじいちゃんパパさんのところへ息子が連れて来た。

え〇子さんは連絡してくれてほんとうにありがとう。ありがとう.....と

何回も言って泣いた。

え〇子さん....今までの事は気にしなくてもいいわよ。

大丈夫だからこれからは昔の様に仲良くやっていこうね。

私たち...もちろんお兄さんだって怒ってはいないから。

ありがとうとまた泣いた。

良かった、良かった連絡してあげて....私は心の中で何回つぶやいた事か。

パパさん良かったね。ほら、あ〇〇ちゃんも...え〇子さんも来てくれたよ。

〇〇家は、これからみんな仲良くやっていくからね。もう心配しなくてもいいからね。

安心してね。

弟のあ〇〇ちゃんが、この数年来られなかったことが会って分かった。

体調が悪そうだった。歩く姿も弱々しいし話す言葉もハッキリしない

立っていると傾いてくる。

そうだったのね....この四年の間に随分弱っちゃったんだね。

無理だったね。納得した。

 

夜も遅くなってしまったので、え〇子さんとあ〇〇ちゃん夫婦は

東横インに泊まってもらって朝に一旦帰ってもらった。

時計も回って日付は11日。

朝方四時ころだったろうか...警告音は鳴り響いていた。

看護師さんから告げられた.....連絡したい方がいましたら、と。

娘は家で待機しているこ〇ちゃんに電話を入れた。

いつでも飛んで行くからねっと言ってくれていた兄だったけれど

余りにも早朝....もう少し後ですることにした。

 

早朝のタクシーが一台も掴めず娘が車を飛ばして家に帰り

子供たちも一緒に連れて来た。

孫たちは学校に間に合う時間までいてくれた。

じいちゃん....みんな声にならないか細い声だった様な気がする

手を撫でてくれた。

これが孫たちにとってはじいちゃんと最期の時間となる。

朝の四時のこんな早い時間に起きて来てくれたんだね。

ますます孫たちの事が愛おしくなって泣けてきた。

家族って....いいなぁ~と思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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感動的だったお別れの時。

2017年11月15日 | 日記

入院になってから六日目

腎瘻を付けて尿が出てくるようになって四日目

この日は朝からお婿さんのこ〇ちゃんも来てくれた。

息子はこ〇ちゃんの顔を見るなり感謝の気持ちでいっぱいになった様で

また泣く...泣く。

こ〇ちゃん~お酒を飲みながらいつも仕事の話をしてくれて

お父さんは嬉しそうだったよ。ありがとう。

そして...妹が幸せなのはこ〇ちゃんのお陰です。

ぼくは頼りにならないのでこれからよろしくお願いします。

この時の息子はすべての事が涙に繋がっていた。

私も....パパさん~こ〇ちゃんが来てくれたよ。

自慢のお婿さんだもんね。良かったね。

こ〇ちゃんもうつむいて涙していた様だった。

娘に後で聞くとこ〇ちゃんの涙は見た事がなかったから驚いたと言っていた。

それを聞いて....あぁ....家族になっているんだなぁ~と嬉しくもあった。

 

何かあったらいつでも飛んで行くよと言ってくれていた兄。

千葉の兄からも行きたいとラインが....でも遠いから今はいいよ。と伝える。

この日は兄夫婦と弟も来てくれた。

姪たちからも私たちの体の事を心配をしてくれて栄養ドリンクや義姉からは

甘いもの~弟からは珍しい沖縄のフルーツや葡萄の差し入れもあった。

みんなが心配してくれているので心強くて心強くて本当に嬉しかった。

私たち三人だけだったらこの状況をどうやって乗り越えただろうか.....

 

こ〇ちゃんも帰り、兄夫婦や弟たちが来る前の事。

相変わらず点滴が切れると息苦しくなっていて辛い状況だった。

そんな時....娘は看護師...先生に相談をしてくれた。

もっと父親に合う点滴があるはずだから。

自分が診て来た患者さんは点滴を変えて楽になったと。

そして....相談した結果...点滴を変えてもらえることになった。

今までより少し強めになるから寝ちゃうかもしれないからね。

今だね。みんなでパパさんにお別れを言えるのは。

数値から見ても...もうすぐ近くまで迫っていたのは分かっていた。

三人がじいちゃんパパさんの枕元で今までのお礼を言った。

お父さんのお陰で僕たちは幸せに暮らせたよ。なんでも教えてくれてありがとう。

娘は....お父さん! 今までありがとう。

私は....パパさんのお陰で一度も困ったことはなかったよ。なんでも買ってくれたね。

最後の買い物は車だったね。形見になるなんて思ってもいなかったけどそうなっちゃったね。

いつも優しくしてくれて褒めてくれてありがとう。だから幸せだったよ。

こんな言葉をたくさん言う事が出来た。

それを聞いていたじいちゃんパパさん。

閉じでいた目を開けて娘の顔、私の顔、息子の顔を

ひとりひとりゆっくりと見てにっこり微笑んだ。

もう...言葉を発する力も気力もない筈なのに...びっくりした。

わぁ....笑ってくれたの。

みんな泣きながら....パパさんありがとう。ありがとう。

じいちゃんんパパさんとのお別れの儀式みたいなものだった。

テレビのドラマの中でも観た事がない感動的なシーンだったなっと

今でも思っている。

そんな貴重な時間が出来た事も奇跡の様なもの。

お別れの時は....なかなか思ったようには...改めてこんな風には行かない筈だから。

点滴が変わってから随分呼吸も楽になって来て

ゆっくり寝る事も出来る様になった。

パパさん...苦しくって寝られなかったもんね。良かった。良かった。

ま〇ちゃん先生に相談してくれてありがとう。

母とお兄ちゃんは泣くことだけで全然気が利か無いからね。

ま〇ちゃんはしっかりしていて助かったよ。

 

入院してから毎日母上様の施設に電話をして様子を聞いていた。

まだ.....頑張っていますよ。

それでも意識は...はっきりはしていなという事だった。

母上様.....もう少し頑張ってね。今一緒に逝ってしまうと本当に困っちゃうからね。

お願いねっと.....祈るしかなかった。

 

 

きらら、ショコラ、プリンは元気ですよ。

 

 

相変わらずいたずらちゃんです。

 

 

 

 

 


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泣いたり笑ったりの病室&母上様の事

2017年11月12日 | 日記

娘も息子も朝早くから来てくれていた。

この日も息子は来るなり泣く.....お父さんが可哀想だ。可哀想だと言って。

そんな...息子を見ると。

涙を拭いているそのハンカチはくしゃくしゃになっていて...それも花柄。

えぇ...それ....母のだよっ。

きれいにアイロンをかけてハンカチの中でも一番大事にしていたもの。

泣くのはいいけど...自分のハンカチで泣いて!

私も娘も...もらい泣きしながらも女性用の花柄のハンカチを使っている

息子のことがなんだか可笑しくなってしまった。

そして...椅子に座ったまま夜を過ごした私の足は

靴から肉がはみ出していて象の様に浮腫んでいた。

こんなに浮腫んだ足を見るのは初めてだったので可笑しくって娘と笑った。

こんな緊迫している時でも....可笑しい事があると笑えるんだなっと思った。

どんな時でも気持ちはどん底までは落ちない。

そんな自分の性格に改めて良かったと思った。

相変わらず...点滴が切れると苦しくなってしまう。

息苦しいので指先に付けている酸素濃度を計っている物や酸素マスクも

煩わしくって外そうとする。

苦しさもだんだん増してきている様だった。

私も息子も娘も....もう....命の期限が迫ってることは感じていた。

この日の兄とのラインは....葬儀の話にもなっていた。

もう...そんな話になるの! まだ死んでないのにと兄は戸惑っていた。

でもこの事は他の事で重なってしまう可能性もあったので葬儀の日程は

重要な事でもあった。

 

ここで....母上様の事も書いておかなければ....。

尿が一滴も出なくなった三日の日は診察に行っていた。

先生からこのままだと...後数日しか持たないですよっと言われた

その直後くらいに施設からの電話が入った。

あの....モトさんがもう意識が薄くなっていますから

いつどうなるかは分からない状態です。

えぇぇぇ! そうなんですか....今こちらもこういう訳で

すぐにはそちらには行けそうもないのですが....

どうしたらよいでしょう!!

大丈夫ですからモトさんの事はこちらでしっかりと最期まで看取りますから

今はご主人様についていてあげてください。

これまで母上様のところには頻繁に行っていたので看護師さんとの

信頼関係は出来ていた。心強いことを言って頂いて本当に嬉しかった。

あぁ....良かった

有難かった.....母上様の事お願いします。

じいちゃんパパさんがそのことを知って。

それじゃ.....二人の葬儀になっちゃうな。と、言った。

それが現実になってしまうとは....この時点では予想もしていなかった。

 

 

 

 


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