数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

新年に思ったこと1

2022-01-04 09:43:39 | 日記
 年末年始というのは、なぜか世間の流れに乗せられたような生活で落ち着かないのが、私です。昔からそうでしたが、人と同じようなことをすることが多いからでしょうか。

 しかし、もうそんな生活も年齢的にも見直してもいい時期と考え、年賀状を今回で最後にすることにしました。実は、昨年、結婚している娘からの年賀状に今後の年賀状を止める旨が書いてあり、今年は私もと考えた次第です。

 これも、世間に同調する習慣からの脱却と考えますが、昨年はこの「同調圧力」ということを何度か意識させられた年でもありました。振り返って、自分のこれまでの生活で、「同調圧力」なるものを考えてみると、無意識のうちにその圧力の中で生活していたような気がします。

 教員生活などはその典型かもしれません。もっとも、教員生活と一絡げには言えないと思います。特に、小中学校と高校に関して、文科省では初等中等教育局で一絡げにされていますが、高校教員をしていていつも違和感を覚えていた記憶があります。また、公立高校退職後、私立の高校への勤務して感じたことでは、公立と私立ではまた、特に職場感覚での違いを感じました。

 そういえば、このところ教員の仕事に関して部活の顧問の問題から派生して、勤務時間などの問題がクローズアップされています。しかし、その中身を見ると、小中学校の教員が報道内容の中心で、高校の教員の内容はほとんど含まれていません。そして、その小中学校の教員の報道から高校教員に関しても同じように考えられる向きがあります。このような傾向、即ち、小中学校と高校を同じように一絡げに考えることは、これまでも何度となく経験してきている身としては、マスコミを含めてのジャーナリズムの固定化された視点を感じますし、いつも違和感を覚えてきました。

 そんなことから、自分の教員生活を少し、振り返ってみます。そこには、時代背景からくるところの価値や、判断基準の変化に大きな変化を感じます 。バブル以降の失われた30年、あるいは低成長時代ともいえる中で、経済的な成長はないものの、社会の中の変化は大幅な変化をもたらしているようです。ややもすると、経済成長がないので、社会の構造や社会規範や、はたまた学校教育の中での様々な変化も少ないように誤解してしまいますが、ミクロ的にもマクロ的にも確実にその変化率の大きさは見受けられます。

 先日、家で教えている高校生の母親が来られて、その母親自身が私が勤務していた高校の初期の生徒であったことから、当時の卒業アルバムを開いたところ、最後の2、3ページがなんと生徒の住所録になっていて、今なら個人情報そのものであり、決して印刷されないものです。そのとき思い出したのは、当時は生徒名簿というのがあって、そこには生徒の住所電話番号、保護者の氏名、さらにはその職業まで記載されていたことを思い出します。毎年学年が変わるたびに、学期始めに、その生徒名簿が学校から配布されていたのです。まあ、それをもとに電話(固定電話)をかけていたものですが。高校卒業してからもその生徒名簿が連絡する時の貴重なツールの一つでした。

 ところで、私が初めて生徒名簿というものを目にしたのは、私が転向した中学3年時のものです。中2までは地元の公立中学に通っていたのですが、中3になる時に津市にある三重大学教育学部附属中学校に転向することになりました。地元の中学ではなかった生徒名簿というものがその中学では発行されて、多くの他の生徒の親はサラリーマンや大学の先生や公務員、そして自営業なのですが、私の親は農業で、それが記載されていて、思春期の自分にはそれが恥ずかしい気持ちになりましたし、それを揶揄するような生徒もいて、今でもかすかな心の傷の痛みを思い出します。考えてみると、今では犯罪であることが公然と学校で行われていたのですね。私と同じ世代の人なら思い出せることですね。

 以前にブログでも書いたと思いますが、大学の合格者の氏名が新聞に載った時代ですからね。実は私も京大の合格を新聞で知ったのですが、学部別に載っていたようです。県立高校の合格者の名簿は新聞の別刷りで朝刊に挟まれていましたのも思い出します。これは三重県だけの話でしょうか。今でも公立の教職員の移動に関しては4月1日の朝刊の別刷りで見ることができます。高校の校長に至っては写真付きです。私立大学の合格氏名に関しては、一部は新聞に載ったようですが、慶応や早稲田などほとんど私立大学は新聞にはその合格名簿は載りませんでしたが、逆に、ほとんどの国公立大学は載っていたようです。その背景には大学合格における国公立と私立に関する差がこんなところにも見受けられます。それも長い歴史さえ感じます。1980年代までは、この新聞による国公立大学合格者の氏名公表は続いていたと記憶しています。高校の進路指導部ではこの新聞情報も生徒の合格情報を得る手段の一つでした。

 今でもそうですが、生徒の合格数とかの情報はマスコミから要請があり、高校の進路指導部からお知らせすることが多いのですが、特に東大京大は、週刊誌も特集を組んでいる関係で期日指定の忙しい要請があります。基本的に個人情報であるがゆえに、今はそれを得ることの厳しさが増していますが、それでもニーズがあるのでしょうが、その時期は進路指導部も忙しい時期で、結果として、その情報(人数だけですが)をもとに各高校別の大学合格情報が世間に知らされていくことになります。もっとも高校によっては、そのような情報を後公開しない高校もあります。愛知県の旭丘高校はその筆頭と言えますし、筑駒などもそうです。結果は、合格数の比較等により、高校のある種のランクが作られていくのですが、それは今に始まったことではなく、ある意味長い歴史があると言えます。一方公開しない学校から言わせれば、受験結果情報で、学校のランキングができる現状に教育的な視点から異議を申し出ている感じがします。しかし、世間の趨勢に押されつつあるのも現状です。更に現実を言えば、高校の側もこの合格数、高校によっては国公立大学の合格数、有名大学の合格数、医学部医学科の合格数、東大京大の合格数などをその高校のランキングに反映されるという視点から、その数を上げることを大きな目標に掲げています。多くの高校ではそうではないかと思います。指定校推薦で早慶に合格した学力のある生徒に国公立大学を受けさせて、それも前期後期とも受けさせ合格数を上げるようにしている高校もあります。はたまた、京大の合格数を上げるために、京大では偏差値ランクが一番低い医学部人間保健学科を受けさせる指導をしている高校もあります。大阪の私学にありますが。とはいえ、公立高校でも国公立の合格数を上げるために必死の指導を行っているのが現状です。

 ベネッセなどはその生徒情報とセンターリサーチのデータを突き合わせて、またその生徒の模試の成績を突き合わせることから大学のランキングを作成したりします。したがって、センターリサーチとこの合格者情報は教育産業にとっては一番必須の情報で、これを得るために各高校へ、センターリサーチをお願いに来る企業は必死です。今は、ベネッセと河合塾と旺文社が主です。駿台はベネッセと提携しているので、ベネッセからの情報を利用していると思われます。続く。

 

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