「修行先は?」とよく聞かれるのですが、私は何処かのラーメン店で修行したことはありません。
もともと実家が横浜の新子安で定食屋を営んでいました。
幼少の頃から、家の玄関=定食屋の入口というありさま。
近隣では当時、日産の工場があり、夜勤明けの工員たちが、
実家の食堂で早朝から酒を仰ぎ、ランドセルをしょった私は、
その酒臭い息と酔っ払いに絡まれながら、小学校に通っていました。
私はいつしかパテシエを目指すようになり、専門学校を卒業後は、
青山の「シャンドン」等で修行し、製パン技術も学びました。
そんな折り、母が病に倒れ、実家の経営を引きつきましたが、
母が亡くなった後は、妻の実家がある仙台の定禅寺通りで、
創作料理店を始めることになったのです。
その時から、フォン(=だし)がいかに料理に影響するかということを実感し、
研究し続けた結果、それぞれの肉と付随するものの特製を学びました。
こんな私には、修行先がなくても、パテシエと製パンに関わってきて、
小麦がどんなに「不機嫌」か、「友好的」か、触ればわかるプロです。
と言いたいところですが、玄麦たちはいつも私に寄り添ってはくれない
のも現実です。
お願い!気分次第なのは、玄麦たち!
真面目に、真剣に向き合うからね・・・