♦️17『世界と人間の歴史・世界篇』生物たちの発展(カンブリア大爆発からの古生代)

2017-10-02 18:02:48 | Weblog

17『世界と人間の歴史・世界篇』生物たちの発展(カンブリア大爆発からの古生代)

 いま振り返って、この地球上に生物たちが本格的に出現したのが、古生代のカンブリア紀である。多様な生物種が一挙に出現したことで、「カンブリア爆発」とも呼ばれる。これには、すでにその前から生物の遺伝子が多様化していたことがあるのではないか。この時代は、5億4200万年前~4億8830万年前といわれる(なおここでの推定年代は地質学上のもので、「絶対年代」と命名される、以下同じ)。このなますの由来だが、イギリスのカンブリア地方(現在のウェールズ地方)にちなんだ地層として名付けられた。この時代の地層だが、今のところ日本列島にある最古の地層は茨城県日立市で発見されており、5億610万年前と推定される。だから、カンブリア紀にはわずかに届かない。ちなみに地質学者の宇都宮聡・川崎悟司によれば、「当時の日本は中国やオーストラレア、南極などとつながったゴンドワナ大陸の周辺にあり、この日本最古の地層は当時、火山島であったのではないかと言われている」(宇都宮聡・川崎悟司『日本の絶滅古生物図鑑』築地書館、2013)。
 それは、20世紀初頭の1909年のことであった。アメリカの古生物学者のチャールズ・ウォルコットがカナディアン・ロッキーで「バージェス頁岩(けつがん)動物群」と呼ばれる化石を発見した。ここの頁岩は、カンブリア期の中期の地層が地層に現れているものだ。このバージェス頁岩中からは、今日の生物分類に当てはまらない多様な動物群が見つかっている。かの有名な三葉虫も、この紀の初期に出現した。これを「カンブリア大爆発」と呼ぶ。この爆発的進化によって登場したと見られる、「100種類以上、数万点にのぼる化石」を含んでいるこの地層は、その後の生物学研究発展の大きな足掛かりを与えたのであった。
 さらに古生代のオルドビス紀(4億8830万~4億4370万年前)に入る。この紀の地球の北半球の半分か、ほとんどは海に覆われていた。一方、南半球にゴンドワナ大陸があって、現在のオーストラリア、中国、南極、アフリカ、南アメリカも含まれていたらしい。このオルドビス紀の地球寒冷化により、当時の「動物の科の半分ほど、種の八〇%」(池田清彦『38億年、生物進化の旅』新潮社、2010)が絶滅したとも言われる。この絶滅については、池田清彦氏が複合的な原因を指摘しておられる。
 「オルドビス紀の終わり頃になってなぜ氷河が発達したかのか、実のところはよくわかっていないのだけれども、地球の寒冷化によって海面は五〇メートルも下がったのだった。海面が下がるとどういうことが起こるかといえば、浅瀬にいる動物(たとえば貝の仲間とか)が干上がってしまうわけである。もちろん、それまで温かい海にいた動物は、寒冷化に耐えられずに死滅してしまう。
 寒冷化が進むと多くの氷河ができるわけだが、その後にまた温暖化すると、今度は氷河が溶け、氷に閉じ込められていた様々な栄養物が一気に海に流れ込む。そのため急に海が富栄養化する。そこでプランクトンが大量に発生し、そのプランクトンたちが酸素を摂ってしまうので、酸素不足が起こる。酸素不足になると高等な多細胞生物は死滅してしまうーーーと、たとえばそういうプロセスも、動物の大量絶滅の原因ではないかと考えられている。一気に絶滅したといっても、ほんの一瞬のうちに多くの生物種が絶滅しているわけではないからーーー大絶滅は数百万年というタイムスケールで起きているわけだがらーーーその原因は複合的であろう。」(同)
 このオルドビス紀とその前のカンブリア紀を境する「国際模式露頭」が、現在のカナダ東岸にある大きな島・ニューファンドランド島グロス・モーン国立公園内に見つかっている。それは、「西海岸グリーンポイントのカンブリア紀/オルドビス紀境界」と通称される。白尾元理氏の著作「地球全史の歩き方」岩波書店刊(2013)に、写真と共に紹介されている。この古生代オルドビス紀においては、魚類が発生し、分岐していったと考えられている。カンブリア紀とともに栄え、オルドビス紀の地球寒冷化で種類半減までに追い詰められた三葉虫も再び多様性を回復しつつあった。
 さらに、シルル紀(4億4370万~4億1600万年前)に入る。この紀には、生物たちの海からの上陸が始まる。それでも、オルドビス紀からデボン紀にかけて、空気中の二酸化炭素が現在の10倍以上とも言われる程、大量に存在していたとみられる中でのことであった。4億2000万年前の古生代シルル期の地層からは、高さ1センチメートルほどのシダ植物である、クックソニアの化石が発見された。それには、葉もなく根もなく、茎の集まりに過ぎなかったものの、水を吸い上げる維管と、茎の先端に繁殖のための胞子を入れる袋(胞子のう)が備わっていた。
 続いて、デボン紀(4億1600万~3億5920万年前)に入る。植物たちが上陸してから約3000万年後の、今からおよそ3億9000~8000万年前の中期には、木が出現した。水辺においては、ヒカゲノカズラ類やトクサ、それに最大2メートルを超えるようなシダ類までもが育っていた。これらの陸上で大型植物の群生が始まったのには、地球上に初めて森林が形成された環境が預かっていたことがあった。その具体像としては、前被子植物を中心とした森林が大陸の各地に広がる。
 こうして陸上で繁栄をはじめた植物たちによって、陸上の生態系は急速に豊かに、活気づいていった。これらを得てから、すなわち、動物たちの上陸が始まった。これには、大気の変化も重要である。動物たちの上陸には、地球植物が上陸した頃から二酸化炭素は急速に減っていく。動物のうち最初の上陸を果たしたのは、何であったのだろうか。まず4億1000万年前の古生代デボン期初期、原始的なクモや昆虫、それから貝類が上陸したと考えられている。クモや昆虫などの節足動物は、防水層で覆われた外部骨格を持ち、水分を保ち、また重力にたえうる体の構造を持つに至っていた。この時期にはまた、魚が大挙して陸を目指し始める。魚類の中から四足動物が現れたのである。それら新種の生物の代表的な名前としては、水陸両用の魚・ユーステノプテロンとも言われている。海から湿地帯へと生活圏を広げた古代の魚たちは、さらに肉びれで陸を歩くようになり、脚へと進化させていったと言われる。
 そして約3億6000年前のデボン期の終わり頃、昆虫たちからは約5000万年遅れて、ようやく両生類としての体に変化し始めていた彼らの上陸が始まった。すなわち、脊椎動物の上陸である。最初のそれは、東グリーンランドの岩山から発見された。イクチオステガと名付けられた化石で、肺魚やシーラカンスの仲間(肉き類)のユーステノプテノンから進化したもので、最初の両生類であり、海が間近の熱帯の湿地帯で生活していた。それらの過程は、例えば次のように想像されている。
 「最初に上陸を果たした脊椎(せきつい)動物は手足(四肢)をもつため四肢動物(テトラポッド)と呼ばれている。四肢動物はやがて地上を歩き回る動物へと進化し、ついには陸上を支配するにいたる。現在の両生類(りょうせいるい)や爬虫類(はちゅうるい)、哺乳類(ほにゅうるい)もこのとき上陸を果たした四肢動物の子孫なのである。一見四肢動物には見えないヘビやクジラなどもいったんは四肢をもち、その後進化を続けて現在のような姿になった。言うまでもないが私たち人間も四肢動物に含まれる。その四肢動物が残した最古の足跡がバレンシア島(アイルランド)にあるというのだ。」(NHK製作・編集「NHKスペシャル、地球大進化、46億年・人類への旅」の第3巻「大海からの離脱」の第1章「母なる海との決別」)
 ここで興味深いのは、「デボン期の湿地帯で生き残る戦略は三つあります。牙を磨くか、鎧を身にまとうか、あるいはその場からゲルかです」(アメリカのテッド・デシュラー博士、:「NHKスペシャル、地球大進化、46億年・人類への旅」NHK出版、2004の第3巻「大海からの離脱」)ともいわれる。ここからは、地上に上がった当時から生き物たちによる生存競争が苛烈に始まっていたことが読み取れる。
 ところが、それからもさらに古生代石炭紀(3億5920万~2億9900万年前)に入ると、地球上の二酸化炭素は一転して減少に向かった。こうなっていったからくりについては、生きている植物の光合成(CO2→O2+C)という活動(化学反応)により大気中の二酸化炭素(CO2)から酸素(O2)がつくられるのだが、この植物が死んで分解(O2+C→CO2)されてしまうと元の形の二酸化炭素(CO2)に戻ってしまうだろう。つまり、元の木阿弥(もくあみ)になって酸素はいつまでたっても増えていかない。そこで、この連鎖を避けて地上に酸素が増えていくようにするためには、植物が死んだ後にも分解されずに残るようにすればよい。そこで自然に生み出されたのが、炭素(C)が二酸化炭素(CO2)から分離されたままの状態でやがて植物に死が訪れ、その後は枯れて湿原に埋もれることで石炭(C)となって固定されればよい。こうなると大気中の酸素は放出されたままとなり、大気中の酸素はどんどんと増えていったのではないか。
 おりしも、古生代の終わりのこの頃からは、地球のプレート大陸と大陸とがぶつかり合って、超大陸の「パンゲア」が形成されつつあったのではないか。湿潤な気候に後押しされて、すでに陸上に進出していた生物が陸上のそこかしこへと広がっていったことであろう。その陸上では、シダ類などの大規模な植物が生育領域を拡大し、そのために地中に埋もれた植物たちが変質して、後の石炭層を形成していく。約3億4000万年前のこの紀の初期の地上において、両生類から有羊膜類への進化が始まる。有羊膜類は、産み落とした卵の中に羊膜(ようまく)があって、胎児と羊水を包んでいる。そのことによって卵は乾燥しにくくなり、彼らは水中や湿地帯からさらに乾いた大地に這い上がっていくことができたのだと考えられている。その有羊膜類からは、約3億2000年前、単弓類が現れる。単弓類とは、有羊膜類の頭蓋骨の形の違いから分類であって、もう一つは竜弓類である。単弓類の彼らは、体温調節能力を持っていて、ほ乳類の祖先といえる。そして有羊膜類のもう一つで類型である両弓類からは、およそ3億年前になって爬虫類が現れる。これが後に恐竜や鳥類の祖先になっていく。
 次の古生代ペルム紀(2億9900万~2億5100万年前)頃には、全大陸が再び集合して、再度のパンゲア超大陸が出現する。この紀では、乾燥した気候が広がる。植物界ではシダ類中心による大森林がしだいに少なくなっていき、代わりに趣旨で繁殖する裸子植物が栄えていく。この紀の中頃までは、豊かな生態系が存在したと考えられている。とりわけ脊椎動物では単弓類(続的には、哺乳類型爬虫類と呼ばれる)が繁栄を迎える。ペルム紀末には生物の史上最大規模での大絶滅があった。その原因は、大規模な火山噴火がシベリアに起きためであるというのが多数説ながら、確証は見つかっていない。巨大噴火が現実のものであったなら、大気中に水蒸気や塵灰が大量に拡散して、太陽光を遮り、温度か急落したことだろう。また、太陽からの電磁波エネルギーのうち、波長の短い紫外線は地表に届きにくくなっていたことだろう。ここまでが古生代に区分される。

(続く)

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