596『自然と人間の歴史・世界篇』1960年代の核兵器開発(中国)
1964年10年16日、中国は東トルキスタンのロプノールの核実験場において、20キロトンの地表爆発型の実験を初めて行いました。それから1996年まで、この東トルキスタンのロプノールの核実験場において、延べ46回、総爆発出力22メガトン、広島原爆でいうと約1370発分の核爆発実験を行った、ともいわれています。こうした中国の核実験の実態は長い間、不明であるとされ、周辺の人々の被爆の実態があきらかにされだしたのは、やっと1990年代に入ってからです。
中国ばかりではありません。核実験はそれを行う国の最高の軍事機密として、国民に極秘扱いとされてきました。ついては、周辺住民が被爆したといっても、彼らが被害者としてどう扱われてきたかについての具体的事柄については、いまなお厚いベールに閉ざされており、よほどのことがないかぎり、関係者はその重い口を開こうとしません。
それでも、それらを探知した側の努力により、そこで真実がどんなであったか、最近いろいろと取り沙汰されるようになりました。その代表的な一つが、アメリカがこの核実験のあることを事前に探知していたという見方です。その確証は示されていませんが、どうやらそれを阻止しようと考えていたらしいのです。「オリバー・ストーンが語る、もうひとつのアメリカ史」という本の中に、次の一節があります。
「1964年10月、世界情勢の二つの激変が矢継ぎ早に起こった。10月16日、フルシチョフ失脚のニュースに世界中があっと驚いた。彼の職務は二分され、レオニード・ブレジネフが党中央委員会第一書記に、アレクセイ・コスイギンが首相に昇格した。アメリカ政府にとって、このニュースは完全に寝耳に水だった。フルシチョフ追放の理由は、経済の停滞に加え、キューバへのミサイル配備という無謀な策とそれに続くミサイル撤去という失態など、外交政策の度重なる失敗だった。フルシチョフは、アメリカとの平和共存に執着しすぎたと批判された。また、中ソの関係回復の第一歩としてフルシチョフ排除を要求していた中国への譲歩という見方もある。
モスクワから第一報が届いたまさにその日、中国がロブノール核実験場で核実験を行った。アメリカ政府はずいぶん前からこの核実験を予想していた。事実、ケネディは中国の核施設に共同で先制攻撃を仕掛けないかとソ連に数回打診し、ジョンソンも国防省から単独での攻撃を強く迫られていたのを聞き入れずに、共同攻撃をソ連に打診していたのである。核実験のわずか2週間前、ラスクは国民に注意を促した。だが、いくら注意を呼びかけようと、核爆発の威力が弱まるわけではない。専門家の予測では、爆発の規模は10から20キロトンと見られた。
ジョンソンは、中国が「実戦で役立つ発射装置を備えた信頼性の高い武器を保有」できるようになるのは何年も先だろうと主張した。しかし、アメリカ政府関係者は、実験が成功したことで中国が威信を高め、東南アジアにおいていっそう強気の姿勢を取るようになることを恐れた。」(オリバー・ストーン&ピーター・カズニック著・熊谷玲美・小坂恵理・関根光宏・田沢恭子・桃井緑美子訳「オリバー・ストーンが語る、もうひとつのアメリカ史」早川書房、2013)
ここから窺えるのは、核兵器使用の一切合切が、一握りの権力を持つ側に握られていることです。それは、核戦争になることの危険を孕んでいて、そうなればもはやとどまるところを知らない破壊の連鎖へと関係国を引きづり込んでいくことを、誰もが認めざるをえない。その場、その局面では、自分の、あるいは自分たちの運命が、偶然よるものか、それとも必然によるものか、いとも簡単に扱われてしまい、自分や自分たちの力ではどうにもできないものとして現れるのであり、政治的な絶望が人間の自由にとって代わる時であります。
(続く)
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645の7自然と人間の歴史・世界篇』1970年のアメリカ多国籍企業の動態
1970年のアメリカノ多国籍業の生態を見手おきましょう。
「①アメリカ多国籍企業の全世界向け輸出額合計:728億ドル→アメリカ本国からの輸出額:295億ドル→過半数支配子会社向け輸出:130億ドル
②アメリカ多国籍企業の全世界向け輸出額合計:728億ドル→アメリカ本国からの輸出額:295億ドル→過半数支配子会社以外への輸出:165億ドル
③アメリカ多国籍企業の全世界向け輸出額合計:728億ドル→アメリカ以外の過半数支配子会社からの輸出額:433億ドル→アメリカ向け輸出額:102億ドル→親会社向け輸出→アメリカ本国の多国籍企業関連輸入額:163億ドルへと合流
④アメリカ多国籍企業の全世界向け輸出額合計:728億ドル→アメリカ以外の過半数支配子会社からの輸出額:433億ドル→アメリカ向け輸出額:102億ドル→親会社以外向け輸出額:21億ドル→アメリカ本国の多国籍企業関連輸入額:163億ドルへと合流
⑤アメリカ多国籍企業の全世界向け輸出額合計:728億ドル→アメリカ以外の過半数支配子会社からの輸出額:433億ドル→アメリカ以外への輸出:331億ドル→子会社向け輸出額:161億ドル
⑥アメリカ多国籍企業の全世界向け輸出額合計:728億ドル→アメリカ以外の過半数支配子会社からの輸出額:433億ドル→アメリカ以外への輸出:331億ドル→子会社以外向け輸出額:170億ドル
⑦子会社以外の外国企業からアメリカ親会社向け輸出額:61億ドル→アメリカ本国の多国籍企業関連輸入額:163億ドルへと合流」
(アメリカ多国籍企業関連輸出の構造(1970年)、
(出所・資料)U.S.Tariff Commission ,Implications of Multinational Firms for World Trade and Investment and for US Trade and Labor,Washington :U.S.Government Printing office,1973,p.272.
(引用)宮崎義一「世界経済をどう見るか」岩波新書、1986年、宮崎氏の本では、これらの数字はわかりやすく図示されています。)
(続く)
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189『自然と人間の歴史・世界篇』アダム・スミスの『諸国民の富』
アダム・スミスの『国富論』の目次は、第1篇が「労働の生産力の改善の原因とその生産物が国民のさまざまな階級のあいだに自然に分配される秩序について」、第2篇が「資本の性質、蓄積、用途について」、第3篇が「国によって富裕になる進路が異なること」、第4篇が「経済学の諸体系について」、そして第5篇が「主権者または国家の収入について」となっている。
まずは、分業による利益について、こう述べる。
「(ピンの製造工場では)あるものは針金をひきのばし、つぎのものはそれをまっすぐにし、3人目がこれを切り、4人目がそれをとがらせ、5人目は頭部をつけるために針金の先端をとぐ。頭部をつくるのにも2つか3つの別々の作業が必要で、それを取りつけるのも特別の仕事である。このようにして,ピンづくりという仕事は約18の作業に分割されている。わたしはこの種の小さい仕事場をみたことがある。そこではわずか10人が仕事に従事しているだけで、したがって,そのうちの何人かは、2つか3つの別の作業をかねていた。かれらはたいへん貧しくて、機械類も不十分にしか用意されていなかった。それでもかれらは1日に4万8千本以上のピンをつくることができた。もしかれら全員が別々に働き、あるいは、この仕事のための訓練をうけていなかったならば、1人あたり1日に20本のピンをつくることもできなかったであろう。」(アダム・スミス著・大河内一男監訳『国富論Ⅰ』中公文庫、1978)
「農村の日雇労働者が来ている毛織物の上衣は、見た目には粗末であっても、非常に多数の職人の結合労働の生産物なのである。この質素な生産物でさえ、それを完成するためには、牧羊者、羊毛の選別工、梳毛工または擦毛工、染色工、あら梳き工、紡績工、縮絨工、仕上げ工、その他多くの人たちがすべてその技術を結合しなければならない。そればかりか、これらの職人のうちのある者から、しばしばその国の非常に遠隔な地方に住んでいる他の職人たちのところへ原料を輸送するのに、いったいどれほど多くの商人と運送人が従事しなければならないか。」(同)
その彼は、この社会で絶えず変動する商品価格に内在して、その引き付け役を担っている自然価格という概念を考えた。
「それゆえ、自然価格というのは、いわば中心価格であって、そこに向けて全ての商品の価格がたえずひきつけられるものなのである。さまざまな偶然の事情が、ときにはこれらの商品価格を中心価格以上に高く釣り上げておくこともあるし、またときにはいくらかその下に押し下げることもあるだろうが、このような静止とと持続の中心におちつくのを妨げる障害がなんであろうとも、これらの価格はたえずその中心に向かって動くのである。」(同)
また、市場には自由をということで、新興ブルジョアの利益を擁護する。
「独占者たちは、市場をいつも供給不足にしておくことによって、すなわち有効需要を十分に満たさないことによって、自分たちの商品を自然価格よりずっと高く売り、彼らの利得を、それが賃金であれ利潤であれ、その自然率以上に大きく引き上げようとするのである。
同業組合の排他的な特権や徒弟条例、その他特定の職業において、競争を少数の者に制限し、そうでなければそこに参加できる者を締めだすようなすべての法律は、程度の差は撮るが、右と同じ傾向を持っている。それらは一種の拡大された独占であって、しばしば数世代にわたって、いくつかの職業の全部門をつうじて、特定の商品の市場価格を自然価格以上に維持し、それらに用いられる労働の賃金と資本の利潤との双方を、自然率よりいくらか高く維持するのである。」(同)
さらに、市場では参加者に公正・公平な行動が求められるという。
「わが商人たちや製造業者たちは、高い賃金が価格を引き上げる点で悪効果をもたらし、そのために自分たちの財貨の売行きが国の内外で減っている、と不平を鳴らしているが、しかもかれらは、高い利潤の悪効果については、黙して語らないのである。かれらは、自分たちの利益の有害な効果については沈黙を守り、ただ、他人の利得についてだけ不平をいうのである。」(同)
「富、名誉および昇進をめざす競争のなかで、個人は可能なかぎり懸命に走り、すべての競争相手より勝るために、すべての神経と筋力を精一杯使っても良いのである。だが、もう彼が競争相手の誰かを押したり、投げ倒したりしたら、観察者の寛恕(かんじょ)は完全に尽きるだろう。それはフェアプレイの侵犯であり、誰も認めることができないことである。」(アダム・スミス著・高哲男訳『道徳感情論』講談社学術文庫、2013)
(続く)
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188『自然と人間の歴史・世界篇』重農主義
重農主義(じゅうのうしゅぎ、)というのは、当時の主要産業であった農業に依拠することで、重商主義に傾いた経済を立て直そうとした。まずもって、土地所有者の安全と自由が保障されなければならないとした上で、1760年代からのフランスで、「土地単一課税」の主張、「穀物取引の自由」や「土地囲い込みの自由」の推進などが取り組まれていく原動力の思想となっていく。
その提唱者であるフランソワ・ケネー(1694~1774)は、自身の考えを「フィジオクラシー(自然の統治)」と呼んだ。その彼は、「自由放任」(レツセ・フェール)を説いたのではない。彼の主著の『経済表』には、こうある。
「主権者および国民は、土地こそ富の唯一の源泉であり、富を増加するのは農業であることを決して忘れるべきではない。なぜなら富の増加は人口の増加を保証するからである。人間と富が農業を繁栄させ、交易を拡張し、工業を活気づけ、そして富の増加を永続させる。」(ケネー著・平田清明・井上泰夫訳『経済表』岩波文庫、2013)
つまり、彼は社会というものは、生産階級=農業、不生産階級=商工業、地主階級=地主、主権者の3階級で成り立っていると考えた。これらのうち農業が主要産業、農民が主要階級にほかならないと。
「租税は、人間の賃金や諸財に課されないで、土地が生む純生産物に対して直接課税されること。もし、賃金や諸財に課されるならば、租税は徴税費を増加させ、商業を害し、国民の富の一部を年々破壊するであろう。」(同)
「租税が破壊的なものではないこと。すなわち、国民の収入の総額に不釣り合いなものでないこと。租税の増加は国民の収入の増加に依拠すること。租税は土地の生む純生産物に対して直接課されること。そして生産物(農業以外の生産物)のうえに課されないこと。もし生産物に課されるならば、租税は徴税費を増加させ、商業を害するであろう。租税はまた、土地を耕作するフェルミエの前払から徴収されないこと。なぜなら王国において、
農地の前払は、国民の租税と収入の生産にとって大切に保存されるべき恒常的なものとみなされなければならないからである。さもなければ、租税は化して詐取(さしゅ)となり、衰退を起こして国家をただちに死滅させることになる。」(同)
これにおいては、農業しか純生産物を生み出さない。純生産物は最終的には地主階級の収入となるのであるから、地主階級のみが納税者になりうる。当時の地主階級が特権にまかせて様々な課税逃れをしていたことに着目すると、国家による「土地単一課税」はかれらの特権を制限し、本来の農業生産に向かわせるための主張であった。
彼は、また貿易政策のところで、こういう。
「交易の完全な自由が維持されること。なぜなら、最も安全かつ最も厳格であり、国民と国家にとって最も利益をもたらすような国内交易と外国貿易の政策は、競争の自由が完全であることに存するからである。」(同)
ここでは、穀物の自由な輸出を可能にさせ、穀物価格を「良価」まで引き上げる、そのことで農業を振興し、人びとの生活を豊かにし、国力を高めることを提唱している。なお、良価というのは、「商業上の自由競争と農業の経営資本の所有が絶対安全とがつねにある場合に、商業諸国民間に成立している価格」(同)で売買が行われている状態をいう。
彼はまた、国を富ます立場から財政のあり方に言及し、赤字財政を批判している。
「国家は借り入れを避けること。借り入れ金は財政上のラント(金利・定期的な支払いを指す)を形成し、とどまるところを知らない借金を国家に負担させる」(同)
ここにあるのは、ただ単純に財政を削減すべきだというのではなくて、国の富を増大させるのに役立つ支出ならば、ある程度の借金は差し支えないと考えていた。
「政府は節約に専念するよりも、王国の繁栄に必要な事業に専念すること。なぜなら、多大な支出も富の増加のためであれば、過度でなくなりうるからである。だが、浪費と単なる支出とは混同すべきではない。というのも、浪費は、国民や主権者の富をすべて貪りかねないからである。」(同)
ケネーは、こうした自分の経済政策の根拠を、彼自身が作成した再生産表式の中に埋め込むことで、空理空論ではないことを明らかにしようとした。この表なのだが、年々歳々同一規模の経済が繰り返されていく単純再生産を扱っておりながら、こんな下りも用意されている。
「いま仮に、地主が自分たちの土地を改良し、自分たちの収入を増加させるために、不生産階級よりも生産階級に対して、より多くを支出するならば、生産階級の労働に用いられる支出のこの増加分は、この階級の前払いの追加と見なされねばならないであろう。」 (同)
これを踏まえると、ケネーは、地主の製造品と農産物への支出割合を変化させることで、拡大再生産へと拡張できる仕組みを採り入れているのであって、農業だけをキーワードとしていることでの不十分さは抱えているものの、人類の社会発展のメルクマールであるところの物質的再生産のメカニズムを歴史上初めて明らかにしてみせた。
こうしたケネーたちの提案は、重農主義者で財務総監であったチュルゴーによって実行に移されていく。けれども、1776年の穀物の取引自由化は、運悪く不作で穀価価格が暴騰したことで、フランスの南部では暴動が発生し、改革はうまくいかない。そのまま、うまくいかないままに、やがて市民革命の時代へとつながっていく。
(続く)
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