♦️732『自然と人間の歴史・世界篇』ウクライナ

2017-12-02 22:09:00 | Weblog

732『自然と人間の歴史・世界篇』ウクライナ

 現在のウクライナ共和国(ウクライナ)は、東にロシア連邦、西にハンガリーやポーランド、スロバキア、ルーマニア、モルドバ、北にベラルーシ、南に黒海を挟みトルコが位置している。なお、クリミア半島については、2014年からのロシアとの争いの中で、ロシアによる住民投票の結果を受けてロシア領に組み入れられる。
 この地での8世紀、キエフ・ルーシ公国が成立する。ドニエプル川の中流に位置するキエフは、9世紀末にキエフ公国が成立した時からの首都である。後のことだが、1990年、「キエフのソフィア大聖堂とペチェルスカヤ大修道院」ということで、ユネスコ世界遺産に登録される。13世紀には、モンゴル・タタール軍の侵略を受ける。この侵略で、1240年、モンゴル軍がキエフを攻略する。それから約200年にわたってその支配下におかれる。その後、リトアニア、そしてポーランドへ併合される。
 1349年、ポーランドのガルチ公ダニエルによって、現在のウクライナの西部にある
リヴォフの町が建設される。この町の歴史地区だが、「石畳と格調高い建築群」が伝える美ということで、1998年に世界遺産に指定される。1340年、ポーランドの東ガリツィア地方を占領する。1362年、リトアニアがキエフを占領する。1648年、フメリニツキーの蜂起が起こる。これは、ポーランドからの独立戦争であった。1654年、ペレヤスラフ協定が結ばれる。1764年、ポルタヴァの戦いが起こる。こちらは、ロシアからの独立戦争であった。
 1853年には、クリミア戦争が起こる。この戦争は、なかなかに複雑な構図で戦われた。16世紀末以来のロシアとオスマン・トルコとの戦争の継続・発展なのだが、フランス(ナポレオン3世)とイギリスがオスマン帝国を支援したところに特色がある。実質的には、ロシア軍対フランス・イギリス連合軍の戦争となる。この戦争の舞台は、黒海に南に突き出たクリミア半島で、1956年の終戦まで血みどろの戦いが続けられた。
 1914年、第一次世界大戦が始まる。1917年、この大戦中にウクライナ人民共和国が成立する。1917~1921年、ウクライナ・ソビエト戦争。1922年、ソビエト社会主義共和国連邦が成立する。1932年、大飢饉(ホロドモール)が起こる。1939年、第二次世界大戦が起こる。1941年、独ソ戦が開始される。ドイツがウクライナを占領する。1954年、ウクライナがクリミアを編入する。1986年、チェルノブイリ原発事故が起こる。1991年、ウクライナが独立を果たす。そしてソ連邦崩壊、CIS(独立国家共同体)創設となる。1996年には憲法が制定され、通貨フリヴニャを導入する。
 2004年には、オレンジ革命が起こる。2013~2014年、マイダン革命(尊厳の革命)が起こる。

(続く)

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♦️731『自然と人間の歴史・世界篇』モルドバ

2017-12-02 22:07:38 | Weblog

731『自然と人間の歴史・世界篇』モルドバ

モルドバ共和国(通称モルドバ)は、内陸国である。西にルーマニアと、他の三方はウクライナと国境を接する。公用語は、ルーマニア語なのか。その歴史は古く、紀元前にはダキア人がこの地に住む。その名の由来だが、ダキア語の「モルタ=多い」と「ダヴァ=岩」との合成だといわれる。
 1349年、ボグダニア公国が建国となる、後のモルダビア公国である。1457年、シュテファン大公が即位(在位は~1504)する、この頃がモルダビア公国の最盛期といわれる。1512年、オスマン・トルコ帝国の宗主権下に入る。1792年には、ヤシ条約が締結となる。これは、1787年から始まった露土戦争(第二次)の講和条約で、(グレゴリオ暦)1792年1月9日のことであった。これにより、現在のトランスニストリア地域が、オスマン帝国からロシアに割譲される。
 1806年、オスマン・トルコは、支配下のワラキアとモルダビアにおいて、親ロシア派の総督を罷免する。また、ボスポラス海峡およびダーダネルス海峡のロシア商船の自由通航権を停止する。これは、キュチュク・カイナルジ条約の規定を破るものであった。これに対し、ロシア軍はワラキアとモルダビアを占領する。ここに両国は戦争状態(露土戦争)に入る。そして迎えた1812年、両国の間でブカレスト条約が結ばれ、ベッサラビアがロシア領に編入される。
 クリミア戦争でロシアが敗れる。これを受け、1856年のパリ条約では、ベッサラビア南部がモルダビア公国に割譲される。1859年、モルダビア公国とワラキア公国との合併がある。1877~78年には露土戦争が戦われる。これは、ロシアのアレクサンドル2世がバルカン半島への勢力拡大をはかったもの。ギリシア正教徒の保護を口実にオスマン帝国に対し宣戦する。これにロシアが勝って結ばれたベルリン条約により、この地は再びロシア領となる。1917年にロシア革命が起こる。モルドバは、人民投票によりソビエトへの併合を決議する。1918年、ルーマニアがベッサラビア(現在のモルドバ共和国)を占領する。
 1920年のパリ条約で、この地に関してはルーマニアの領有を承認する。この条約だが、ルーマニア王国と第一次世界大戦の連合国の主要国(フランス、イギリス、イタリア王国、大日本帝国)との間に結ばれた。この中では、ルーマニアにベッサラビア(モルダビア民主共和国)の主権を認めた条約としても知られる。しかし、この条約は、日本が批准しなかったために、発効していない。1924年、ソ連が、ドニエストル河東岸にウクライナ・ソビエト社会主義共和国の構成部分として「モルダビア自治共和国」を創設する。
 1940年、ソ連が、独ソ不可侵条約秘密議定書に基づくドイツとの合意に従い、ベッサラビアを占領する。1940年、ソ連が、モルダビア・ソビエト社会主義共和国を創設する。1947年、連合国とルーマニアの平和条約でベッサラビアのソ連への委譲を確認する。
 1989年、モルダビア人民戦線が結成される。1990年6月6日、共和国を「モルダビア・ソビエト社会主義共和国」から「モルドバ・ソビエト社会主義共和国」に変更する。1990年6月23日、共和国主権宣言を発す。1991年5月23日、 国名をモルドバ共和国に変更する。

(続く)

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♦️729『自然と人間の歴史・世界篇』アゼルバイジャン

2017-12-02 17:53:21 | Weblog

729『自然と人間の歴史・世界篇』アゼルバイジャン

 アゼルバイジャン共和国(通称アゼルバイジャン)は、南コーカサスに位置する。アジアとヨーロッパの境目というべきか。東ヨーロッパに含められることもある。北はロシア、北西はジョージア、西はアルメニア、南はイランと国境を接し、東はカスピ海に面する。
その首都バクーはカスピ海に面してある。この都市の名は、ペルシア語で「風の街」を意味する。古くから交通の要衝として栄える。
 紀元前6~同4世紀、カフカース・アルバニア王国の時代。3~7世紀、サーサーン朝ペルシアの支配を受ける。7~10世紀、アラブの支配を受ける。11世紀から、トルコ系諸民族が大量に流入してくる。11~13世紀、セルジューク・トルコ朝諸政権の支配を受ける。1258年、モンゴル帝国のフラグが侵攻してこの地のタブリーズを都にイル・ハン国を樹立する。人びとは、このイル・ハン朝の支配を受ける。13~15世紀、テュルク化が進行していく。16世紀、ペルシア (現在のイランを中心とした地域)のサファヴィー朝(1510~1736)がこの地を治める。
 やがて、イランのサファヴィー朝が、ガージャール朝による支配を受ける。1813~1828年、ロシア・イラン戦争が戦われる。この戦争の結果、ゴレスターン条約とトルコマンチャーイ条約により、北アゼルバイジャンがロシアに併合される。1918年5月、この地にアゼルバイジャン人民共和国の独立が宣言される。1920年4月、バクーにソビエト政権が樹立される。アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国が成立する。1922年、ジョージア・アルメニアと共にザカフカス社会主義連邦ソビエト共和国を形成し、ソ連邦結成に参加する。1936年、アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国として連邦に加盟する。
 そして、第二次世界大戦の戦後がやってきた。このアゼルバイジャンは、カスピ海沿岸に数々の油田を擁している。これらを「バクー油田」と総称し、帝政ロシア時代から1950年代にかけて世界的にも有数な石油の産出地でにのし上がってくる。その頃、バクーを讃える歌までできた。ところが、採掘のし過ぎか、どうなのか。1960年代初め頃から油田が枯渇し始める。それとともに、このあたりの経済的地位は低下するのであったが。
 1988年2月、 同共和国内のナゴルノ・カラバフ自治州においてアルメニアへの帰属替えを求めるアルメニア人の運動が高揚する。スムガイト事件が発生する。1989年10月5日、共和国主権宣言を行う。1990年1月、ソ連邦がバクーを軍事制圧する、これをバクー事件という。1991年2月5日、「アゼルバイジャン共和国」に国名を変更する。1991年8月30日、共和国独立宣言を発す。1993年10月、ヘイダル・アリエフが大統領に就任する。1994年5月、アルメニアとナゴルノ・カラバフ紛争に関し、停戦協定を締結する。2003年10月、イルハム・アリエフが大統領に就任する。
 経済面では、1990年代からのバクーは、カスピ海の海底油田開発をきっかけに「第二のドバイ」とも呼ばれる急激な発展を遂げている。こうなると、まさに資源ブームの再来ということになりかけているのであろうか。

(続く)

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