◻️58の2『岡山の今昔』医療改革と県民

2019-12-14 21:55:35 | Weblog

58の2『岡山の今昔』医療改革と県民

 1870年(明治3年)末には、岡山藩は現在の岡山市中区門田屋敷に「岡山藩医学館大病院」を開く。それからは、1871年(明治4年)の廃藩置県をはじめ幾多の変遷を経ながら存続していく。1922(大正11年)には岡山医科大学となり、第二次世界大戦まで過ごす。第二次世界大戦後の学制改革で、岡山医科大学は岡山大学医学部に改組され、病院は医学部附属病院となり、その後歯学部も併設となる。

 では、倉敷での近代医療の始めは、どんなであったのだろうか。倉敷総合病院は、当時の倉敷紡績の経営者である、大原孫三郎の肝いり、構想で創られ、1913年(大正10年)に開院した。彼が病院建設を決心したのは、主に、一万人近くなった従業員、特に「紡績職工」に十分な健康管理・診療を行うことであったろう。次なるは、大原の人権や未来社会に関する思想がうかがえる言葉であろうか。
 「将来工場を社会化させるという意味もあり、殊に紡績職工といえば社会からまだ異様な目で見られている現在において、わが社が職工を人として平等の人格を認めて待遇していることを示す一事実と致しまして、ここに開放された病院において一般人と同じく平等な取扱いを為すことは、可成り意義あることであると信じます」(早川良夫「勤務管理十ヶ年」健文社、1944)
 ほかにも、当時西日本一帯に流行したスペイン風邪に際し、地域医療が後手に回ったのを何とかしたかったからだという。
 

 優秀な人材と最先端の施設・設備を整えた総合病院ということで、 その後、一般にも開放された。 それからは、1927年(昭和2年)に「倉敷中央病院」と改名、2013年(平成25年)からは公益財団法人となっている。


(続く)

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◻️58の1『岡山の今昔』明治時代の岡山(学制と就学)

2019-12-14 19:00:48 | Weblog

58の1『岡山の今昔』明治時代の岡山(学制と就学)

   近代国家としての学制が動き出したのは、1873年(6年)か1874年(明治7年)くらいになってからのことで、この時期に全国で学校の開設が相次ぐようになっていく。新設というよりは、従来の寺院や町の名士か庄屋などの家屋を借用してのものが多かったのではないか。そして1887年(明治19年)には、小学校令が出され、尋常小学校と高等小学校の2種類となり、尋常小学校については義務教育となる。
 明治30年代初頭からは、義務教育費の国庫補助制度が確立されていく。また、1900年(明治33年)の小学校令により、義務教育4年制が決まる。さらに、1891
年(明治33年)になると、尋常小学校の授業料が廃止される。1899年(明治41年)に又学制改革があり、義務教育が6年に延長され、尋常小学校に高等科の併設が決定される。
 これら一連の措置により、家庭や地域が貧乏をしていても、子どもたちを学校に送ることができるようになって、就学率が飛躍的に向上してくる。具体的には、
これらにより、1875年(明治8年)に約35%であった就学率は、1905年(明治38年)には約96%に達す。
 それから、1907年(明治40年)になると、就学率の上昇と尋常小学校に併設された高等小学校の普及を背景に、義務教育が6年に延長される。ちなみに、かかる改革の初期における県内の状況は、こう言われる。
 「ところで『文部省年報』(明治二十年)によると、岡山県の学令人員は17万5132人、小学校生徒総数10万1195人、そのうち高等科は6871人で学齢人員の3.9%、高等小学校数は、小学校総数の6.8%であった。そして高等科卒業者数は男子393人、女子23人、小学校生徒総数のわずかに0.4
%、学齢人員に対しては0.2%に過ぎなかった。」(中村勝男「阿部知二の父良平・母もりよが通った高等小学校」)
 さらに、こうある。
 「岡山県で高等科より上の学生は尋常中学生222人、尋常師範学校生男子146人、同女子12人、専門学校生男子349人合計729人であった。これらに進学するためには高等科二年修業以上、あるいは卒業していなければ入学資格がなく、当時高等科は上級学校進学の第一段階、すなわちエリートへの第一歩だったのである。因みに、『週刊朝日百科日本の歴史』の「生年別にみた学歴構成比の移り変わり」(「学歴構成比図」と略称)によると、1874年(明治7年)生まれで高等小学校を卒業したものは、ごく大まかな計算であるが約1~2%少々だったようである。」(同)

 ついでに後のことに触れると、1941年(昭和41年)になってから、各尋常小学校は国民学校と改称され、日本の初当教育全般が「皇国史観」に染められることになっていく。


(続く)

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