269の1『岡山の今昔』南海地震(1946)
ここに南海トラフというのは、日本列島がある大陸(ユーラシア)プレートの下に、フィリピン海プレートが南側から年間数センチメートルの割合で沈み込んでいる場所(境界)だ。かかるプレートの沈み込みに伴い、それに引きずられる形で両プレートの境界にひずみが蓄積していく。その蓄積された歪みを解放するものとして大地震が発生してきた。
現在に一番近いところでは、1946年(昭和21年)12月21日午前4時20分頃に起きた昭和南海地震が挙げられよう。その規模は、マグニチュード8.0と言われる。また、震源地としては、南海トラフの紀伊半島から四国沖沖だとされる。三重県や高知県、それに瀬戸内海に沿っての兵庫県淡路島や岡山で震度4~6の激しい揺れを観測したとのこと。
その被害は甚大で、約1万1500戸が全壊、1350人もの死者が出たと伝わる。大揺れのほか、津波による被害も大きく、静岡から紀伊半島、四国を経由して九州に至る太平洋岸には、30分~40分後には、津波が押し寄せる。
中でも、三重から徳島、高知にかけての沿岸に押し寄せた波は、高さが4~6メートルにもなったという。そればかりか、室戸から紀伊半島にかけては南上がりの隆起を呈し、特に室戸(むろと)と潮岬(しおのみさき)での隆起はそれぞれ1.3~0.7メートルになったという。一方、高知県の須崎(すざき)あたりでは、それらと同程度の沈降があり、わけても高知付近の平地では、田園約15平方キロメートルが海面下に沈んでしまったらしい。
このように和歌山県潮岬南方沖を震源に発生した南海地震なのだが、太平洋とは直接に接していない、瀬戸内海沿岸の地域においても、大きな被害が出た。なぜそうなったのか、その詳しいメカニズムについては、必ずしも明らかになっていないのではないか。
例えば、岡山県では、児島湾周辺の干拓地、高梁川下流域の新生地、笠岡湾沿岸など、県南の平野部一帯に軟弱地盤地域の液状化によって地盤沈下が生じる。その時からの模様は、「地震時に沈降した高知平野は急速に隆起する一方、瀬戸内海沿岸部が地震後5年程度で最大50センチメートル程度沈降したというから、なんとも不思議だ。
岡山県では、この地震により、死者52名、負傷者157人、建物でいうと全壊が約1200戸、半壊が2346戸の被害が出たという。その他、堤防や道路などの損壊がかなりの数に及んだことになっている。
(続く)
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