◻️59の3『岡山の今昔』電力とガスと水道

2019-12-20 21:52:48 | Weblog

59の3『岡山の今昔』電力とガスと水道


 まずは、岡山における電力事業の経緯から始めよう。1894年(明治27年)には、岡山電燈会社が設立される。
     1909年(明治42年)には、倉敷電燈会社が発足する。当初の電燈数は、641燈とのこと。その2か月後には、倉敷紡績での、自家発電所(火力)の増設に認可がおりる。同社は、それよりかなり前の1891年(明治24年)頃には、自家発電で工場の照明を行っていた。他社工場においても、動力としての電源を必要とするようになっていく。
 1910年(明治43年)、津山電気会社が操業を始める。水力を使う。当初の電灯数は、1442戸。
 1913年(大正元年)になると、倉敷電燈は、倉敷近郊の早島、妹尾地区に電気を供給していた中国電燈株式会社を吸収合併する。
 1913年(大正2年)6月時点での岡山県下では、倉敷電灯、津山電気会社、井原電気会社など、13もの電力会社があったという。
 1916年(大正5年)には、倉敷電燈と津山電気が合併して、備作電気会社が発足する。
 1920年(大正9年)には、吉井川電力が、入発電所の運転を始める、その時の出力は700キロワットであった。1922年(大正11年)には、山陰と山陽地方の広範囲に水利権をもっていた岡山水電との合併話がまとまり、中国水力電気会社が発足する。そしての1926年(大正15年)には、その中国水力電気と姫島水力電気との合併がなり、中国合同電気会社が設立される。また同年、山陽中央水電が吉井川電力を吸収合併する。
 1935年(昭和10年)には、山陽中央水電が入発電所の出力を900キロワット増やして、合計1600キロワットとする。1941年(昭和16年)には、中国合同電気と山陽中央水電とが合併し、山陽配電が発足する。1942年(昭和17年)になると、中国配電が稼働する。そして迎えた1951年(昭和26年)には、中国配電と日本発送電とが合併し、中国電力が発足する。

(続く)

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