◻️120の2『岡山の今昔』ベンガラ、炭など

2019-12-29 20:58:32 | Weblog

120の2『岡山の今昔』ベンガラ、炭など

 また、吹屋は、重要伝統的建造物群保存地区に認定されている。そこで一番有名なのは、明治から大正時代にかけて、酸化第二鉄を主成分とするベンガラの生産が盛んにおこなわれた。その原料としては、この地方でとれる磁硫鉄鉱という鉱物であった。陶器や漆器の顔料に用いたり、防腐剤としての用途もあったらしい。
 当地のベンガラは、馬の荷駄となったりして、吹屋往来を通って成羽の廻船問屋(かいせんとんや)に運ばれた。それからは、高瀬舟に積まれて成羽川そして高梁川を下って、玉島港(現在は倉敷市か)から大坂などへ向かった。
 ちなみに、この町には、ベンガラ工場を忠実に再現したしたという、ベンガラ館がある。また、ベンガラの製造、販売で財をなした片山家の屋敷や、ベンガラの原料であるローハ製造て財を築いた広兼邸、「赤の中の赤」を追及してベンガラ製造を発展させた西江邸など、かつてを偲ばせる建物などが残っている。

 さらに、山間地で炭が生産され、それが高瀬舟などで運ばれ、南の消費地に運ばれていたようだ。その炭というのは、木材や竹材を密閉空間としての炉や穴に入れたうえ、火をつけ、材木を炭化してつくる。それからは、小さな穴を開けておく他は、土などで空気穴をほとんどふさぐ。そのことで、化学的には、木材や竹材を還元条件でつくる、つまり、木や竹を燃やしつつも、空気の少ない、ギリギリの状態で燃焼させることで、それらを炭素原子ばかりの状態に持っていく訳だ。それが、現代でいう「備長炭」(びんちょうたん)のような良質な産地を形成していたかどうかは、よくわからない。 
 とはいえ、高価で売れる備長炭にするには、かなりの高温を実現するのが必要にして、なおかつ、最後は炎のつくる余熱、いうなれば熱風で摂氏1000度からの温度が必要とのことであり、それらの頃合いは「匂い」とかを頼りに見いだすしかないようだ。


(続く)

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