257『自然と人間の歴史・世界篇 』イギリスの19世紀文学(ディケンズ)
チャールズ・ディケンズ(1812~1870)は、イギリス南部のポースマス近郊に生まれた。一家がロンドンに移転後には、父が借財不払いで投獄される。そのため、ディケンズは、幼くして靴墨工場ではたらき、家計を支えたという。
そんな彼が成長して新聞記者になってからは、あちらこちらで見聞した風俗をスケッチ風にして発行したところ、これが当たって、めきめき頭角を表していく。
その中での出世作の一つ、「クリスマス・キャロル」の筋は、ロンドンに住む、ケチで無慈悲、それに人間嫌いのスクルージ老人が、クリスマス・イブの夜、相棒だった老マーレイの亡霊と対面し、翌日からは彼の予言どおりに第一、第二、第三の幽霊精霊に伴われて知人の家を訪問していく。
そこそこで、炉辺でクリスマスを祝う、貧しいけれど心暖かい人々に出会うのであったが、自分の将来の姿を見せられる思いもしてきて、さすがのスクルージも心を入れかえざるを得なくなる。そして迎えた「大団円」(第五章)、晩年を迎えた老人の姿を、こうまとめている。
「(前略)好い古い都なる倫敦ロンドンにもかつてなかったような、あるいはこの好い古い世界の中の、その他のいかなる好い古い都にも、町にも、村にもかつてなかったような善い友達ともなれば、善い主人ともなった、また善い人間ともなった、ある人々は彼がかく一変したのを見て笑った。
が、彼はその人々の笑うに任せて、少しも心に留めなかった。彼はこの世の中では、どんな事でも善い事と云うものは、その起り始めにはきっと誰かが腹を抱えて笑うものだ、笑われぬような事柄は一つもないと云うことをちゃんと承知していたからである。
そして、そんな人間はどうせ盲目だと知っていたので、彼等がその盲目を一層醜いものとするように、他人ひとを笑って眼に皺を寄せると云うことは、それも誠に結構なことだと知っていたからである。彼自身の心は晴れやかに笑っていた。そして、かれに取ってはそれでもう十分であったのである。」(森田草平訳「クリスマス・カロル」岩波文庫を、青空文庫で現代仮名遣いにしたものから引用)
このように、拝金主義にまみれた状態からの脱出でしめくくる作品が見られる一方、晩年にさしかかるにつれ、後期の作品群には複雑な人間心理が見てとれるようになっていく。
たとえば「大いなる遺産」は、主人公ピップの人生遍歴を通して、莫大な財産が転がりこんでくる夢に翻弄される若者を、これでもか、と描いている。
そもそもが、幼いピップが、遊びにくるように言ってくれた老婆ミス・ハヴィシャムの家を訪れた時、その彼女から「さあ、私を見なさい。お前の生まれた頃からこの方、一度も日の光を見ていない女がお前は怖いのかね」(神山妙子編著「はじめて学ぶイギリス文学史」ミネルヴァ書房、1989)というのであった。
(続く)
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