それは偶然見た光景だった。
小学校に上がる前、いえ、もっとしたかも、とにかく子供が突然、道路のわきの玉砂利を敷き詰めたところにサーっと体を投げうつように、あるいはプールの水に入り込むように、泳ぐようにそんな玉砂利の中で戯れている光景に出会った。( まるで、チベットの仏教徒の僧が大地に身体を投げ出すよな行に見えないこともないような光景だった。 )
そばを乳母車を引いて歩いている母親らしき女性は、乳母車を止めて、わが子の遊び戯れる光景をただ優しい目で見やっていた。ほんの少し遊んで、飽きたのかその子供は満足したように乳母車の前を歩きだし、スキップするように愉しそうなようすで母の前を行くのでした・・・
若い母親と思われる女性も、乳母車を引いて歩きだした。
ただそれだけなんですが、いい光景を見たとおもいましたね。
ガミガミ𠮟りつけたり小言を言う母親は見飽きるほど見ている。
その朝、伸び伸びと子供を育てている光景を見たぼくまで、心愉しくなったことですよ。
やはり、子供は遊びの天才である。
彼らにストレスを与えるような子育てはいけないばかりか、伸び伸びした子供が育たないのではないかと思う。
小さな子供にスマフォを与えて知らんぷりしている母親らしき人びとも見る昨今である。
スマフォと子供は、・・・いかんでしょう。
どうなんでしょうか。
少子化の時代と、10人も子供を産んで育てた母親のもとで育ったぼくと、
環境はまるで違うと思う、でも、ぼくもやはり伸び伸びと育てられた方だと思うとき、いっそう両親に感謝せずにはいられない気になって、そんな一日を書き残そうと思い書きました次第です。
フォト・文 石郷岡まさお



