別にどうでもいいことだけれど、
1970年発売の音楽に今頃ハマっております。
大瀧詠一氏の、といっても細野晴臣氏がこのバンドのリーダーだったんでしょうが、
今、50年近くも経って今頃感動してこの人たちの音楽を聴いてすっかり乗って、
そうだこれが日本のロックなんだと、ひとりガッテンする2017年末のぼくです。
通称ゆでめんというのも、こんな音楽があったことも、恥ずかしながら知らなかった。
いくら音楽音痴でもこれは迂闊でした。
大瀧詠一さんは、もうこの世にいらっしゃらないのです。
じつは、このような公的な場で初めて書きますが、
大瀧詠一氏とは、同じ学校に学んだこともあるのです。
1年間だけでしたけれども、これは本当のことです。
だけど、天才という俗っぽい言葉で表すのはまったく嫌なのですが、
大瀧詠一氏ほどあふれる才能を日本のロック音楽シーンに、
いやロックシーンなどと言わずに日本のポップスの音楽世界にのびのびと展開された人をぼくは知りません。
お亡くなりになって、気が付いた間抜けなぼくなのです。
1970年といえば、その数年前からフォークゲリラが新宿から起こり、全国を席巻した年かと思います。
そしてぼくは、その頃岡林信康の音楽にまったく参っておりました。
その岡林氏のバックバンドにいたことも知りませんでした。
ああ、なんたることか。
50年近くたって、いまごろ、とっくに解散した「はっぴーえんど」の音楽に、
ビックリ驚嘆、その新しさに実に驚嘆しておるという塩梅なんです。
ひとこと、いうなれば大量に宣伝された音楽は根本のところで、どこか却って
引いてしまうところがあるのですね。へそ曲がりのぼくの場合は。
とにかく、そんな間違いをぼくは犯したようなんです。
いろんなことを考えさせてくれるぼくにとっての人生史の一コマでした。
生きている間に会いたかったなあ、今どんなに強く思ってもかなわないことになりました。
でも、不思議なのは、学生時代に一言も言葉を交わしたことがないのです、
どう考えても。
また大瀧詠一さんの命日がやってきます。
フォト・文 石郷岡まさを