まさおレポート

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ブロックチェーンのメタファで輪廻や色即是空・空即是色が少しわかった気になるが

2024-10-05 | 紀野一義 仏教研究含む

紀野一義氏は輪廻について多くを語っていない。ご自分の両親についての成仏を確信していると述べられていることが記憶に残るくらいかな。このことから紀野一義氏は輪廻をごく当たり前に受け止められていると思う。

佐々木閑氏は物理学者大栗博司氏との対話で「輪廻はない」というずいぶん思い切った発言もする。あるいは業によって輪廻すると「ミリンダ王の問」を解説するが、あくまで解説でありただしご自分は信じていなくて輪廻はないと言う。仏教学者にしてこうも大胆な発言する背景はなんだろうと気になるが輪廻の定義によってそう説明しているのだろう。魂のようなものあるいはアートマンが実体として続いていくということを輪廻とするならば、そう言う意味での輪廻はないと言っているのだろうか。

このお二人はともに信頼できる方で、紀野一義氏は一時期学者であったが後年は仏教伝道家として救済の道を歩まれた。佐々木閑氏は現代に生きる仏教学者だ。ともに仏教だが紀野一義氏は法華経を信じる大乗仏教信仰者で佐々木氏は原始仏教あるいは上座部仏教を元にする学者で宗教者ではない。(しかし両者はともに寺の息子として生まれている。)

佐々木氏は「ミリンダ王の問」の説明で、「何が輪廻するのか」と問うとき、この説文自体が間違っているという。しかし「ミリンダ王の問」の解説で。輪廻は業によって起こるとも解説する。聞いている方は何がなんだかわからなくなってしまう。YouTube動画に映る氏は誠実なお人柄のようで視聴者を混乱させようとしているのではないことは理解できる。

佐々木氏は「ミリンダ王の問」の説明でヒントを述べる。氏は度々ネット社会についてあるいはAI社会NIついて言及されるが、業とはWEBつまりネットのようなものだと言う。これを聞いたわたしは「ははー何やらわかったぞ、輪廻する主体を実体と考えるとある点を刺さなければならないが点では存在しないのだ、ネット全体にいわば溶け込むのだ、ならばどこを探しても輪廻する主体は見つからない。こう言いたいのだ」とうなずく。

佐々木氏ではないが、どなたかがやはりYouTubeで述べていた。輪廻は例えばブロックチェーンのような存在だと。ネットの中に溶け込んで、ここにあると輪廻の主体の存在を点で示すことはできないがブロックチェーンのイメージからある契機で実体のある存在が生まれる。ある契機が業なのだと。なるほどうまいことを言う。

こんな理解の仕方は比喩的であり、比喩で理解するのは(大乗仏教的で)あまりよくない、誤解を招きやすいとも佐々木氏は言う。だから比喩は注意深く使用し、注意深く読み取らなければいけないのだが。(村上春樹はメタファが大事だと言う。わたしはこちらに与する)

悟りとは煩悩を滅し尽くして輪廻を断ち切ることであり、ネットにブロックチェーンの痕跡を残す業が働かなくなっているとしたら、なんだか凡人のわたしでもイメージとして理解できた気がする。業を引き継ぐ人つまり煩悩の消えていない人はネット上のブロックチェーンに歪みを残して残るのであり、業を解消した人はネットに歪みを起こすことがないので輪廻しないのだ。

確かにブロックチェーンのメタファならばあると思えばあるしないとないと思えばないと言う「空」との親和性もいい。空即是色でいきなり空から財(色)が現出する。財が暗号資産化すると色即是空でネットに溶け込んで特定のどこにあるのかは不明で「空」となる。

 


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