まさおレポート

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平和な時代が70有余年 こんな話を語る人も聞く世代もいなくなった

2021-06-20 | 心の旅路・my life・詫間回想

 by wiki

半世紀以上前の電電公社中央学園時代、数学の講義は大学助教授の斎藤正男先生などが担当するが演習は教育コスパから電電公社職員の教官が担当する。

この教官は航空少年兵あがりの40前後の男性で、おそらく航空少年兵学校で理数系の教育を叩きこまれたのだろう、電電公社で実務を10年以上経験していても微積の数学演習などがこなせる。

練習機でトンボ返りなどを練習したが実戦直前に終戦を迎えたと授業の合間に語っていた。この話の中でいまだに記憶に残っている話がある。

ある授業の合間にひょうひょうとした態度で話し出す。戦場での話を得意げに話す方ではない、ややはにかみながら少し東北方言の入った言葉遣いで穏やかに話す。

地面に向かって突進し、急激に上昇に反転するときは操縦かんを引いても上がらない、反対に押し込むと上昇に転じると確か話していた記憶がある。いまだに本当かなとも思うが、生死を分けるときの判断としてあり得るのかも。


紀野一義さんも同じ学園の講演で「嘔吐の一環を通る」と話していた。荒れ狂う船上でゲロをはくときに、吐いたゲロを押し戻して飲み込むと嘔吐しなくなると。

通常考えられること、つまり事態から逃げ出したいときにむしろ迎えうったら打開策があったということで、死中活ありの生きた応用編だ。


平和な時代が70有余年続き、もうこんな話を語る人も面白く聞く世代もいなくなった。だからメモして起きたくなった。


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