我が家から玉川学園の駅に向かう途中の尾根沿い、ごく近所に田河水泡の家がある。玄関先にのらくろの絵とともに田河と書いてあるのですぐにわかる。奥さんはご健在の様子で、小林秀雄の妹さんだ。この田河師匠の弟子に長谷川町子や杉浦茂がいたとは知らなかった。
少年時代は漫画さえあれば満足していた。漫画雑誌を30センチばかり積み上げて、横におかき(関西では醤油系のせんべいをおかきという)の缶があり、いっぱい詰まっていればこの上なくハッピーだった。まあ今から見れば、何か心の充足が足りなかった子供の典型なのだろうが。
福井英一の「いがぐり君」は、柔道家のいがぐり頭の少年が、黒い空手着の悪役に立ち向かったり、つぎつぎと悪役が登場する。とにかく夢中にストーリーを追いかけていて気がついたら缶のなかのおかきはすっかりからっぽになっていた。
この福井英一は随分早死にしている。1954年には亡くなっているので、私が7歳の頃にはもう連載がおわっていたことになる。ということは7歳以前にこの漫画に夢中になっていたのか。
福井さんが実は「赤銅鈴の助」の連載開始の初期に急逝して、そのあとを武内つなよしが引き継いだということも初耳だった。「赤銅鈴の助」も夢中になって読んだ。
杉浦茂の「猿飛佐助」も好きで、「とと!」のギャグは手を頭に持ってくるアクションとともにしょっちゅうまねをしていた。
手塚治もそのころリアルタイムで読んだが、7,8歳の年頃では、おもしろさは「猿飛佐助」やいがぐり君が勝っていた。
益子かつみ「さいころコロ助」はさいころに手足と顔がついた少年剣士の活躍する漫画で面白かった。昭和28年から連載がはじまったので6歳の頃に夢中になっていたことになる。