まさおレポート

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セピア色の呉 明治から昭和初期の光景

2016-11-26 | 心の旅路・my life・詫間回想

 

岡ヨシエさんが死去 広島原爆投下を一報  2017/5/30 13:34

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG30H5S_Q7A530C1CC0000/

 岡ヨシエさん(広島への原爆投下の第一報を伝えた被爆者)19日、悪性リンパ腫のため死去、86歳。告別式は近親者で行った。喪主はおい、大倉浩一氏。旧日本軍司令部に学徒動員され広島市内で連絡業務にあたった。1945年8月6日、原爆投下直後に「広島が新型爆弾にやられました。全滅に近い状態です」と旧日本軍に電話で伝えたのが、現地からの第一報とされる。

  娘が生まれる頃のある日病院の中を散策していると一階のロビーで写真展が開催されていました。この病院の明治以来の足跡と呉の町の往時の写真が展示されていました。日露戦争、日中戦争、太平洋戦争当時のこの町のたたずまいや山本五十六、双葉山、渡辺はま子、英や豪の進駐軍、特に原爆のセピア色の写真は時空を超えて当時を想像するのにまことにふさわしいのでした。


昭和20年8月6日の原爆によるきのこ雲を呉 吉浦より撮ったもの。 

呉海軍工廠で艤装中の戦艦大和

日露戦争に勝って沸きに沸いていた頃の祝賀会の様子です。ほぼ毎日この練兵場(現在は市民グランド)の横を散歩していたのですが、グランドの面影はそっくりそのままです。ラッパや太鼓と花火の音、歓声まどが聞こえてきそうです。


明治38年当時の実家の前の通り。かなりな街ですね。子規、漱石、秋山兄弟の時代です。

呉医療センターの前身はこんなたたずまいです。この坂と玄関の位置は建物が新しくなったほかは変わっていません。

2008年の暮れから2月まで広島の呉にいました。連れ合いの出産のために彼女の実家に里帰りしたのです。そして呉医療センターで診察と出産指導から出産までお世話になりました。ほぼ毎日この呉医療センターに通っていましたが、そのうちにこの病院が市のスケールに比べると大きいことに気がつきました。市立ではなく国立というのも実は訳があって、元海軍病院だということがわかりました。往時この呉は軍港として栄えていたので、当時最先端の立派な病院が必要であったということです。

昭和7年の上海事変で負傷した兵が海軍病院に運び込まれる様子をうつしたもの。

上海事変負傷兵収容

中通りもこんなに栄えています。

昭和12年日中戦争で負傷して運び込まれる兵士たちの様子です。写真を写すためにことさらにしたのかもしれませんが実に整然としています。

同上 看護婦達の表情が幼いといっていいほど若くて素朴で初々しいのがみてとれます。

戦傷病患者の職業訓練風景 授産場

海軍病院内での双葉山の土俵入りとあります。昭和11年1月場所4日目から14年1月15日安藝ノ海に敗れるまで不滅の69連勝を記録とあるので、この写真の土俵入りは連勝中のものかあるいはその後か不明ですが、慰問に訪れたときのものでしょう。


歌手渡辺はま子の慰問風景とあります。第一回紅白歌合戦で「とり」を飾った歌手だということです。戦後フィリピンに抑留されていた、死刑を宣告された冤罪の戦犯十数名を日本に戻すために当時の大統領に働きかけ、成功したそうです。女傑ですね。

映画「男たちの大和」は泣かされましたが、これは戦艦大和の写真です。当時の呉がこういうものを作れる一大工業都市であったことがわかります。


巡洋型戦艦「天城」の最期です。弁慶の立ち往生を連想してしまいました。確か海軍墓地には天城乗組員の共同墓地があった。


1946年 英連邦軍の呉市内行進 by wiki


1956年 昭和31年 英連邦軍が10年の進駐後に海軍病院から撤退する様子です。呉の戦後がようやく終わったことが見て取れます。

進駐したオーストラリア歩兵旅団 呉には英軍とオーストラリア軍が進駐したことが伺える。

呉海軍病院x線撮影室

呉海軍病院 手術室光景

防毒訓練 ハルデン式酸素吸入装置

毒ガス訓練

山本五十六大将の慰問

寒げいこ

外科病舎実習

 

 つれあいの実家 「この世界の片隅に」で映像化されていた。

呉海軍工廠通勤風景とある。

1903年 (明治36年)に日本海軍の組織改編で呉海軍工廠が誕生。工員の総数は他の三工廠、横須賀、佐世保、舞鶴の合計を越え、ドイツのクルップと比肩しうる世界の二大兵器工場で戦艦「大和」を建造する。by wiki

2008/8/22 初稿 

2015/8/8 追加 

2016/11/26 追加 

2017/5/30 追加

 

呉のうまいラーメン屋巡り

呉のビールからベニス-ミュンヘンへ向かう夜行列車のビールを

広島県・呉の境川 鷺を間近で目撃

ぼてじゅ ぼてっと鉄板においてじゅうと焼く

呉の街 気になるシャレたネーミング

呉生活も終わりに

広島の千福

呉市立図書官で読みかけた2冊の本

広島はさすがにマツダが目につく

 

 


3 コメント

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太平洋戦争当時 (フランツ)
2017-10-22 16:09:20
偶々、呉海軍の写真が目に留まりました。
実は、自分の父が、太平洋戦争昭和20年6月から呉海軍工廠造機部(エンジン部門)で働いておりました。
平成24年8月から、当時の呉海軍工廠の集合写真に基づいて、父の足跡を調査して、一冊の本に纏めております。題名は、「ポツダム少尉 68年ぶりのご挨拶 呉の奇蹟 第4版」(自費出版 非売品)と云います。
呉海軍の所縁の方の関係の町の図書館に登録しております。
全国では、北海道旭川市から鹿児島県まで、140箇所の図書館に登録されております。
是非ともご一読頂ければ幸いです。
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Unknown (masao)
2017-11-01 08:09:24
コメントありがとうございます。
「ポツダム少尉 68年ぶりのご挨拶 呉の奇蹟 第4版」ぜひ読んでみたいと思います。
返信する
ありがとうございます (フランツ)
2017-11-17 14:29:21
Masao様
返信ありがとうございます。
P215のB5版のカラーの本です。首都圏は、区立図書館、横浜市、川崎市、横須賀市、町田市に第4版・・・愛知県も県立、名古屋市、岡崎市、春日井市、小牧市、大阪は、茨木市、寝屋川市、吹田市、堺市、富田林市、高槻市・・兵庫県は、宝塚市等・・・

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