写真は 十三のいま昔を歩こう より
私がまだ生まれる前、戦後の極めて貧しかったころのエピソードを母はなにかの話のついでにぽつりと語ったことが時折断片的に思い出される。阪急箕面線の牧落から梅田まで線路沿いに歩いてタバコを梅田駅前に露店売りのように売りに行ったことがあるという。歩いたのはいうまでもなく電車賃を浮かせるためだ。
googleで測ると牧落から梅田まで19.4キロある。本当に歩いて往復したのだろうか、早足で200分3時間半もかかる。朝の5時に出て8時半について午後帰路についたとしても帰宅は4時ごろになる。ちょっと信じられない苦行だが30代の若さではなんともなかったようだ。この梅田の売り場で長くあっていなかった母の兄と偶然会い、また気の毒に思った行きずりのひとから白いおにぎりをもらったことがあったと語った。野坂昭如の「火垂るの墓」とそう遠くない風景がまじかにあった時代のことだ。
母が83歳の時に衰えだした時にこうして貯めこんだ80年の記憶をノートに大量に書き込み始めた。危篤になり急遽帰阪した際に枕元に数冊のノートが置いてあった。過去の過ぎ去ったエピソードが限りなく湧いてきてそれを書き溜めたのだろう。
こんな話は他にも近い人から聞いた。やはり大量の記録メモがノートに書き残されていたという。その話をしてくれた人はその方の娘でいとこと一緒にそのメモを書き起こして自費出版したという。いいことをしたなと思い、そして残念ながら母の遺稿はすでに処分されてしまった事を悔いた。もはや見ることはできない。
母などのそうした話から自分の来し方を書き記してみたいというのはなにも文筆業に限らない、有名無名とも関係なく誰にでもある非常に強い意欲であるようだ。